日本一美味しいと言われている、山辺のブドウを送ってもらいました。
いつもの、ゴロニャンです。
早く入ってこいと、催促しています。
日本一美味しいと言われている、山辺のブドウを送ってもらいました。
いつもの、ゴロニャンです。
早く入ってこいと、催促しています。
朝日新聞の日曜版の記事である。
数年前の記事あるが。
画像が悪くて、お読みいただけないが、朝日新聞日曜版、デジタルで検索して、是非お読みいただきたい。
新天地を求めて満洲帝国建国に走った、男たちの、理想と挫折の物語を、長谷川一夫主演の映画、清水の次郎長の血槍富士に
重ねて解説したものである。
満洲帝国の実質的指導者、甘粕中将と、No.2の岸信介。
日本の敗戦濃厚となると、岸信介は、軍用機で日本本土へ逃れるが、甘粕は、敗戦を知り、拳銃自殺を遂げる。
岸は、極東軍事裁判にかけられるが、商工相時代、軍部が、満州の資源を、本土へ運んで、戦争には使うように強要した時に、
満州国の資源は、満州国のために使うべきだと反対したことが評価されて、罪一等を免じられ、絞首刑を免れて、禁固刑で、
巣鴨刑務所に収容された。
刑期を終えて、風呂敷包み一つを抱えて、出所して、不安そうに周囲を眺めている姿が、週刊誌に乗っていた。
後に、安倍晋太郎は、岸の女婿となった。
晋太郎の息子、晋三は、岸信介DNAを受け継いでいるといっても、過言ではなかろう。
8月15日、いろいろな、報道番組がありました。
大変勉強させていただきました。
皆さんは、いかがだったでしょうか。
沖縄ひめゆりの塔に関しての、令和天皇のお言葉が、印象的でした。
過去に、いろいろなことがあった。
戦争を知らない世代は、それを学んで行かなければならない。
4年前の過去ログである。
幼い昭和の戦争の語り部の記憶である。
昭和20年8月15日、日本は負けた。
もう、戦争は終わった。
そんな意味のことを、兄たちから聞いた。
mcnjが小2の時である。
午前中だったと思うが、学校は無かったのだろう。
一番上の兄が、父親の自転車を引っ張り出して来て、後へ乗れと言った。
なんのことか、理解できないまま、自転車でどこかへ連れていかれた。
大勢の大人たちが集まって来ていた。
兄は、その中に混じって、じっとラジオを聞いている様だった。
ひどい雑音で、耳を澄まして聞き入っても、よく聞き取れなかった。
仮に、聞き取れたとしても、mcnjには、その意味する所は理解できなかったであろう。
やがて、また、自転車に乗せられて、家へ戻った。
父は、仕事に行っていたのだろうか、夕方帰って来て、3人の兄達と、ボソボソ語り合っていた。
これからどうなるのか、予測は着かなかったが、4人の、深刻そうな顔から、何か、大変な事態が起こりそうだと言うことは分かった。
それからあとのことは、良く覚えていない。
翌日、学校で、どんな話があったのか、不思議なことに、あまり記憶が無い。
実際、何も無かったのだろうか。
敗戦と言うものに対する、小学2年生の記憶と言うものは、その程度のものだったのかもしれない。
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本シリーズの戦中に関する記憶も、本稿が最後となった。
信州の山の中の田舎の出来事を、小学一年生が見聞した、幼い記憶である。
本来なら、降りかかる焼夷弾の中を逃げ惑う母子の記憶、火を引いて飛んで行く艦砲射撃の記憶、焼け跡に呆然と
佇んで、周りを見渡している記憶などを書ければよかったのだが。
願わくば、mcnjより年長な方、都会で経験された方々の、語り部としての記憶を書き残していただきたいものである。
次稿より、もうしばらく、戦後の記憶を書き残しておきたい。
ブログのお友達の、ローリングウエストさんの、昭和の戦争に関するブログのURLです。
是非とも、ご覧になってください。
<2015夏>「戦後70年」の節目https://rolingwest.exblog.jp/24448508/
「松代大本営の探訪」https://rolingwest.exblog.jp/23938746/
東京都慰霊堂を訪ねて https://rolingwest.exblog.jp/17492015/
川崎の桜(春爛漫レビュー)&戦後70周年を迎えてhttps://rolingwest.exblog.jp/23729952/
大型台風10号が去っていった翌日、台風一過とは言えませんが、青空が、みえてきました。
たっぷりな雨をっもらって、土手の花達も、元気いっぱいです。
2にゃんです。
アテの催促です。