日本語の小説の一幕。用があって飲食店まで会いに来た人に、店員が「看板までいてください送りますから」と伝えた。それを聞いた店主は「看板までいなくても、早く送って行きなさい」と声をかけた。
店内に入って来てほしくないから、「看板のところで待っててください。見送っていきますから」の意味なのかな?いやいや、文脈から、明らかに「看板まで」は「出口まで」や「駅まで」のように場所を指している雰囲気ではない。
長年の勘で、「看板まで」は「看板をしまう、閉店」くさいなぁ。ネット検索したところ、正解でした。「お客さん看板ですよ~」と、閉店間際にお客さんの帰宅を促すためにいうのだとか。
常々、日本語は名詞さえ表に出しとけば事足りる言語と使ってて感じるが、その実力を鮮やかに見せつけられる一例となった。
ちなみに「看板までいてください送りますから」を中国語に訳すなら「你留下來等我下班,我送你」。「お客さん看板ですよ~」は「先生/小姐,我們要打烊囉!」かしら?
やはり名詞中心的な日本語と違って、中文は述語(動詞/形容詞)が表現の中心の言語だな。
ところで、普段は飲み歩かないので、「お客さん看板ですよ~」と言われる実体験はいまだにないが、かりにその機会が巡ってきたら「私は看板じゃないですよ〜」って返してみようかな。
台湾華語・台湾中国語は任せて!台湾人による中国語教室・翻訳・通訳サービス T-Chinese
店内に入って来てほしくないから、「看板のところで待っててください。見送っていきますから」の意味なのかな?いやいや、文脈から、明らかに「看板まで」は「出口まで」や「駅まで」のように場所を指している雰囲気ではない。
長年の勘で、「看板まで」は「看板をしまう、閉店」くさいなぁ。ネット検索したところ、正解でした。「お客さん看板ですよ~」と、閉店間際にお客さんの帰宅を促すためにいうのだとか。
常々、日本語は名詞さえ表に出しとけば事足りる言語と使ってて感じるが、その実力を鮮やかに見せつけられる一例となった。
ちなみに「看板までいてください送りますから」を中国語に訳すなら「你留下來等我下班,我送你」。「お客さん看板ですよ~」は「先生/小姐,我們要打烊囉!」かしら?
やはり名詞中心的な日本語と違って、中文は述語(動詞/形容詞)が表現の中心の言語だな。
ところで、普段は飲み歩かないので、「お客さん看板ですよ~」と言われる実体験はいまだにないが、かりにその機会が巡ってきたら「私は看板じゃないですよ〜」って返してみようかな。
台湾華語・台湾中国語は任せて!台湾人による中国語教室・翻訳・通訳サービス T-Chinese