21世紀になり
抗がん剤の種類が
ずいぶん増えた
しかし現状では
固形がんの多くは
抗がん剤では根治できない
高価な薬剤がいろいろ出てきたが
生存曲線を
せいぜい数か月右にずらすだけ
その数か月が
個人にとって
とても価値ある場合も少なくないが
その間に
何を考え
何をなすか
きっとそれが大切
ただ
わが身に当てはめて考えると
難しい
だから
治療手段を
いろいろ説明することは
容易だが
治療手段がなくなるときに
何を語るのか
とても難しい
結局
自らで答えを出すしかないのだろうが
抗がん剤の種類が
ずいぶん増えた
しかし現状では
固形がんの多くは
抗がん剤では根治できない
高価な薬剤がいろいろ出てきたが
生存曲線を
せいぜい数か月右にずらすだけ
その数か月が
個人にとって
とても価値ある場合も少なくないが
その間に
何を考え
何をなすか
きっとそれが大切
ただ
わが身に当てはめて考えると
難しい
だから
治療手段を
いろいろ説明することは
容易だが
治療手段がなくなるときに
何を語るのか
とても難しい
結局
自らで答えを出すしかないのだろうが
人生についてよく考えさせられます。
私はかつて医者になりたかったのですが、受験で失敗して断念して違う道へと進みました。
しかし、負け惜しみの様ですが
今となってはこの道が私にとって最も価値があったのかなって思いますね。
何に価値があるかなんて患者さん本人にも分からない事なのだと思います。
そこが日常の様々な選択に現れるのだと思います
治療方法の選択も
まさに価値観 人生観 により分かれます
患者さんに説明をし
その選択肢をお聞きするとき
自分なら
どのように考え どのように選択するか
難しいなぁ
と感じることがしばしばあります
ところで
「やまでぃー」
お名前に 「やま」がつく?
山が好き?
やまをかけた ということ?
…
思いつきませんが
なにか 勢いを感じます