アンチ・エージングというカタカナを最近目にする。加齢(aging)にアンチが付いているのだから、老いていくことを敵対視しているのに違いない。齢を重ねていくことを毛嫌いするということは、当然死からも目を背けることになる。
「出来ることなら死ぬまで元気でいよう。」という文脈で語られるものなら受け入れられる。でもアンチ・エージングのかけ声の下、ちょっと(大きく)稼いでやろうという人々がどうも随分といるようだ。そんなかけ声にのせられ、変な悪あがきが善なのだ洗脳されてしまうと、死について考える機会などないまま、突然目の前に現実が突きつけられる日を迎えてしまうのではないだろうか。
「生は偶然、死は必然。」ともいわれる。まあ、これをひねくれて解釈すれば、人生偶然の中に何とか必然を作り出そうという無謀な試みを行っている内に、最後にやっと死という必然にたどり着くとも言える。
それにしても、「アンチ」はすこしきつすぎませんかね。日本語でアンチを使うと、かなり感情的に嫌っているようなニュアンスを感じる。英語であればそれほどでも無いのかもしれないけど…。ちなみに我々の体を外部からの侵入者から護ってくれている抗体はanti-body(カタカナだとアンチボディー)という。
「出来ることなら死ぬまで元気でいよう。」という文脈で語られるものなら受け入れられる。でもアンチ・エージングのかけ声の下、ちょっと(大きく)稼いでやろうという人々がどうも随分といるようだ。そんなかけ声にのせられ、変な悪あがきが善なのだ洗脳されてしまうと、死について考える機会などないまま、突然目の前に現実が突きつけられる日を迎えてしまうのではないだろうか。
「生は偶然、死は必然。」ともいわれる。まあ、これをひねくれて解釈すれば、人生偶然の中に何とか必然を作り出そうという無謀な試みを行っている内に、最後にやっと死という必然にたどり着くとも言える。
それにしても、「アンチ」はすこしきつすぎませんかね。日本語でアンチを使うと、かなり感情的に嫌っているようなニュアンスを感じる。英語であればそれほどでも無いのかもしれないけど…。ちなみに我々の体を外部からの侵入者から護ってくれている抗体はanti-body(カタカナだとアンチボディー)という。