大阪水曜ほっと集談会一世です。
作家五木寛之氏のコラムに「流されゆく日々」というのがあります。
連載1万回を超えギネス記録を更新中だそうです。
簡潔な文章の中に、はっとした気づきがあり時々読ませていただいております。
流されゆくいう言葉が気に入ってます。
常に自分は安住の地がなく、さまよいながらこの瞬間を生き抜いているイメージがします。
確固たる意志の力で生き抜いていくことも大切かもしれませんが、私にはそのような能力がありません。
なんとなくその時の状況に中途半端に適応しながら生きてきた気がしています。
まさに流されゆく日々であったような気がします。
森田博士は自然に服従し境遇に従順と説かれました。
五木寛之氏のエッセイにとても森田的な感性を感じるのは、私だけでしょうか?
集談会でも五木寛之氏のファンは多いのです。
森田博士もそうですが時代を超えて色褪せず、私たちに語りかけてくる言葉というのがあります。
特に不安な時代には、その言葉が強烈な輝きを放ち、生きるヒントになるのです。
今日の心に響く言葉(五木寛之氏※自力と他力より)
しかし私はうつ病はよくないこと、病院に行って治療しなければいけない病気だと受け取ることに違和感を覚えます。
というのは現代は明らかに病んでいるからです。
そういう病んだ時代に生きていながら朝から気持ちがよくて、夜もよく眠れて何の憂いも感じずに快適に過ごすということはありえないのではないか。
なにも感じないほうがむしろ病気ではないかという気さえしてきます。
うつの状態になる。
無気力感を覚える。
なんとも言えない「あーあ」と言う大きなため息が出る。
こういった状態はその人が正常で優しく、人間らしい魂の持ち主である証拠だと考えるべきなのです。
2023.11.7 一世
※五木寛之氏著『自力と他力』ちくま文庫より一部抜粋