川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

小樽旧青山別邸(小樽貴賓館)・・・五感へのご馳走

2010年03月16日 | 川柳

 昔、ニシン漁に栄えた『ニシン御殿』が、地元で大切に保存されています。

「小樽高島及びもないがせめて歌棄磯谷まで」と石碑に刻まれた「江差追分」の一節が小樽の海や、祝津水族館を見下ろすように高く大きくそびえ立っています。

江差から小樽、増毛の方までニシンの大量の声に漁民は歓喜し、ニシンが来なくなった閑散とした高島・祝津の海にニシンの群来の再来を夢見ていたニシン場の老若男女・・・。

 今は、すっかりこの旧青山別邸は修復もされて、小樽貴賓館から望む邸内の四季折々の美しさは、まるで京都でも味わった事の無い

         「ゆったりとした・・・すがしい・・・爽快さ!」

          外国人には特に喜ばれるおもてなしです。

          「石狩挽歌」

なかにし礼作詞・浜圭介作曲の名曲の歌碑がこの旧青山別邸の左入り口で重厚に静けさの中に佇んでいます。   

          旧青山別邸

             ↓

      http://www.otaru-kihinkan.jp/index.shtml

   石狩挽歌記念碑

 

 

中央バス 水族館線 祝津3丁目 旧青山別邸内

                

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小樽― 高島の標準語 ―(昔、鰊場で栄えた漁村)

2010年03月15日 | 川柳

       ・・・高島町史はとても面白いコトが満載・・・

ブログより転載・・・・(個人で高島の歴史のページを作成しているとは。。)

             うれしい・・・ページです。

                    ↓

     http://www17.tok2.com/home2/takashimakyodokan/


        ― 高島の標準語 ―
新高島町史(高島の方言)高島方言(編集・故 斎藤フサエ様)から抜粋、及び参考にし、また、有志からの助言も加え、私なりにまとめてみました。
これらの言葉は、あえて言い換えるならば「たがしまのしょうじゅんご」なのです。
イントネーションが伝えられず残念です。
また、私の世代では既に使われなくなった言葉や、道内各地で同じように使用されている浜言葉も含まれております。

― 高島の方言 ―(新高島町史320ページより)

「高島の女の人は美人が多いけれど、言葉を聞いたらがっかりする。」ということを街の人から聞いたことがある。たしかに、20年くらい前までの高島町内で普通に話されていた言葉の多くは、いわゆる東北の浜言葉が混じってできた「高島弁」で、街の人々には荒々しい方言に聞こえたのであろう。

しかし、最近の若い人達は、学校や職場が高島町の外の市街に移っているためか、この高島弁を使わなくなってきているが、 50歳以上の両親や祖父母のいる家庭内では、いまでもこの方言は生きており、小中学校の会話の中でも聞くことができる。

高島の方言は、東北から北陸地方の海岸沿いの地方の人達が移住してきたため、故郷の東北方言がそのまま持ちこまれて使われているのであるが、よく聞いてみると、東北の地方のいくつかの方言が混じり合って使われている。

移住した人々の出身地から、越後衆(新潟県)津軽衆(青森県)能登衆(石川県)秋田衆(秋田県)庄内衆(山形県)南部衆(岩手県)と呼び合い、その土地の方言が自由に使われていた。中でも一番よく耳にするのは、高島3丁目(元北高島町)が漁業関係者が多い関係から新潟県の方言である。高島2丁目(元南高島町)では、青森県の津軽弁が聞かれる。このように東北各県の方言が入り混じって使われ、高島という地域の共通語となったこの浜言葉を、『高島弁』と呼んでもよいのではなかろうか。

― 特徴 ―(新高島町史321~323ページより要約)

1.母音(イ)の発音
50歳以上(町史発刊当時の昭和61年現在)の人は、イとエの区別がつかない。
井戸と江戸、息と駅が同じ音に聞こえる。

2.カ行・タ行の濁音化
烏賊(イ)、赤・垢(ア)、魚(サナ)、高い(タイ)、行く(イ)、 書く(カ)、底(ソ)、凧・蛸(タ)、 旗(ハ)、板(イ)、落ちる(オル)、立つ(タ)、待て(マ)など
この濁音化の発音で高島の言葉が荒々しいとか重い感じのする方言として聞こえるのである。

3.鼻音(ン)の加わる発音
鍋(ナベ)、只(タダ)、水(ミズ)、足袋(タビ)など
このように鼻音(ン)が加わることで柔らかい発音となり、方言のもつ暖かさが感じられる。

4.発音の省略化と短縮
くれる(ケル)、食え()、居ない(イネ)など

5.特殊な助詞の使用

①『格助詞』
→方向や場所を示す助詞 ヤマイグ(山へ行く)  コゴコイ(ここへ来い)など
→~を オレイレレ(自分を入れろ)  ホンヨメ(本を読め)など

②『終助詞』
デャ→命令形や自分の行動の肯定などに使う ハヤグ イゲデャ(早く行けよ)  アシタ イグデヤ(明日、行きます)など
ンス→~ですね 老婆が丁寧に話す時に聞かれる ソンダンス(そうですね)
ガヤ・ワヤ→~ですか? ~ですとも 疑問とそれの答えの中で使われる  マンマ クッタガヤ(ごはんを食べたのですか) クッタワヤ(食べましたとも)など
ベ、ベヤ、ペヤ→東北弁の代表的なもので、高島では今でも広く使われている。 動詞の現在形につけて勧誘、過去形につけて確認の意味に使う。 クウ(食べよう) イグベヤ(行こう) クッタ(食べただろう)  イッタ(行っただろう) ヤメッ(止めよう)など
→~するぞ、~しよう イグ(行くぞ) カエル(帰ろう)など

③『接尾語』
→名詞の語尾につけて愛称後として使われる イヌノコッ(犬の子) ユッ(お湯、お風呂)

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石狩挽歌・・・朝里の浜の~お♪・・・鰊の群来!!(2月9日)

2010年03月13日 | 川柳

石狩挽歌の唄でおなじみno・・・朝里の浜に鰊の群来が

    鰊のたまご(数の子)にオスの精子(白子)で海が乳白色に染まっています。

            すごい写真なので・・・ファイルします。

 山の頂上にある建物は、鰊御殿と呼ばれている『銀鱗荘』です。

   http://www.ginrinsou.com/html/topnews/index.html

             http://www.ginrinsou.com/

      歴史的に貴重な写真です!!

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○忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで

2010年03月12日 | 川柳
参考:風濤成歌「江差追分詞華集」より
<前唄>
(アーソイ ソイソイ)
○国を離れて(アーソイ) 蝦夷地が島にヤンサノエ(アーソイ)  幾夜寝覚めの波枕(アーソイ)
朝な夕なに 聞こゆるものはネー(アーソイ) 友呼ぶ鴎と 波の音(アーソイ)
<本唄>
○鴎の(アーソイ)鳴く音に(アーソイ)ふと目を(アーソイ)覚まし
(アーソイ ソイソイ)
あれが(アーソイ)蝦夷地の(アーソイ)山かいな(アーソイ)
<後唄>
○月をかすめて 千鳥が鳴けばネー (アーソイ)
波もむせぶか 蝦夷の海(ソイーソイ)
※ソイ掛け 同様

<前唄>
○荒い波風 もとより覚悟 ヤンサノエ 乗り出す船は 浮世丸
西か東か 身は白波のネー 漂う海原 涯もない
<本唄>
○泣いたとて どうせ行く人 やらねばならぬ せめて波風 おだやかに
<後唄>
○泣くに泣かれず 飛んでも行けずネー 心墨絵の 浜千鳥

<前唄>
○蝦夷や松前 やらずの雨は ヤンサノエ 荒れて別れの 風が吹く
泣くも笑うも 今宵が限りネー 明日は出船か 波の上
<本唄>
○山背風 別れの風だよ あきらめしゃんせ いつまた逢うやら 逢わぬやら

<後唄>
○心細さに ホロリと涙ネー 名残惜しやと 千鳥鳴く

<前唄>
○波は磯辺に 寄せては返す ヤンサノエ 沖はしけだよ 船頭さん
今宵一夜で 話は尽きぬネー 明日の出船を 延ばしゃんせ
<本唄>
○泣いたとて どうせ行く人 やらねばならぬ せめて波風 おだやかに
<後唄>
○泣くなと言われりゃ なおせき上げてネー 泣かずにおらりょか 浜千鳥

<前唄>
○大島小島の 間(あい)通る船は ヤンサノエ 江差通いか 懐かしや
北山おろしで 行く先曇るネー 面舵頼むよ 先頭さん
<本唄>
○鴎の鳴く音に ふと目を覚まし あれが蝦夷地の 山かいな
<後唄>
○何を夢見て 鳴くかよ千鳥ネー ここは江差の 仮の宿

<前唄>
○大島小島の 間通る船は ヤンサノエ 江差通いか 懐かしや
北山おろしで 行く先曇るネー 面舵頼むよ 先頭さん
<本唄>
○忍路高島 及びもないが せめて波風 おだやかに
<後唄>
○主は奥場所 わしゃ中場所でネー 別れ別れの 風が吹く

<前唄>
○松前江差の 津花の浜で ヤンサノエ 好いた同志の 泣き別れ
連れて行く気は 山々なれどネー 女通さぬ 場所がある
<本唄>
○忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで
<後唄>
○蝦夷は雪国 さぞ寒かろよネー 早くご無事で 帰りゃんせ

<前唄>
○松前江差の 津花の浜で ヤンサノエ 好いた同志の 泣き別れ
連れて行く気は 山々なれどネー
 女通さぬ 場所がある
<本唄>
○忍路高島 及びもないが せめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで
<後唄>
○蝦夷地海路の お神威様はネー なぜに女の 足止める

<前唄>
○浮世の荒波 漕ぎ出てみれば ヤンサノエ 仇やおろかに 過ごされぬ
浮くも沈むも みなその人のネー 舵の取りよと 風次第
<本唄>
○荒い波でも やさしく受けて こころ動かぬ 沖の石
<後唄>
○波に映りし 月影さえもネー 乱れながらも 丸くなる

<前唄>
○波の上飛ぶ 鴎を眺め ヤンサノエ 目には思わず ひとしずく
翼あるなら あの山越えてネー 飛んで行きたい 主の側
<本唄>
○音に名高い お神威様は なぜに女の 足止めた
<後唄>
○出船入り船 数ある中にネー わしの待つ船 ただ一つ

<前唄>
○波路遙かに 想いをかけて ヤンサノエ 泣けば飛沫も 濡れかかる
巡る年月 待つ身もやせてネー 磯の松風 一人聞く
<本唄>
○沖の鴎よ 流れる雲よ せめて伝えよ この心
<後唄>
○主の船唄 夜毎に聞いてネー 共に暮らすは 何時じゃやら


<前唄>
○けむる渚に 日はたそがれて ヤンサノエ 沖にいさりの 火が灯る
江差よいとこ 寝覚めの床にネー 通う千鳥の 鳴く音聞く
<本唄>
○松前江差の 鴎の島は 地から生えたか 浮島か
<後唄>
○月をかすめて 千鳥が鳴けばネー 波もむせぶか 蝦夷の海

<前唄>
○浮世の苦労も 荒波枕 ヤンサノエ 月を抱き寝の 浜千鳥
明日はいずこの 大海原でネー 荒い波風 しのぐやら
<本唄>
○船底の枕外して 聞く浜千鳥 寒いじゃないかえ 波の上
<後唄>
辛い想いに 泣くのじゃないがネー 月が泣かせる 浜千鳥

<前唄>
○波は千鳥に 千鳥は波に ヤンサノエ 後を追うたり 追われたり
一夜泊まりの 船頭衆に惚れてネー ついちゃ行かれず 泣き別れ
<本唄>
○沖を眺めて ホロリと涙 空飛ぶ鴎が 懐かしや
<後唄>
空飛ぶ鴎が もの言うならばネー 便り聞きたい 聞かせたい

<前唄>
○大島子島は めおとの島よヤンサノエ なぜに奥尻 はなれ島

吹くな夜風 片帆に持たせネー 月に棹さす 筏舟
<本唄>
○雪の空より ほのぼの明けて 雲のかなたに 蝦夷が島
<後唄>
○今宵入り船 江差の港ネー 遙かに見えるは かもめ島

<前唄>
○浮世離れて 奥山住まい ヤンサノエ 月雪花をば 友として
岩に砕ける 水音聞けばネー 過ぎし昔が しのばれる

<本唄>
○波の音聞くが嫌さに 山家に住めば またも聞こゆる 鹿の声
<後唄>
○秋が来たかと 紅葉に問えばネー 鹿と相談 せにゃならぬ

<前唄>
○蝦夷の前浜 鰊が群来(くき)て ヤンサノエ いさむ舟子の 大漁節
曳けや浜から 黄金が上がるネー 黄金千石 二千石
<本唄>
○江差の五月は 江戸にもないと 誇る鰊の 春の海
<後唄>
○姥が神代の 昔も今もネー 土地の花なり かもめ島

<前唄>
○今宵一夜は 緞子の枕 ヤンサノエ 明日は出船の 波枕
昨日西風 今日南風ネー 明日は浮名の 辰巳風

<本唄>
○櫓も櫂も立たぬ千尋の 深みにはまり 綱も碇も 届きゃせぬ
<後唄>
○底の知れない 心の海にネー うかと碇は おろされぬ


<前唄>
○北かと思えば まただしの風 ヤンサノエ 風まで恋路の 邪魔をする
昨日西風 今日南風ネー 明日は浮名の 辰巳風
<本唄>
○北(あいの)風別れの風だよ あきらめしゃんせ いつまた逢うやら 逢えぬやら
<後唄>
○船を出しゃらば 夜深に出しゃれネー 帆影見るさえ 気にかかる

<前唄>
○船は櫓でやる 櫓は唄でやる ヤンサノエ 唄は船頭衆の 心意気
飲めよ騒げよ 今宵が限りネー 明日は出船の 波枕
<本唄>

○板一枚下が地獄の アノ船よりも 下の二枚が おそろしや
<後唄>
○風は吹かねど こころの波に 舵の取りよが むずかしい

<前唄>
○蝦夷へ行くときゃ 涙がこぼる ヤンサノエ 帰るものやら 別れやら
情けないぞや 今朝降る雪はネー 主の出船を 見せもせず
<本唄>
○泣いてくれるな 出船のときは 綱も碇も 手につかぬ
<後唄>
○ならばこの身を 鴎に変えて 後を追いたい 主の船

<前唄>
○想いあまりて 磯辺に立てば ヤンサノエ 哀れさびしき 波の音
沖の漁り火 かすかに燃えてネー 遠く寄せ来る 暮れの色
<本唄>
○月は照る照る 夜は更け渡る 磯の波音 高くなる
<後唄>
○浜の真砂に 想いを書けばネー
 憎や来て消す 夜半の波

<前唄>
○空を眺めて ホロリと涙 ヤンサノエ あの星あたりが主の宿
逢いたい診たいは 山々なれどネー 悲しや浮世は ままならぬ
<本唄>
○胸に千把の 萱焚くとても 煙たたせにゃ 人知らぬ
<後唄>
○主を待つ夜は 悲しさまさるネー 泣いてくれるな 浜千鳥

<前唄>
○切れて今更 未練はないが ヤンサノエ 主はいずこで 暮らすやら
雨の降る夜も 風吹く夜もネー 思い出しては しのび泣き
<本唄>
○主は今頃 起きてか寝てか 思い出してか 忘れてか
<後唄>
○波の飛沫に 磯浜千鳥ネー 濡れて明け暮れ 泣くばかり

<前唄>
○風のたよりは 松吹くばかり ヤンサノエ 君は姿を なぜ見せぬ
波は寄せても 砕くるばかりネー 岩もこの身も やせ細る
<本唄>
○人頼みせねば逢われぬ 身を持ちながら 逢えば愚痴やら 涙やら
<後唄>
○巡る浮世に はかない縁(えにし)ネー いつまた逢うやら 逢えぬやら

<前唄>
○一筆書いては ホロリと涙 ヤンサノエ どう書きゃまことが 届くやら
雲に架け橋 かすみに千鳥ネー 及びないのに 恋をする
<本唄>
○雨垂れの音と知りつつ もしやと思い 幾度枕を あげたやら
<後唄>
○磯の鮑を 九つ寄せてネー これも苦界の 片思い

<前唄>
○芦の入り江は 霞にくれて ヤンサノエ 灯影ゆらめく 岸の宿
暑さ知らずの 蝦夷地でさえもネー 夏は来て飛ぶ 蛍虫
<本唄>
○人は涼しと いう川岸に 
なぜに蛍が 身を焦がす
<後唄>
○空にゃ上がれず 水にはとけずネー 闇に迷うて いるばかり

<前唄>
○国を出る時ゃ 涙で出たが ヤンサノエ 岬かわせば 先ゃ急ぐ
吹くな夜嵐 片帆に持たせネー 吹くな抱き寝の 波枕
<本唄>
○蝦夷は寒かろ 来て行かしゃんせ わしが手縫いの この上衣
<後唄>
○粉雪さらさら 松前船をネー 泣いて送るか 浜千鳥

<前唄>
○逢いに北見を 主白糠で ヤンサノエ 狸根室で 釧路向き
酒に与市か 高島いびきネー 何を聞いても 岩見沢
<本唄>
○宗谷そわずに 別るるならば 私ゃ美国と なるわいな
<後唄>
○声が高島 静かに忍路ネー 忍ぶ小樽の 仲じゃもの

<前唄>
○今宵目出度く この家の庭に ヤンサノエ 晴れて見交わす めおと松
春はなおさら 緑も深くネー 操正しき 松の色
<本唄>
○荒海の波にもまれて 生えたる昆布は 主と祝儀の 契り草
<後唄>
○生えてうれしや 二葉の松はネー 家の柱と なるばかり

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小樽・・・ニシン来た!来た!白子の群来よ!!(今年2月9日)

2010年03月12日 | 川柳
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小樽ヨットハーバー

2010年03月11日 | 川柳

          川柳 裕次郎 霧も小樽を抱いて 寝る

石原裕次郎記念館が、すぐそばに隣接しています

(3歳から9歳まで在住。幼児期の裕次郎氏には小樽の海と地獄坂、そして運河のポンポン蒸気船なんかが原風景だったのでしょうか。。。裕次郎の魂はいつも小樽にある・・・。そんな思いを強くする晩年の歌の数々です。)

 旧ヒルトンホテル小樽のレストランからの眺望は、優雅に整列されているヨットハーバーが、目と心のご馳走にもなります。

      高い吹き抜けのレストランは開放感に溢れ

『でっかいどう(大きい)ほっかいどう』は、ここ小樽でも充分に満喫できます。

 海はいつも、まるで胎内の音(うねり)のようです。

 http://www.nikkeibp.co.jp/style/golfers/course/special/otaru_051028.html

写真1
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日弁連会長に宇都宮氏 異例の市民派、再投票で

2010年03月11日 | 川柳

日弁連会長に宇都宮氏 異例の市民派、再投票で

2010年3月11日 朝刊

日弁連の次期会長に当選が確実となり、記者会見する宇都宮健児弁護士=10日、東京・霞が関の弁護士会館で(藤原進一撮影)

写真

 日本弁護士連合会の次期会長選の再投票が十日行われ、仮集計の結果、多重債務問題の第一人者で「年越し派遣村」の名誉村長も務めた無派閥の宇都宮健児氏(63)=東京弁護士会=が九千七百二十票を獲得。現執行部が推す山本剛嗣(たけじ)氏(66)=同=を約千五百票上回り、当選が確実となった。所帯が大きい東京や大阪の弁護士会の主流派が擁立した候補者を、無派閥の弁護士が破るのは異例。十七日に確定、任期は四月一日から二年間。 

 市民派弁護士として知られる宇都宮氏は、裕福ではない開拓農家で育った。東大在学中に司法試験に合格し、一九七一年に弁護士登録。八〇年ごろから、多重債務者の救済に取り組み始めた。八三年に業者の取り立てを規制する貸金業法制定に尽力するなど、多重債務者問題で活躍した。

 二〇〇〇年ごろからは、貧困問題にも積極的にかかわり、〇七年に派遣労働者の組合などとともに反貧困ネットを結成。〇八、〇九年の年末年始、東京・日比谷公園に設置された年越し派遣村の名誉村長を務めた。地下鉄サリン事件被害対策弁護団の団長なども歴任した。

 二月の一度目の会長選では、山本氏の得票数が宇都宮氏を上回ったが、全国五十二の弁護士会の三分の一で最多票を得る条件を満たせず、初の再投票になった。今回、宇都宮氏は東京、大阪など都市部の弁護士会で票を積み増した。投票率は63・19%だった。

 最大の争点の法曹人口問題で宇都宮氏は、司法試験合格者数を年間三千人程度とする政府計画に対し、「千五百人以下」と主張し、弁護士増に危機感を持つ会員の支持を集めた。

 十日夜、日弁連で記者会見した宇都宮氏は「会員はもちろん市民の声も受け止め、共に歩む日弁連をつくりたい」と話した。法曹人口については「司法基盤が整わないまま弁護士だけが増え、地方では若手が十分な訓練を受けずに独立する状況が広がっている。見直しが必要だ」と強調した。

 
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ギリシャ:首相が米大統領と会談 金融規制強化要請

2010年03月10日 | 川柳

ギリシャ:首相が米大統領と会談 金融規制強化要請

 【ワシントン斉藤信宏】訪米中のギリシャのパパンドレウ首相は9日、ホワイトハウスでオバマ米大統領と会談し、投機筋による不透明な金融取引への規制強化を求めた。パパンドレウ首相によると、オバマ大統領は規制強化に前向きな姿勢を示したという。

 パパンドレウ首相が問題にしているのは、欧州で財政不安を抱えた国の国債を対象にした金融商品クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)の取引。CDSは焦げ付きの危険を回避するための保険商品の一種。市場では金融商品の焦げ付きの危険性を示す指標の役割も持つため、「債務危機をあおった」(パパンドレウ首相)と見られている。

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実朝暗殺を目撃?鶴岡八幡宮のイチョウ倒れる

2010年03月10日 | 川柳
 

実朝暗殺を目撃?鶴岡八幡宮のイチョウ倒れる

(この木をご覧になった方々には、なんとも辛い、いのちの終わりですね!

この樹齢800年とも言われる銀杏の木を前にして、己の命の短さとはかなさと、生命力のスゴサも教えてくれた木でもありました。源頼朝と北条正子を舞台にした鎌倉時代。鎌倉が大好き人間には・・・もったいない。)

 

倒れた鶴岡八幡宮の大イチョウ(10日、神奈川県鎌倉市で読売ヘリから)=菅野靖撮影

 10日午前4時40分頃、神奈川県鎌倉市雪ノ下の鶴岡八幡宮で、同県指定天然記念物の大イチョウが根元から折れて倒れているのを男性警備員が発見した。

 鶴岡八幡宮では、老木の大イチョウが雪を含んだ強風で倒れたとみて原因を調べている。

 県や同八幡宮社務所によると、大イチョウは高さ約30メートル、幹回り約6・8メートルで、樹齢800年から1000年以上。鎌倉幕府3代将軍の源<RB>実朝</RB><RP>(</RP>さねとも<RP>)</RP>暗殺の舞台として知られている。10日午前4時15分頃から断続的に「ドンドン」という音がし、同40分頃に大きな音がしたため、警備員が見に行ったところ、木が倒れていた。横浜地方気象台によると、当時、現場から最も近い辻堂観測地点(藤沢市)で最大瞬間風速11・2メートルを記録した。

 ◆鶴岡八幡宮の大イチョウ=社殿に向かって左側の石段横にあった。江戸時代の書物「鎌倉物語」などには、1219年に参拝を終えた鎌倉幕府3代将軍の源実朝を暗殺しようとした、おいの<RB>公暁</RB><RP>(</RP>くぎょう<RP>)</RP>が隠れたと記されている。1955年に神奈川県の天然記念物に指定された。

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仏勲章「夢のよう」と北野氏 文化相、自然体を称賛

2010年03月10日 | 川柳

仏勲章「夢のよう」と北野氏 文化相、自然体を称賛

共同通信2010年3月10日(水)09:41

勲章「夢のよう」と北野氏 仏文化相、自然体を称賛
(共同通信)

 【パリ共同】フランスのミッテラン文化相は9日、パリのカルティエ財団美術館で、映画監督でタレントの北野武さん(63)に同国の芸術文化勲章の最高章コマンドール章を授与した。文化相はあいさつで北野さんの映画作品に見られる自然体と自由さを称賛した。北野さんは「文化の中心パリにあこがれを抱いていた。(受章は)夢のようだ。自分がこの勲章に値するか不安だが、値するように一生懸命努力する」と喜びを語った。

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