「みんな!おりてこい!」
父のかけ声で、家の2階から私と弟ふたりが居間に降りて行きました。
「これからなあ・・アメリカからテレビでいろんな番組が見れることになったんだ!!すごいことだ、おまえたちもちゃんと見ていなさい!」
父は、少し興奮気味にテレビ画面に釘づけになっている。
「アー・・・雪だ!」私
「初雪だねー・・・」母
小樽の我が家のベランダから・・しっとりとしたやさしい白い雪がはらはら舞っている。1963年11月22日(日本時間)
「なんで・・アメリカのテレビが見れるのさ?」私
「それはなー・・・○○○で、こうして・・ああして・・・すごいんだぞ」父
「へー・・・すごいんだね!」長男
「アメリカにケネディというすばらしい大統領がいるんだ。
立派な大統領でね・・演説がすごくうまいんだ!
若い大統領だけれど、
この人がこれからの世界を動かす人だから
良く見ておきなさい!」父
父は仕事柄、ハワイ・グァム・フィージー諸島・カムチャッカ・ソ連境界線で仕事をする船の仕事をしていました。
一年の三分の一は海の上か、外国の土の上に住んでいました。
だから、日本人でありながら父の血肉には各外国の血も混じる人でもあったのです。
父が大好きな「ケネディ大統領」
父の自慢の「ケネディ大統領」
アメリカから映像が届く時間です。まばたきもしていられません。
父も、母も、私も弟達も、今か今かと居間のテレビの前では「ドキドキわくわく!」
すると、パッと!画面にいきなり流れてきたのは、ケネディ大統領がテキサス州ダラスのパレードのオープンカーに乗って手を振っているところから人形が崩れるように射殺された場面が何度も何度も映し出されました。(・・・・・・・シーン・・・シーン・・・)
父は絶句。
一言も話さなくなり私たち兄弟は、父のこころを思って自室がある2階へとそっと上がっていきました。
父の希望の星であったケネディ大統領。
いつかこの人が日本のリーダーになってもらいたいと、はかない夢を抱いていた旧社会党の浅沼委員長。
父の希望の星はふたりとも暗殺されてしまいました。
浅沼委員長が演壇で演説をしていた最中に、「YUMIKOなあ・・この浅沼委員長っていうのはすごく立派な人なんだ・・・この人が総理大臣になったらナー」とつぶやいていると、急に若い男の人が演壇に駆け寄った。
浅沼委員長が演壇で刺されたあとも父は落ち込んだ。
(余談ですが、浅沼委員長は東大ボート部出身。生涯小さなアパートの一室で質素に暮らされたそうです)
ずいぶん古い個人的なお話をしてしまいましたが、今回、オバマ大統領が産まれるかどうかですが、世界金融恐慌・食糧危機・水戦争も叫ばれている昨今、アメリカは次々とスピード戦略を打ってきます。
緑のニューディール政策で急に、環境保護、環境対策事業が出現するようです。
そして、アメリカンドリームは即、「日本ドリーム」とはならない事だけは確かなようです。
アメリカもイギリスも私たち日本人にとって、またどんな難題が降りかかってくるやら・・・一緒に儲けるような、大損するような・・・。どこかの国で核実験が一月に行われるという物騒な話も飛び交っています。
何が何でも、「アメリカ再生を背負った大統領出現です」
ケネディ大統領の
葬儀にはモーツワルトのレクイエムが流れていたそうです。
世界は再びこのような惨劇を起こしませんように!!
ケネディ大統領をテレビで初めて見た日、小樽は初雪、はらはら白い雪が降っておりました。
川柳っていいね!北海道散歩。