ニコンとペンタックス、マニュアル一眼レフカメラ
ブラックペイント塗装がイイ感じに剥げたアサヒペンタックスS2を手に入れました。
レンズは東ドイツ製、プリマゴン35mm/f4.5です。年代物ですが、きれいな状態です。
絞りはオートではありませんが、ストッパーが付いていてセットした絞り値を見ることなしにリングを回してセットできます。
これは同じくM42マウントのオート絞り機構のあるタクマ―135mmです。AUTOとMの絞り切り替えができます。AUTOにしておくと、ファインダーは開放で見ることができて、シャッターを押した時にセットした絞り値になります。絞るためのシャッターと連動したピンがあります。
ボディーはペイント塗装で、かどが剥げて地金の真鍮が見えています。これがイイんだなぁ。角は擦れて剥げていますが、平面の塗装は腐蝕してザラザラになっています。
同じブラックのペイント塗装のニコンフォトミックFTn(TTL中央部重点測光/レンズから入った光を視野の中央部を重点的の測定して露出を算出する)です。こちらは比較的キレイな状態です。ペンタックスには、スーパータクマ―28mm/f3.5を着けてます。ペンタックスはボディーもレンズもニコンに比べると小さくて軽く、取り扱いが楽です。その分ちょっと、軟なところはありますが。
この28mmはカビカビだったので、分解してクリーニングしました。
特に真ん中の絞り周りのレンズがカビることが多いです。絞り機構があるので、空気や湿気が入りやすいのでしょう。
ニコンFアイレベルとペンタックスS2です。ニコンFはペンタックスよりだいぶ大きいし、重いです。手前は、フォトミックファインダーです。
ニコン(日本光学)は当時(1950年代)コンタックスを手本にレンジファインダーカメラ、ニコンSシリーズを造っていたのですが、ライカが同じレンジファインダーカメラM3を出して「あーダメだ。レンジファインダーカメラでは、太刀打ちできない」と、一眼レフカメラを作りだしました。それが写真のニコンF(アイレベル)です。このニコンFはファインダーが交換できるシステムカメラで、同時に露出を解放測光(レンズの絞りを解放した状態で絞った時の適正露出を表示する)で測定し、ファインダー内で表示するフォトミックファインダーも発売されました。(最初のモデル、フォトミックTファインダーは、外着けの露出計で測定するものでした)
このニコンFの完成度は非常に高く、その後日本はカメラ大国の名を欲しいままにしました。それまでプロカメラマンや報道写真家のカメラは、ほとんどライカに独占されていたのですが、ニコンFが発売されるとライカは圧倒されてしまいました。
ー日本光学のうんちくー
第二次世界大戦(太平洋戦争)の時、当時の世界最高性能、最強と云われた日本海軍の戦艦大和、艦橋の頂上に世界最大の測距儀が設置されていました。測距儀は左右先端部の光学光路窓からの視界の二重像を合致させることにより敵艦までの距離を測定するものです。左右の窓が離れていればいるほど、距離は正確に測定できます。ですから、大きいことには意味があるのです。
これはレンジファインダーカメラの測距方法と同じです。と云うか、測距儀の機能をそのままカメラに取り入れたのがレンジファインダーカメラです。この大和の世界最大の測距儀を作ったのが、当時の日本光学です。
さらにこの測距儀の凄いところは、アナログの光学コンピュータの機能を備えていました。測定した距離を、これも当時世界最大の主砲(46cm)の仰角に変換して表示するシステムです。敵艦までの距離を測距儀で測定すると同時に、それに届く主砲の仰角が算出され、迅速な攻撃が可能となるのです。これも、日本光学が製作しました。
ちなみに大和主砲の射程距離は40㎞を超えています。40㎞といえば海上では水平線を超えた向こう側です。そのような長距離の測定をするため、大きくて高性能の測距儀を備えていたのです。敵艦のマストの先端でも見えれば測距儀で距離を測定し、水平線の手前、敵艦からは隠れて見えないところから攻撃できたわけです。なので当時の戦艦など長射程砲を備えた戦闘艦の艦橋は高く作られていて、その先端部に測距儀が設置されていたのです。高い位置からは水平線のより遠くまで見渡すことができるからです。
第二次大戦当時最高の光学メーカーはドイツのカールツァイスですが、これにも負けないくらいのメーカーが日本にもあったのです。そしてそれら技術の運用を総合的に考えることができる力を、その当時から日本は持っていたのです。
そんなこんなで私、ニコンには思い入れがあります。
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