云われています、吉田神社に残っている古文書に依れば
戦国時代の頃に、今川義元の吉田城代であった大原肥前守が
五穀豊穣や無病息災、家運隆盛 武運長久を祈る為に
手筒花火を吉田神社に、奉納したのが始まりだと云われ
轟音と共にオレンジ色の火の粉が10mもの高さ迄噴き上がるさまは
迫力満点で、雨の様に降り頻る火の粉の中で
仁王立ちの祭男達が筒を抱える姿は勇壮でありかつ豪快で
若者達の度胸試しにもなっていたとも云われています
三河地方に伝わる手筒花火は、現在の打ち上げ花火の原型とも云われ
特に東三河地方では、手筒花火の材料となる孟宗竹の確保から
節を抜いた竹の中に、火薬を詰めるのも放揚者達自身が
自ら行うのが習わしで、噴出する手筒花火を脇や腰に抱えて
微動だにもせず打上げ(放揚)し、最後に底が抜ける「ハネ」の時迄
全身に降りかかる火の粉にも、不動の姿勢で放揚を続けます
爺やは昨年初めて、この吉田神社を訪れて
豊橋祇園祭りの宵祭りの日に行われました
手筒花火の放揚を観て、勇壮な男らしさに感動し
今年も7月18日の夜に、手筒花火の放揚があると聞き
JRの電車と市電に乗って吉田神社へ行き、手筒花火の放揚を観て来ました
吉田神社での手筒花火の奉納は、「神前放揚(しんぜんほうよう)」から始まりますので
本日は第1回目のデジブックとして、その時の様子を纏めてみました
お目に留まり、ご高覧頂ければ嬉しいです。
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