4年前の過去ログである。
幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。
戦争中は、昭和天皇は、現人神(あらひとがみ)として、崇め奉られていた。
現人神とは、人の形をして、現世に現れた神のことである。(詳しくは、wikipediaでお調べねがいたい。)
神であるから、当然、国民は、直接尊顔を拝す事は禁じられていた。
尊顔だけでなく、御影もである。
各学校には、奉安殿が設けられていて、その横には、必ず、薪を背負って歩きながら本を読んで勉強する、二宮金次郎の像があった。
その前を通る生徒たちは、最敬礼をして通り過ぎたものである。
普段は、御影はここにおさめられていた。
何かあると、御影を持ち出して、体操場の正面に安置して、教師生徒は、その前に整列させられた。
御影は見ることが許されなかったから、教師生徒達は、うつむいたままである。
御影の前に、布が下ろされると、皆、顔を上げた。
ポツダム宣言を無条件で受諾した日本は、それまでの、大日本帝国憲法を、民主的な日本国憲法に変更することを約束させられていた。
昭和21年の帝国議会で承認され、翌22年5月3日に施行された。
これにより、大日本帝国憲法は廃止され、日本国憲法となったのである。
日本国憲法により、天皇は、神ではなく、人間になった。
清水小学校の背後、美ヶ原のふもとには、有名な温泉があった。
松本に皇室関係者が来ると、必ず、そこに宿泊していた。
清水小学校の横には、温泉へ行く道が通っていた。
昭和天皇が、一度来られたことがある。
生徒たちは、道路わきに整列して見送ったが、車が近づいてくると、誰も、顔を上げることが許されなかった。
車窓には、重くカーテンが下げられていた。
車が遠ざかってから、顔を上げるのが許されたものである。
人間天皇になられてから、天皇は、車窓から、手を振って、国民の歓迎に応えられるようになった。
天皇が、国民に、身近な存在になられたと言う感じよりも、小学生のmcnjには、何か不思議な物を見るような気持ちであった。