自然なのと不自然なのとどちらが良い?
とぼんやり聞かれれば
自然なのが良い
と多くの人が答えそうな気がする
でも具体的な現実を前にするとなかなか難しい
福岡大学附属病院において
数日単位で亡くなると思われる患者さんに対する延命処置を
中止した事例が存在することを
先日マスコミが取り上げていた
家族の希望や本人が無理な延命を希望していなかったなどという事実を勘案して
決定したということだ
おそらく5年から10年以上前なら
もっと攻め立てるような報道になっていたと思うが
今回は自制が効いていた
そろそろ皆でこの問題を考えるという機が熟してきたのかもしれない
いよいよ死期が迫ったとき
このまま自然にという希望に沿って
不自然な延命を開始しなかった場合は問題とならず
不自然な延命を一旦開始した場合は
それを中止し自然な経過に任せようとすると問題となり
時には殺人罪などとまで言われる
実にちぐはぐなことである
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樹齢1900年とも言われる楠の樹
一度火災にあったそうだが奇跡的に今も命を保っている
それを支える支柱が少し痛々しいが
これがあればまだまだ100年 200年と生き続ける可能性がある
一つの延命処置とも思える
楠の樹に尋ねる事はできないので
支柱を当人が有り難がっているのか 迷惑がっているのかわからない
そして不自然な行為といえばそうなのだが
人間が自然の一部でありその行為も自然の一部と考えるならば
支柱もまた自然なことなのかもしれない
となると自然か否かを判断基準にするとややこしくなる可能性がある
延命治療をどうするか
人の場合は 本人の意志を第一とするしかないのだろうか
法律でクリアカットに決定することは
難しいかもしれない
とぼんやり聞かれれば
自然なのが良い
と多くの人が答えそうな気がする
でも具体的な現実を前にするとなかなか難しい
福岡大学附属病院において
数日単位で亡くなると思われる患者さんに対する延命処置を
中止した事例が存在することを
先日マスコミが取り上げていた
家族の希望や本人が無理な延命を希望していなかったなどという事実を勘案して
決定したということだ
おそらく5年から10年以上前なら
もっと攻め立てるような報道になっていたと思うが
今回は自制が効いていた
そろそろ皆でこの問題を考えるという機が熟してきたのかもしれない
いよいよ死期が迫ったとき
このまま自然にという希望に沿って
不自然な延命を開始しなかった場合は問題とならず
不自然な延命を一旦開始した場合は
それを中止し自然な経過に任せようとすると問題となり
時には殺人罪などとまで言われる
実にちぐはぐなことである
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樹齢1900年とも言われる楠の樹
一度火災にあったそうだが奇跡的に今も命を保っている
それを支える支柱が少し痛々しいが
これがあればまだまだ100年 200年と生き続ける可能性がある
一つの延命処置とも思える
楠の樹に尋ねる事はできないので
支柱を当人が有り難がっているのか 迷惑がっているのかわからない
そして不自然な行為といえばそうなのだが
人間が自然の一部でありその行為も自然の一部と考えるならば
支柱もまた自然なことなのかもしれない
となると自然か否かを判断基準にするとややこしくなる可能性がある
延命治療をどうするか
人の場合は 本人の意志を第一とするしかないのだろうか
法律でクリアカットに決定することは
難しいかもしれない
抗がん剤などの治療をしなければ、苦しみ方は違うのでしょうか?(姉の苦しみを見てきました)痛みを取り除く治療のみという方法もあるのでしょうか。
私も無理な延命治療はしないでねと子どもたちに話しています。
自分がもしものときには、苦しまずに、生活の質が保てる方法をお願いしたいと思っているのですが、さて、いざとなった時の私はそう言えるのか自信はありません。
お姉さまの苦しみの印象がとても強いようですね
実際肉体的苦痛を取り除くことがかなり難しい場合もあります
でも昔に比べて随分その苦痛を取り除く手段も進歩してきました
そんな手段を勉強して苦痛除去の努力をする医師は
全国に居ると思います