中学時代の同級生6人で恩師宅を訪れた
授業中にすぐ教科書と離れた話をし始める国語の先生であったが
なぜか国語の成績が良い中学校であった
今にして思えば
表面的な知識を伝えるだけでなく
いかに感じるかを教えてくださっていたのだと思う
62歳の時
脳血管障害から記憶や言葉を失うと共に
右半身の麻痺が残った
動かぬ右足をみて
なんでこんなのが付いているのか
と悲嘆にくれていたそうだ
徐々に言葉を取り戻し
何とか立ち上がることができるようになり
倒れてから9年の歳月が過ぎたころ
右足の麻痺は治らないもの と思えるようになってから
元気になれたような気がするそうだ
受け入れることがとても困難な現実というのは
それぞれがあるのだろうが
現実を受け入れることができて
初めて人は前向きに生きていけるということなのだろう
現在の自分を丸ごと受け入れることができて
人は強く生きていくことができるのだろう
35年以上昔の国語の授業風景を
思い出すようなひと時であった
授業中にすぐ教科書と離れた話をし始める国語の先生であったが
なぜか国語の成績が良い中学校であった
今にして思えば
表面的な知識を伝えるだけでなく
いかに感じるかを教えてくださっていたのだと思う
62歳の時
脳血管障害から記憶や言葉を失うと共に
右半身の麻痺が残った
動かぬ右足をみて
なんでこんなのが付いているのか
と悲嘆にくれていたそうだ
徐々に言葉を取り戻し
何とか立ち上がることができるようになり
倒れてから9年の歳月が過ぎたころ
右足の麻痺は治らないもの と思えるようになってから
元気になれたような気がするそうだ
受け入れることがとても困難な現実というのは
それぞれがあるのだろうが
現実を受け入れることができて
初めて人は前向きに生きていけるということなのだろう
現在の自分を丸ごと受け入れることができて
人は強く生きていくことができるのだろう
35年以上昔の国語の授業風景を
思い出すようなひと時であった