「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

9月17日(火)20時~・9月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会を開催します

永訣の朝

2022年01月10日 07時42分29秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

今日は成人の日、これから人生を歩んでいく若者にとっては、夢と希望に充ち溢れた日ですね。

だが私にとっては、生涯忘れる事の出来ない悲しい日でもあります。

今から4年前の今日、その日はおりしも寒波の影響でことのほか寒く凍てつくような厳しい朝でした。

早朝勤務をしていた私は、職場にかかってきた自宅からの電話に直感で、ただ事ではないと感じました。

悪い予感は当たり受話器の向こうで両親がパニックになっていることがわかりました。

たった一人の兄弟である弟が、事故にあったようだと聞かされました。

実際は、くも膜下出血による突然死でした。

弟は、単身赴任先で倒れたため、関東在住の家族もまだ来ておらず、自分が何とかしなければという思いでした。

冷たくなった弟と対面してもリアリティがなく、半狂乱になっている母を見ながら心は不思議と冷静でした。

やがて、妻子が到着し通夜と告別式の日取りを決めました。

運命とは残酷で、その日は以前から、弟と二人で父母の喜寿の祝いをしようと計画し家族4人で、下関に旅行に行く手はずになっていました。

これは現実なのかと自問自答しながら、何とか通夜と告別式を無事終えました。

一人自分の部屋に入ったとき、こらえていた思いがあふれ出て、やがて嗚咽に変わりました。

偶然にも翌日が、ある集談会の開催日で、自宅に居ると変になりそうで忌引き休暇を使い参加しました。

自己紹介での私の話を皆様真剣に聞いていただき、涙が出ると言われた方も有りました。

今でもその集談会の皆様の温かさには感謝をしております。

私よりも数段優秀で、人間としての徳があった弟が、なぜこんなにも早く来世に旅立ったのか。

怒りや無力感で押しつぶされそうになりました。

自分の事ばかりで、兄として何一つしてやれなかった後悔が今でもあります。

改めて今、神経質症の苦しみの本質は、症状のあるなしや精神・身体の痛みに留まらず、生きることの根源的な苦しみ即ち「生老病死」の苦しみに通じると感じています。


2022・1・10 一世


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