今日から仕事始めの大阪水曜ほっと集談会一世です。
休むと生活のリズムが崩れ内面に目が向きやすいのである意味ほっとしています。
かつてのワーカーホリック(仕事中毒)の名残でしょうか?
昨日は神社に初詣、吉と出ましたが方向性を間違い精進しなければ大凶と書かれていました。
最近家族や夫婦間の問題が原因で、様々な痛ましい事件や事故がニュース番組の一面を飾ります。
家族は愛情が深い分、ふとした行き違いで憎悪や怒りもすさまじく、半端ない感じがします。
神経質者だけではなくて日本人全体が、かくあるべしで自縄自縛になっていないでしょうか?
他人ごとのように書いている私も大晦日に、家族連れで遊びに来た娘にこのように言われました。
孫娘が泣くので、もう少し穏やかな顔をしてほしいと。
私の顔が怖いと言うのです。
ほっといてくれ!
元々こんな顔じゃ!
と言いたいところをぐっとこらえて、正月からかなり反省をした私です。
顔から転倒してから、傷も出来て笑顔が消えていたのは事実です。
「和顔愛語」という言葉があります。
和やかな顔と思いやりの言葉で人に接するという意味があるそうです。
職業柄、それなりに演技が出来ていたと思っていた浅はかな私です。
やはり、本心からの笑顔でないと身内には、見破られます。
特に子供は本当に顔色をじっと見ている事があります。
親の不安や苛立ちが、投影されてしまうのです。
優れた資質の神経質者ですが、自分の悩みに翻弄されて、ついつい余裕のない厳めしい顔になることがあります。
私も残念ながら、子育ての渦中はそのような人間でした。
子育てが終了した今、その成績表はすべて不合格に近い厳しい点数です。
全ては因果応報とわかりながらも残念でなりません。
せめて、孫には将来合格点がもらえるように、正月からひたすらいないいないばぁ!の練習をしている変な私です。
2021・1・2 一世