2021年 1月18日
大阪水曜ほっと集談会
副代表幹事 てっちゃん
今週のある日、いつものように気持ち良く熟睡し、朝を迎えました。
寝起きに、突然、妻が私に「私の疲れの原因はすべてあんたや!」と言いました。
あまりの突然の発言に、言葉を失い、約10分ほど考慮していました。
そして、ゆっくりとその発言の真意を聞きました。
そうすると、このコロナ禍に於いて、私の感染対策が出来ていない。
大阪も緊急宣言が発令される予定であり、大阪も爆発的な感染拡大(日によっては、500人~600人感染者が急増している)が続いている。
そして、身近な人にもそういった感染者(陽性者)の情報が聞かれるようになり、徹底的な対策をしないと、危険であると、妻の感染の恐怖はマックスに至っているようだ。
しばらく言い合いになったが、すぐに白旗をあげて、以下の行為をすることで手打ちをしました。
「外出から自宅に帰る際、玄関の前にて指を中心にジェルで消毒をしてから、おもむろに玄関ドアーを開けて入る。
入ると同時にズボン等に噴霧をかける。
その後、コートを決まった場所に吊る。手袋していた場合、指定の場所に手袋を吊す。
その後、洗面所にて石けんで手を丁寧によく洗う。」この順序をしっかり守ることを約束することで、妻の怒りは、ある程度収まりました。
同居中の高齢(90歳)の義母へ妻の献身的介護は、2年を過ぎ、特に昨年からのコロナ禍で、妻の疲れは倍増しています。
(我が家にて、義母と我々夫妻の3人)
コロナ感染から1年近く経過し、コロナ疲れが蓄積する中で、ある疫病の専門家の意見によると、両極端になる人が増えているという。
- 過剰に不安に陥るか
- 楽観バイアスが働くか(特に若い人に多く、自分は大丈夫だ。自由に動きまくって陽性になっても、無症状なので感染を拡大させる。)
多くの人が感染当初から頑張り過ぎて、過剰反応を続けてきた。
この状態がさらに続くことで起きる弊害が心配される。
なぜ過剰反応を続けなければならないのか?
人間は、そういつまでも緊張の中で頑張れるものではない。
私の妻も、性格的にも純粋に利他的に出来る人間であるだけ、老々介護から燃え尽き症候群的に、斃れる可能性(長期の介護による共倒れ)も見いだしていて、心配の種は尽きません。
出来るだけ、妻の要望・要求に従いながらも、こちらのストレスもうまくコントロールしていくことが肝要(妻もそうするように薦めています。)であると感じています。
このように、緊迫の非常事態状況においても、楽しみ方の工夫が大事です。・・・つまり、生き甲斐を見いだす「ユーダイモ二ア」※を求めて、自分の中でコツコツ積み重ねて進歩をしていったり、熱中できる世界を持つことが大事であると考えています。
※「ユーダイモ二ア」(心理学用語)とは・・・自己実現や生き甲斐を感じられることで得られる幸せのこと。
苦難と試練が幸福度をよりアップさせる。
・『天命に生きる人が増えれば社会は変わる』
資本主義と工業化・情報社会の先にやって来る『共感社会』『共感資本主義』とは、われわれがコロナ禍の体験を経てコロナ以前に戻ることがないとするなら、森田的にも、不安神経症、普通神経症、強迫神経症が増加する中、共感と、自覚、体得(利他心の発露含む)をなすことによって、新しい社会(共感社会)を構築していく使命が与えられていると解釈したい。
皆様一世です、久しぶりのてっちゃんの投稿いかがでしたか?
時代を読み解く深い眼識と家族愛を感じます。
是非発見誌に掲載を依頼したいと思います。