
大阪水曜ほっと集談会一世です。
森田療法を理解する上でとても大切な言葉があります。
それはズバリ平等観と差別観です。
初めて集談会に参加された方が言われることが多いのが、以下の言葉です。
このような悩みは自分だけだと思っていました。
事実私自身もそのように感じていた時期があります。
このような方が自分の体験を集談会で発表されるようになると、どんどん変化されるのです。
集談会とは、そのことを共感を持って受け入れられる場所なのです。
そしてさらに、その方の生活範囲が、拡がっていくことを感じます。
さて昨夜地元のシンガーソングライターによるライブにいってきました。
私と同世代の60代で40年以上ライブ活動を行っているといわれていました。
このような人はあまり人前で緊張しないのだと、勝手に思っていました。
ところが、よく観察すると、とても神経が細やかであることに気がつきました。
お客様への気配りやフォローは、神経質者の比ではありません。
実際ライブ活動を行う音楽家やお笑いタレントさんの中にはパニック障害を告白されている方も多いですね。
彼らはそのような細やかな神経を持っているがゆえに、人が感動する音楽を演奏したり笑わせたりすることができるのです。
ただ一つ私達と違うのは、緊張や不安を異常なこととして、取り除こうとしない事ではないでしょうか?
失敗ですら、笑いに変えて共感を生んでいるような気がするのです。
※今日の森田博士の言葉
ここで一言したいのは、治った人と治らぬ人との区別。
治らぬ人は、自分の殻に閉じこもり、城壁を築いてなかなか自分のことを発表することができない。
自分のような特殊なものは世の中にないと、ことさらに差別観を立てて、頑張っている。
人に話すことが、恥ずかしい、恐ろしい。
治った人は、夏は暑く、冬は寒い。
恥ずかしいことは恥ずかしく、苦しいことは苦しい。
世の中は、誰でも同様である、という事実を認めることができて、平等観に立つことができる。
「事実唯真」といって世の中の心の事実を、明らかに認識することができるようになる。
治らぬ人は世の中の事実に対して、近頃のいわゆる認識不足であるのである。
2023.11.24 一世