
大阪水曜ほっと集談会一世です。
年末になると全国でベートーヴェンの第九交響曲が演奏されます。
このシンフォニーの最大の魅力はいつもは主役のオーケストラが、このときばかりは脇役に回り、合唱団が奏でる人間の声を最高に引き立てるのです。
ところで自助グループ活動をする中で、相談者と聞き手の関係性で違和感を感じていたことをお話したいと思います。
いわゆる森田理論という一つの基準に当てはめようとする動きです。
悩みは同じでも、置かれている環境や遺伝的な素因が違う、その背景を無視して、私の森田理論ありきで、こうであるという、無神経なアドバイスに違和感を感じてきたのです。
本来、森田療法を学べば学ぶほど、心の柔軟さを手に入れるはずなのですが、反対にかたくなに自分の森田理論に、こだわり融通性を失う人がいます。
若い世代に森田療法を正確に伝えることを阻んでいる、一因ではないでしょうか?
なぜそうなるのか?
以前にもご紹介しましたが、白揚社より出版されている、
※「強迫神経症の世界を生きて」という書籍があります。
その中に以下のような記述があり、そのモヤモヤ感の原因がわかった気がしました。
※それでは、「よき聞き手とは何か」とあらためて問い直してみてもなかなかはっきりした答えが見つかりませんが、かつてある先輩からいただいたアドバイスは今でも私の心に残っています。
「聞く」ということは音楽に例えると「伴奏」にあたるから、メロディー「相談者の話」より強い音が出ないように、メロディーがしっかり聞こえるように心がけること。
相談を受けていると、私の「伴奏」だけが高らかに奏でられ、話し手のメロディーがどこかで立ち消えになっている、ことに気づく時があり、相談者の気持ちを受け取りながら聴き入るということは実に難しいと痛感しています。
その上、私のように長く活動しているとどうしても自分のつかんだ森田理論に初心者の方を導こうとしてしまいがちです。
いかがでしょうか?
聞き手がいつの間にか主役になり、相談者の奏でるメロディーが聴き取れていない事が原因の一つです。
私も含め長く自助グループで活動されている世話人の皆さんに、一読されることをお勧めします。
2023.11.28
一世
※強迫神経症の世界を生きて
※明念倫子氏著
※白揚社