川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

一筆啓上です。小沢様、町村様。

2008年11月25日 | 川柳

 23日にAPECが閉幕して、24日にオバマ氏が2年計画で、68兆円の公的資金を投入した経済計画を策定指示したと、ラジオで国民に呼びかけ、経済政策チームのトップにガイトナー氏(ニューヨーク連銀総裁)サブにサマーズ氏を起用したと発表をしたそうです。

その後、世界の株価はグンと値上がりするのですから、株式相場は右肩上がりは各国にも民間にもそりゃーいいでしょうが、ぐんぐん下がると未来の私たちの支払う税金が10パーセントどころか20・30と足早にやってくることになりますね。

        日本だけでマネーの流れは考えられませんからね。

この金融危機の大事なところは、「アメリカ」そのものを、世界の投資家が信用できなかったことにも群集心理に大きな影を残しているようにも思います。

私たち日本人も違う形で、税徴収はぐーんとアップされるのは、あたりきしゃりき!それしか国を救えない、しいては国民を救えない、隣国さえも救えない。そんなときはシュワッチ!ウルトラマンを呼びたくなります!ホントの悪を退治せよ!(笑)

それにしても、麻生総理はわかりいいですね。APECが終わった後の記者の質問に

「保護貿易はしてはならないと採択されても現実はなってみなければわからない」

養老孟司先生の18番、「あーだこーだ言ったってなって見なけりゃわからない」

著書の随所に出てくる言葉です。麻生総理も同じコメントです。親近感が湧くなあ・・・。

漢字が読めなくても、英語は通じる総理。はっきり率直に国民にアプローチする総理。小沢一郎氏を「信用できない」と国民の前で言われると「やっぱり!」と思うのは私だけでしょうか?

   総理を「チンピラ」と呼ぶほうが、「人格の品性」が出ていませんか?

もし・・・私が小沢氏なら「どこが信用できないのか総理にうかがってみましょう!一国の総理の発言とは思えませんね!」くらいにするけどねえ・・・世界が見ているよ!

                   あ・・・嘆かわしい!。

ところで、オバマ大統領が選挙で戦っている時に北海道選出の町○○○代議士が、雑誌社の質問に「オバマ氏は黒人だから大統領になれない」と発言してCNNニュースに流されたそうです。バカだねー・・・。

日本の政治家は皆、俳句や川柳や短歌などで素敵な言葉を覚えるレッスンが必要だね!

         そういう私も、まだまだ発展途上人ではあります。

アジアがぐんぐん政治的に接近している。お金に困るとみんなで「どうしよう!」と集まるんだね。

                 ちょっとそこら辺は感激!

アジアって言う定義は「日の出」と言う意味だそうです、「希望」という人もいます。

私個人の念願でもある・・・アジアにかがとを置いた日本、世界から信頼される日本に淡い希望を持とうかな?・・・そうしないと、次は日本発ダブル恐慌になっちゃうよ。

(マハテールさんがアメリカにがんがんつぶされて、実現できなかった苦汁を飲んでいたのだから・・・それにしてもアメリカの恐慌はひどい!うかつにアメリカにはいけないかもね)

川柳北海道散歩・川柳アジア散歩・川柳やってよ!小沢さん北海道散歩・川柳のような歯切れの良い麻生総理を皆いじめるより協力した方が日本のためダッテ!わかって欲しいな北海道とぼとぼ散歩・世界の政治は麻生さんのような人が好みだよ!

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アイヌ新政府の新政策

2008年11月25日 | 川柳
新政府のアイヌ政策

1871年 明治政府、戸籍法を制定。アイヌは「平民(旧土人)」として編入される。このとき道内のアイヌ世帯数は13,182戸、人口66,618人。

71年 開拓使、アイヌ男子の耳輪、女子の入墨、家屋葬送など独自の風習を禁止し、日本語の使用を強制。イヨマンテ(熊送り)も禁止される。家屋葬送とは「死亡の者これありそうらえども、居家を自焼し他に転住等の儀、堅くあい禁ずべきこと」ということ。

72年5月 開拓史の命によりアイヌ人27名が上京。仮学校で教育を受ける。

74年 屯田兵条例が制定される。失業した旧士族の救済と北海道開拓、それに北辺の防衛も受け持たせることを目的とする。

75年8月 ロシアとのあいだに千島・樺太交換条約締結。これにともない樺太在住のアイヌ人841人が北海道に移される。いったん宗谷に落ち着くが、翌年6月さらに札幌近郊の対雁(江別太)に再び強制移住。




樺太アイヌの碑(石狩市)


76年9月 「漁場持」制度が最終的に廃止され、営業希望者に割譲される。運上家は買い上げられ、本陣、会所、旅籠、番屋などへとかわる。アイヌなど漁業労働者は引き続き「網元」の支配に縛り付けられる。

77年 英国人宣教師ジョン・バチェラー夫妻が来道。平取、有珠などに自費で教会を建てる。日英に翻訳したアイヌ語辞書を編纂。札幌に開いた無料診療所では、札幌市立病院院長もボランティア診療。養女に迎えた向井八重子はバチェラー・八重子としてアイヌ解放運動に尽力。

78年 開拓使、アイヌの呼称を「旧土人」と統一する。この前後に全道で、仕掛け弓・毒矢を用いた鹿狩りやサケ漁などが禁止される。鹿撃ちには猟銃が貸与される。

79年 琉球処分。沖縄が日本政府の直接統治下に置かれ、自治権が完全に剥奪される。

82年 開拓使制度が廃止され、札幌・函館・根室の三県が設置される。

84年7月 千島列島北端の占守島に住むクリルアイヌ97名が、色丹島に強制移住させられる。その後、千島アイヌは病気や気候の変化などで体を壊し絶滅。

86年1月 北海道の特殊性に鑑み県制が廃止。道内三県に代わり新たに北海道庁が設置される。

86年 道内各地で天然痘の大流行。3年間の死者は2557名にのぼる。

87年 道庁は旭川近郊のチカップに居留地を与える。アイヌ人40戸が近文の一角に自発的に移住。チカップニコタンを形成。

89年 ジョン バチェラーの「アイヌ語辞典」が発行される。

89年 バチェラー、幌別村・函館に相次ぎ愛燐学校を創設。

93年 アイヌの生活困窮が全国的に問題となる。加藤正之助は帝国議会に「北海道土人保護法案」を提出。「土人にして農を業とせんことを希望するもの」に、「1戸当たり6千ないし1万5千の未墾地を付与す」というもの。沙流系アイヌは法案成立を目指し国会に陳情。議会での討論の結果否決される。

97年 国有未開地処分法が交付される。内地の資本家、大土地所有者向けに農地150万坪、牧草地250万坪、森林200万坪を上限とする土地が無償貸与される。(貸与といっても、成功後は無償に付与されるというもの)

99年 北海道旧土人保護法が制定される。アイヌ人の困窮に対処するため一戸あたり1万5千坪以内の農地が「下付」される。

旧土人保護法の問題点: 土地問題でも明らかな差別があった。和人には一戸あたり150万坪を限度に開墾地が無償で払い下げられていた。給付された土地も、共有財産管理権は道庁に残された。また日本語や和人風の習慣による教育を行うことで、アイヌ民族の和人への同化を強制するが、和人児童との別学を原則とし、教育内容も「簡易教育」をむねとするなど不当な格差を設けていた。


99年 第二次近文アイヌ給与地問題が発生。近衛師団・第七師団の旭川への設置に伴い、近文アイヌの付与地が接収されることとなる。

00年 近文のアイヌ給与地売却をめぐり、大倉財閥などが絡み、中央政府の大規模な汚職事件に発展。アイヌ人の抵抗も強かったことから、当局は移転を断念。

01年 この年、全道の人口101万1,892人。うちアイヌは1万7,688人。

04年 日露戦争勃発。樺太アイヌの山辺安之助、上川アイヌ北風磯吉らアイヌ人63名が従軍。

13年 北見の最寄村でモヨロ遺跡が発見される。オホ-ツク文化の存在が確認される。考古学に高い関心をもっていた理髪師米村喜男衛が発見した。

16年 新冠村のアイヌ80戸が、御料牧場の都合により上貫気別に強制移転される。

19年 旧土人保護法の第一次改正。道内4ヶ所(平取、静内、白老、浦河)にアイヌのための病院が設けられる。

22年 十勝地方のアイヌ系住民が道庁の指導の下に「十勝旭明社」を結成。勧農施策、住宅改善、小規模融資事業を展開。

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