愛情を1つまみ

2009-04-02 21:38:48 | 日記風
 外食というか、お弁当食が多かったせいか、手作りに憧れるようになりました。
 自分で作ればいいというだけです。

 でも毎日となるとなんかできない。
 野菜は買っても、趣味・腐らせることになりがちです。

 作る時は作るんだけどなんかせわしない日々が続くとつい億劫になってしまう。
 個食の運命なんてそんなものかもね。

 冷凍庫に入れて置くこともあるんだけど、どうも始末の仕方が悪いらしくて冷凍庫臭くなってる。

 そうするとお惣菜だけ買ってきてご飯だけ自分で炊いてがいいみたいな気がしてくる。
 そのご飯だけ自分で炊いての調節がまた上手く行かない。肝心な時に、炊いたご飯が、あらないわ、となる。

 そうすると全部ついてるお弁当がいいって話に戻るのよ。
 意外と全てのことって理にかなってた。

 それに下手に自分で作るよりガス代だのなんだの、かかる料金と手間を考えると惣菜や弁当にする方が安上がりらしいですわよ。

 お菓子作るのに凝ってる時しみじみ感じました。
 買ってきた方が安く美味しい。

 それでもいい、冷凍庫臭くてもそろそろくたくたになった野菜でも自分で作りたーいと切望する時があります。
 そうすると本当に手間の掛からないものだけ作ります。

 料理の腕なんか落ちる訳です。
 これで上がったら奇跡です。
 煮物なんてやり慣れてないと本当に下手になりますよね。
 焦げるかスープとなるか、本当に初心者が起す過ちのオンパレードになります。

 冬の頃は鍋に凝ってもいましたが、具が同じになるし。少し変えようとか豊富にしようと買った途端、しばらく料理を作ることがなくなる。

 凄い悪循環だったわ。だから少量の野菜で鍋をやろうとすると、多分これはただのスープだと思う、となるのです。

 意味が判らない。

 上手くなりたいと思ったら人に食べさせる料理を作ることです。愛情を1つまみなんて言いますが、あれは正解だと思います。
 そういう気持ちがいい料理を作らせるのよ。家庭料理はそれで十分です。

 自分自身を「きっと料理が上手く出来るわ」ってマジックにかけるのは最後に振り掛ける愛情1つまみが自分自身にも降りかかっているからよ。

 今はそれをかけてる暇がなんかないわ。

 

花達のバトンタッチ

2009-04-02 18:13:39 | 日記風
 街を歩くと花が咲き出しています。
 その先端が桜と言えますが、今はのんびり桜探しをしている余裕がありません。

 でも3月の冬でもちゃんと咲いていた花はあった。それがその花の時期だから。寒い街にかすかでも彩りを与えている大きな功績を残してた訳よ。

 それが時期を過ぎ枯れていく中に次の季節の花が既にスタンバイを終え咲き誇りだしている。

 狭い1メートルくらいの敷地の中で、冬の花から春の花へバトンタッチがされている。

 それはなんだか奇妙な光景です。枯れ衰えて行くと言うものは複雑な心境を時に抱かせます。
 
 立派に花咲き自分の役目を終えただけなんだけど。
 今咲き誇る花を目の前にして枯れ行く花を見るとね・・・。やっぱりいろいろ複雑よ。
 次、頑張ってねって、しっかりバトンを渡しだけかも知れないのに。

 もう少しして時間が出来たら桜を追ってみましょうか。
 いつもの桜が咲く場所に人々が集まりそりゃ華やかなものです。
 そんな所へ混ざってみようかと思います。

春のスタートライン

2009-04-02 00:00:00 | 日記風
 100年に1度の不況と言われ、厳しい今年を逆手にとって伸びゆく人もいます。

 そう、そう思った時もあった。
 日常の細かな出来事の中で越えていかねばならない物事の中でそんなこと忘れてましたけど。

 そういう発想に立ち返りたい。
 返る必要があるのかな。

 いろいろ越えないいけない細かなことがあるとつい、先が見えなくて、本当に大丈夫なのかと不安ばかり押し寄せてくるんだけど。

 そういう意味で1番怖いのは日常って奴ね。巻き込まれると出口がない。とにかく淡々とこなしていくしかないんだけど、これがそんなに生易しくなくてこなしている内に「結局私は何をしているの?」と思わせること再三なの。

 私の敵は日常生活なのね。

 と、日常マジックにかかり先が全く見えなくなっている4月にさしかかった私は思うの。
 
 雷が鳴ったらしいですね。家に言っても一瞬もしやと思った音がした。
 この所、天気予報当たってますね。鳴るって言ったら本当に鳴ったわ。

 これも春のスタートラインをきる音と聞いて、飛び出してみようか。