知人が出てたので観劇しました。
でも、寺山修司さん作の舞台を1度ちゃんと観てみたかったのと、三輪明宏さんを1度観てみたかった、そのダブルチャンスが1度に叶いました。
ひと言で言うと、元気になりました。
妙にその晩から元気になりました。
それが芝居の本来あるべき姿なのだと思います。
寺山修司さんのお話は以前も読んだことがあるのですが、その時もちょっと異質な気がしたんだけど、今回もそれは同じ。
まして寺山さんが三輪さんの為に書いた伝説的名作と言うと・・・。
凄いです。
1番凄いのは、これを寺山さんは60年代にお書きになっていたこと(初上演としては67年と思われますので、書かれたのはそれよりは前ってことですね)
既に故人となられていますので内容を変えている可能性は少ない・・・でしょう。
だとすると芝居は時を越え、その声を今に運ぶ。まさにそうです。
寺山さんは『言葉の錬金術師』と言われていたようです。
そうですね。そう感じる節は多々あります。
三輪さんの為にって付くくらいだから、内容としては今で言うオネエ系の方達のバイブルになっておかしくないものです。それを60年代に既に作っていたわけだから・・・。
舞台装置、衣装の華やかさ、それに何より三輪明宏さん力。この三輪さん力の凄さね。
モーニング娘。の「LOVEマシーン」って歌があんなに凄いとも思わなかった。(劇中出てきます)
でもある1点からつかさんを目茶苦茶思い出した。
年代的に言えばつか先生の方が10年くらい後に出てくてることになりますが、70年代と言う時代の中で「お前は誰派だ?」と言いあっていたもんだと以前この時代に青春を送っていた方から聞いたことがあります。
寺山派だったりつか派だったり、また違う作家派だったり。それぞれが愛してやまない劇作家のお1人が寺山さんと言う方だったようです。
でも、お芝居の力ですよね。とにかくそれです。
こうあるべきだと思うのです。
エンターテイメントですからね。その生命を全うしてます。なすべきことをきちんとしている。
今、いろいろありまして、1本の本を書いておりますが、うん、甘い。改めて思います。
エンターテイメントに徹してないんだろうなと思ったけど、そうだね。徹してない。それが弱さとしてボロボロメッキをはがしてる、今の私がそれだ。
ちょっと気持ちに区切りがついたと言えばそうだと思います。
新たな気持ちで芝居にしても他の物を書くにしてもそれと向かい合わせてくれるのなら、演劇の力はやはり恐ろしいのです。
魔物が巣食う。まさしくそんな世界です。
それがきら星のように燦然と輝く、その1点がこの『毛皮のマリー』というお芝居でした。
でも、寺山修司さん作の舞台を1度ちゃんと観てみたかったのと、三輪明宏さんを1度観てみたかった、そのダブルチャンスが1度に叶いました。
ひと言で言うと、元気になりました。
妙にその晩から元気になりました。
それが芝居の本来あるべき姿なのだと思います。
寺山修司さんのお話は以前も読んだことがあるのですが、その時もちょっと異質な気がしたんだけど、今回もそれは同じ。
まして寺山さんが三輪さんの為に書いた伝説的名作と言うと・・・。
凄いです。
1番凄いのは、これを寺山さんは60年代にお書きになっていたこと(初上演としては67年と思われますので、書かれたのはそれよりは前ってことですね)
既に故人となられていますので内容を変えている可能性は少ない・・・でしょう。
だとすると芝居は時を越え、その声を今に運ぶ。まさにそうです。
寺山さんは『言葉の錬金術師』と言われていたようです。
そうですね。そう感じる節は多々あります。
三輪さんの為にって付くくらいだから、内容としては今で言うオネエ系の方達のバイブルになっておかしくないものです。それを60年代に既に作っていたわけだから・・・。
舞台装置、衣装の華やかさ、それに何より三輪明宏さん力。この三輪さん力の凄さね。
モーニング娘。の「LOVEマシーン」って歌があんなに凄いとも思わなかった。(劇中出てきます)
でもある1点からつかさんを目茶苦茶思い出した。
年代的に言えばつか先生の方が10年くらい後に出てくてることになりますが、70年代と言う時代の中で「お前は誰派だ?」と言いあっていたもんだと以前この時代に青春を送っていた方から聞いたことがあります。
寺山派だったりつか派だったり、また違う作家派だったり。それぞれが愛してやまない劇作家のお1人が寺山さんと言う方だったようです。
でも、お芝居の力ですよね。とにかくそれです。
こうあるべきだと思うのです。
エンターテイメントですからね。その生命を全うしてます。なすべきことをきちんとしている。
今、いろいろありまして、1本の本を書いておりますが、うん、甘い。改めて思います。
エンターテイメントに徹してないんだろうなと思ったけど、そうだね。徹してない。それが弱さとしてボロボロメッキをはがしてる、今の私がそれだ。
ちょっと気持ちに区切りがついたと言えばそうだと思います。
新たな気持ちで芝居にしても他の物を書くにしてもそれと向かい合わせてくれるのなら、演劇の力はやはり恐ろしいのです。
魔物が巣食う。まさしくそんな世界です。
それがきら星のように燦然と輝く、その1点がこの『毛皮のマリー』というお芝居でした。