
大阪水曜ほっと集談会一世です。
もうすぐお盆がやってくる。
東京では、7月15日だったと聞いている。
関西は8月14日~16日をお盆と呼んでいる。
迎え火で故人を迎え、送り火で故人を送る。
私は必ずお盆はお寺にお参りしている。
ちなみに天国のことを仏教では、浄土というらしい。
浄土とは、一切の煩悩やけがれを離れ、仏や菩薩が住む清浄な国のことらしい。
5年前に病から突然別れた弟もその浄土とやらに住んでいるのであろうか。
彼が帰ってくるのであれば、毎日お盆であればよい。
これは個人ブログではない。
ブライベートなことは極力控えたいと思う。
しかしながら自分の日常を語らずして私の森田はない。
人様のことをどうのこうの言える立場でも器でもない。
そう思い敢えて機微な事にも触れてきた。
誇れるような人生ではないが、生活の発見会(森田療法)との出会いの無い人生は考えられない私にとって、プライベートを少しだけ晒しながら私なりの森田を語る。
かつてパニックで混乱の最中、真夜中に私の苦しみを黙って聴いてくれた弟。
兄貴どうしたんや?
彼の声を聴くだけで気持ちが落ち着いた。
お盆が来るたびに、穏やかで優しかった彼の声が時折聞こえて来るような気がする。
私の幻聴であろうか?
森田博士の「自覚と悟りへの道」には、戦争でたった一人の弟さんを亡くされた記述がある。
私の手で1人前の医者にし、仲よくやってゆきたいと思っていたので、ひどく力を落としたのであります。
その後、10年ぐらいは弟が死んだということを、どうもはっきり考えることができないのです。
ひょっとしたら捕虜にでもなっていて、ひょっこり帰って来るのではないか、と奇跡をあこがれるというふうであります。
同じ年ごろの兵隊を見るたびに、そういうことを考えました。
生老病死の問題に向き合わない理論を切り取った森田には何の関心もない私です。
ふと発見会の若い会員を応援したい気持ちは弟と重なるからかもしれないと思った。
私の森田は極めて人間的な、ありふれた生活の中にある森田です。
薄給の私に弟がくれた高級ブランデーは今も封を切らずにそのままである。
もう一度だけ、もう一度だけ兄貴と呼んで欲しかった。
2022.7.23 一世
