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花、蝶、ペット、旅行など。
韓国文化の紹介。

台風10号

2019-08-16 00:00:06 | 日記

ノロノロ台風、10号が来ていますね。

広島市付近に上陸した様です。

皆さんのところは、被害はありませんでしょうか。

お気を付けください。

当方は、待ち焦がれていた台風でした。

土手が干上がっていたので、どうしても、一雨欲しかったのです。

昨日は、一雨ありましたが、大した雨ではありませんでした。

今日も、今か今かと待っていたのですが、なかなか降ってくれましたが、くれませんでしたが、ようやく、

降ってきました。

かなり降りそうです。

 

午前中の雲行きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コスモスも百日草も、しなやかに耐えています。

 

 

 

 

 

キタキチョウが、百日草の陰で、潜んでいました。

 

 

21:00です。

台風は遠ざかりましたが、まだ、かなり降っております。

十分降ってくれました。

有り難い台風でした。

 


来客、土手の様子、2019.8.中旬、戸隠のそば

2019-08-15 00:00:10 | 日記

孫たちが、集合してくれました。

 

 

 

 

写真はこれしかありません。

鈴鹿山系の、朝明渓谷へ、水遊びに行ったそうです。

 

 

台風が接近中の、盆の入りの土手です。

 

 

雨が一滴も降らないので、コスモス、百日草が、枯れ始めました。

水遣りをしても、焼け石に水です。

それでも、やらないよりはましですので、やっております。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

オイランソウは、まだ、頑張っています。

 

 

 

 

 

信州の親戚から、戸隠のそばを送ってきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


戦後70年の記憶(過去ログ)、教科書

2019-08-14 00:00:00 | 日記

4年前の過去ログである。

幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。

 

 

今の子供達は、幼稚園児の頃から、ひらがなやカタカナを覚えている。

TVやゲーム機の影響である。

あの頃の小学一年生は、全く字を読めなかった。

小学一年の教室へ入って、渡された教科書が、字に接する最初の機会であった。

まず、字と言う物が何であるかから、教わった。

それから、文を読まされたのであった。

しばらく、字を覚えさせられてから、国語の教科書を読まされた。

mcnj達の国語の教科書である。

サイタ

サイタ

サクラガサイタ

キレイダナ

こんな文章だったと思う。

これは、毎年違っていたかもしれない。

アカイ

アカイ

ユウヒガ

アカイ

こんな教科書もあったそうだ。

先生から、読んでみろと言われて、皆、苦労したものであった。

必死になって読んでいた。

サイ

タサイ

タサクラガサ

イタキ

レイダナ

読み終わって、ホッとして席に腰を下ろしたやつもいた。

そんな奴が、後に、一流大学に、入学したのである。

 

 

今宵の月。台風前。

 

 

 

 

 


嬉しい贈り物、2ニャんの近況

2019-08-13 00:00:00 | 日記

ブログの友達の、おばさんさんから、嬉しい贈り物です。

駿河湾名産の、シラスです。

 

 

こんな立派なものを、3パックも、送っていただきました。

ありがとうございました。

 

 この暑さでは、2ニャンも、鵜だっています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほらほら、気を付けないと、危ないよ。

 

 

 

 

 

 


戦後70年の記憶(過去ログ)、迷彩

2019-08-12 00:00:00 | 日記

4年前の過去ログである。

幼かった、昭和の戦争の語り部の記憶である。

 

終戦になり、戦前、戦中教育は終わりを告げた。
このことは、過去ログ松本開智学校でもとりあげた。↓
http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=d939cd0f1dc9ff23424ba916c1514266&p=1&disp=50

mcnjが2年の時、敗戦となった。
進駐軍が進駐して来ると、日本政府の教育方針の間違いが指摘され、教科書が訂正された。
訂正と言っても、書き直したり、再発行されたわけではない。
今まで使っていた教科書の、都合の悪い所だけ消して使えと言うのであった。

昨日まで、教師が、ここは大切なところだから、良く、覚えよ、と言って教えていた所を、ここは、間違いである。
消せ、と言うのである。
授業中に、硯で墨をすらせて、教師が消す箇所を読み上げ、生徒が筆で、その通り消すのである。
mcnjは、四男坊であったから、教科書は、上から払い下げて、順番に使わせられていた。
自分の使っていた教科書は、自分で消して使ったが、何年か後では、もう、消されていた教科書であった。

日本が、敗色濃厚の時であった。
信州の田舎の松本も、空襲が近いと言うので、その対策を迫られた。
学校には、軍隊が避難していると言うことは、米軍のことだから、当然、承知していたはずである。
軍部は、上空から、飛行機に発見され無いように、校舎の屋根に、迷彩を施すと言うのである。
その頃は、軍部でも、物資が払底しており、屋根に塗るペンキにも事欠いていたらしい。
図画の時間に、生徒に持って来させた絵具を、必要な色だけ各人に溶かさせて、兵隊たちが、バケツに入れて回収して行った。
それからしばらくは、兵隊たちは、校舎の屋根の上に上がって、毎日のように、迷彩を施していた。