大阪水曜ほっと集談会一世です。
物忘れがひどく、トホホな私です。
昨日仕事でマンションの10階を何げなく訪問しました。
ちらっと下を見た瞬間、恐怖で足がすくんで動けなくなりました。
私は高所恐怖症であることを忘れていたのです。
症状まで忘れているとはと、思わず笑ってしまいました。
そういえば還暦前から年齢を忘れて、少年時代のように飛び降りたり、炎天下で馬鹿みたいに作業に熱中しておりました。
ふと思い出しました。
森田博士もそういえば症状を忘れて、今現在になりきるという表現をされていましたね。
神経質という性格が変わるわけではない。
怖いという感覚がなくなるわけでもない。
けれどもいつの間にか、目の前のやらなければならないことに集中している状態、それがすなわち治ったことと同じではないか、改めてそのような気づきがありました。
若い頃にとことん苦しめられた雑念恐怖も今はありません。
救急車にお世話になったパニック発作もありません。
なくなったのではなく、忘れているのです。
その代わりに、実は自分は本当は60代ではなく、10代ではないかという妄想があります。(笑´∀`)
であるならばこれからが青春であります。
サミュエル・ウルマンというドイツの詩人が、詩「青春」の冒頭で有名な「青春とは人生のある時期ではなく、心の持ち方を言う」というメッセージを残しています。
そのような強がりを言いながら、目がしょぼしょぼ、腰痛に、手のしびれ、夜中にトイレに3回も、起きてしまう情けない私です。
ああ、願わくば嫁恐怖症も忘れたい。(泣)
※今日の森田博士の言葉
強迫観念なりを治したい、苦しみをなくしたい、と思うのは当然のことであります。
しかし神経質症の場合「それはもともと病気ではないのだから治すべきはずのものではない」ということを知れば、不眠や強迫観念はあっても、それを度外視して普通の人のように働くことになります。
そのうちに仕事に心を奪われて治そうとすることを忘れるようになります。
そうなって初めて治るのであります。
2023.10.31 一世
※自覚と悟りへの道 P91~92より抜粋