『気』という概念は、明確にイメージすることはできませんが、東洋において大切な考えだと思います。おそらく、この気にあたるものを明確化できれば、物質の集まりに生命を吹き込んでいるものがなにかが分かるのかもしれません。
漢方では、この気を先天の気と後天の気に分けています。先天の気は、生まれながらに備わっている生命力。後天の気は、食べ物や呼吸から取り入れ、生命を維持するために補われるもの。
「気」の 旧字 は 「氣」。「气」と「米」を合わせた形ですね。
「气」は雲の流れる形を表しているそうで、生命の源と考えられていたようです。
また「米」はそのままお米なのでしょうが、穀類全般を著しているのかもしれません。
穀類のもつエネルギーが「气」を養うと考えれば、气は先天の気、米は後天の気を表しているとも考えられるのかもしれません。ただ後天の気とされる呼吸は气の方のように思えます。
体調を崩して、食欲が全くなかった状態から少し食べられるようになり、お粥などを一口食べると、ぐんと元気が出るように感じることがあります。そのぬくもりが、五臓六腑に染み渡るような感じは、お酒だけとはかぎりませんね。
私たちの生命力を維持していくために必要な食べ物。しかし過ぎたるは及ばざるが如し。食べ過ぎてかえって身体を損なうようなことがないように注意したいですね。そして本来備わっている先天の気をより長く健やかに保ちたいものです。
漢方では、この気を先天の気と後天の気に分けています。先天の気は、生まれながらに備わっている生命力。後天の気は、食べ物や呼吸から取り入れ、生命を維持するために補われるもの。
「気」の 旧字 は 「氣」。「气」と「米」を合わせた形ですね。
「气」は雲の流れる形を表しているそうで、生命の源と考えられていたようです。
また「米」はそのままお米なのでしょうが、穀類全般を著しているのかもしれません。
穀類のもつエネルギーが「气」を養うと考えれば、气は先天の気、米は後天の気を表しているとも考えられるのかもしれません。ただ後天の気とされる呼吸は气の方のように思えます。
体調を崩して、食欲が全くなかった状態から少し食べられるようになり、お粥などを一口食べると、ぐんと元気が出るように感じることがあります。そのぬくもりが、五臓六腑に染み渡るような感じは、お酒だけとはかぎりませんね。
私たちの生命力を維持していくために必要な食べ物。しかし過ぎたるは及ばざるが如し。食べ過ぎてかえって身体を損なうようなことがないように注意したいですね。そして本来備わっている先天の気をより長く健やかに保ちたいものです。