「大阪水曜ほっと集談会」公式ブログ

12月17日(火)20時~・12月18日14時~(ZOOM)にてリモート集談会&忘年会を開催します

石に嚙りついても生きねばならぬ!

2023年09月19日 06時47分44秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

猛暑に物価高、ガソリン代の高騰、庶民の生活は益々苦しくなるばかりです。

このような時代であるからこそ、森田療法が注目されている気がします。

森田博士の言葉で今までは、努力即幸福が好きでした。

今は「石に嚙りついても生きねばならぬ。この他に神経質者の往くべき道はない」という言葉が大好きです。

神経質者は、転んでもただでは起きない。

なかなかあきらめない。

それゆえに苦しむのです。

私自身人間関係にあれこれと悩み、何度も辞めようと思いながら、気が付くと定年後も同じ会社で働いています。

不条理な人事異動や人間関係に怒りを感じ、明け方まで眠れぬ日々も多々ありました。

今もその苦しみは、続いています。

ひとりでは耐えられない苦しみも自助グループの皆様との交流で救われたことも多々ありました。

どうか、今苦しみの渦中にある皆さん、思いを吐き出すだけでも、何らかの解決の糸口が見つかるかもしれません。

すぐに解決できなくても、同じ悩みに苦しむ仲間の存在に救われることもあります。

今もなお、神経質症状の原因がわからず、一人で悪戦苦闘されている皆さんに、森田療法との出会いを願うばかりです。

私たちはそんな皆さんと真摯に向き合い、ともに悩みを共有したいと考えています。

神経質者に幸あれ!



2023.9.19 一世

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理想主義は危険!

2023年09月18日 05時25分54秒 | コラム 


大坂水曜ほっと集談会一世です。

最近物忘れやこのブログでも誤字脱字のオンパレードです。

さていきなりですが、森田博士は物事を善悪や価値のありなしで判断したりすることや極端な理想論を戒めておられます。

森田を学んで良かったことは、自分の理想からではなく事実から判断する習慣が出来たことです。

最近大手企業や芸能事務所のハラスメント問題が毎日のようにマスコミに取り上げられている。

行政でも教育でも、ハラスメントやいじめは存在しないという謝った理想主義が物事を複雑にしている気がする。

またどんな方法を使っても業績を上げたり肩書のある人間が偉いのだという風潮が蔓延していることも事実である。

極端に成果を上げたり肩書きを持つためには、かなりの無理が生じる。

場合によっては人の心を踏みにじったり恨みを買うこともある。

さらに等身大の自分を見失ってしまうことで感謝の気持ちを失い何でもコントロ-ル出来ると錯覚するのである。

そしてもう一つの問題は地味で誠実な人を馬鹿にすることである。

職場でもサークルでも普段は目立たないけれどもコツコツと誠心誠意働いている神経質タイプの人がいる。

こういう神経質タイプの存在が組織を健全にしているのではないか!

では自助グループにおいては、そのような問題がないのか?

人間が関わる以上必ずどんな組織でもハラスメントや金銭の問題などが生じる可能性がある。

人間とは誤りをおかすものであるという前提で自助グループ内においてもそのような第三者的な相談窓口をきちんと設けることは必要だろう。

50年以上の自助グループ活動の中で大きな問題がなかったことは奇跡に値する。

あるいは表面化していないだけかもしれない。

神経質者の集まりだから大丈夫という根拠のない過信はやめよう!

問題を先送りしたり隠蔽する組織には、未来はないことだけは事実のようである。

今日の森田博士の言葉

自分が非の打ち所のない人間として周囲の人から認められようとすることは、要するに自己中心主義でありまして、そのために人が自分に対して気兼ねをし、遠慮しようが、うるさがり面倒がろうが、そんなことはどうでもよいということになりますので、周囲の人から好意を寄せられるはずがないのであります。

つまり自分で善人になろうとする理想主義では私のいう思想の矛盾におちいって、反対の悪人になり、自分が悪人になるつもりでやればかえって善人になるのであります。


2023.9.18 一世

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足湯に浸かりながら考えたこと!

2023年09月17日 09時23分28秒 | コラム 


大阪水曜ほっと集談会一世です。

先日心身のリハビリで足湯に浸かりながらいろんなことを考えました。

最近同世代の60代で大病をしたり、転倒による事故、亡くなったという話を耳にすることが増えました。

自分のこととしてリアルに考えることがなかった私ですが、大袈裟ではなく、この夏の異常な暑さに死を意識することが増えました。

自分はいったいあと何年生きることができるのだろう?

そんなことを漠然と考えるようになりました。

この一年で体力の低下が著しく、平行して心も弱る悪循環です。

体力の低下より、やはり怖いのは気力がなくなることです。

普通に出来ていたことが急に出来なくなることの違和感に戸惑う日々です。

光陰矢のごとし、人生はあれこれ悩んでるうちに矢のように過ぎ去っていくのです。

もうすぐ集談会です。

それまでなんとか生活を維持して、皆さんから生きるエネルギーをいただきたいと願う私です。

最後に森田博士の死生観をご紹介いたします。

今日の森田博士の言葉

さて私が死ぬときにはどんな死に方をするか、その時の場合になってみなければわかりません。

私には宗教家や英雄豪傑のように「死を見ること帰するがごとし」というような死に対する心がけや準備というものは少しもありません。

つまり私は泣きわめいて恥をさらして死ぬか、眠るごとき大往生をとげるかわからないけれども、その時にあたってどんな死に方をしても良いと思うのであります。

それが私の理想を捨てた理想であります。



2023.9.17 一世

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神経質のとらわれと課題の分離!

2023年09月11日 08時54分21秒 | コラム 

大阪水曜ほっと集談会一世です。

昨日職場で良かれと思って先回りしてやったことが批判され、朝からずいぶん嫌な思いをしました。

その時にハッと気がついたことがあります。

課題の分離ができていなかったということです。

自分の担当ではなく、責任がないのに経験から若い担当者の領域に踏み込んでしまったことのしっぺがえしです。

神経質のとらわれについて、振り返って考えますと、過剰に他人の問題まで自分で抱えていた事に気が付きます。

家族の問題や職場でも、必要以上に責任感を感じ、取り込みすぎて疲弊したことは、数知れずです。

それは、やはり神経質特有の心配性と強迫観念に深い関係があるように思います。

いわゆる取越苦労です。

これは、本当に両刃ですね。

そういう意味でも、神経質性格について考えるうえで、アドラーの唱える※課題の分離という発想から、様々なヒントをもらいました。

※人間関係の問題が起こったときに、それは自分の課題なのか相手の課題なのかを明確にすることで、悩みやトラブルに巻き込まれないようにする一つの手法です。

自分の課題なのか相手の課題なのかを見極める一つの方法はその課題の責任を負うのは最終的に誰か、その課題に対して最終的に判断し結論を出すのは誰かということです。

神経質者は真面目で責任感が強い。

そのため必要以上に他人の問題まで自分の責任のように考えて行動していないか、点検することも必要だと思います。

そのことだけでも少しは神経質症状の苦しみが軽減されるのではないかという気がしています。



2023.9.11 一世

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森田の上にも45年!

2023年09月09日 08時14分21秒 | コラム 


大坂水曜ほっと集談会一世です。

石の上にも三年という、ことわざがあります

森田療法にあやかり、森田療法に乗っかり気がつけばまもなく45年になる私です。

心が強い人間になったとか人間的に成熟したという気はしていません。

ただ神経質である自分を否定しなくなった、自助グループで出会った人達との交流を通じて神経質性格の素晴らしさに気がついたことだけは事実であります。

森田博士は、私どもは自分が神経質の素質を持って生まれたということを心から感謝すべきでありましょうと書かれています。

10代の頃に考えていた理想の人生ではないけれど、これでよかったのかもしれない、このようにしか生きることができなかったという思いがしています。

今日の森田博士の言葉

神経質は物に執着する性質であります。

一度何かの目的を定めあるいは一つの職業につくとそれに執着し、未練があって、いろいろ目的を変えたり職業を転々したりすることが少ないようです。



2023.9.9 一世

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