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韓国文化の紹介。

韓国の散歩道 聖地チョルトサン(切頭山)

2006-04-07 08:15:36 | 写真

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韓江は、ソウルを半周して流れ、黄海にそそぐ大河である。

楊花津(ヤンファジン:津は船着場)は、韓江有数の名勝の地として知られ、古来より、

王族達の遊行の場所でもあった。

楊花津は、龍頭峰とも呼ばれた小高い山の麓にあった。龍頭山は、その名の通り、あた

かも、龍が頭をもたげた様な形をしている。

ここでは、その龍峰山が、切頭山と呼ばれるようになった経緯についてお話してみる。

朝鮮に天主教が入ったのは、日本よりもかなり新しく、二百年たらず前のことである。

当初、小規模の迫害を受けたが、それがおさまると、次第に信者の数を増して、1860年

当時、全国で2万人を超えるまでに至った。

その頃、朝鮮半島進出を狙う西欧列強は、盛んに開国を求めたが、李王朝は応じなかっ

た。

このため、フランスは、艦隊を韓江に乗り入れ、楊花津まで侵入させて、デモをおこなっ

た。

これに激怒した、時の権力者、興宣大院君(幼い王の父親)は、天主教徒の迫害に乗り

出すことになる。

全国から、約二万人の信者を捕らえ殺害したと言われている。

ここ、龍頭峰ではもっとも多くの信者が迫害を受け、首を切られて死んでいった。

爾来、土地の人々は、この山を切頭山と呼ぶ様になった。

韓国キリスト教教会は、名も無く死んでいった信者や、殉教した宣教師達を弔う場所とし

て、切頭山を、聖地と定め、迫害の歴史を後世に伝えるべく、受難百年後の1966年に、

全国の信者から浄財を募り、ここに、記念館を建立した。

会館日の初日には、ヨハン パオロ2世も同席してミサを捧げた。

今も、毎日、多くの巡礼者たちが訪れ、祈りを捧げている。