お正月に家庭へ届けられる「年賀状」は諸説が有るものの、奈良時代から始まったと云われる年始回りを起源に長く続く日本独自の習慣で、 日頃お世話になっている方々に感謝の気持ちを込めて新年をお祝いする言葉を用いて、旧年中の感謝と新しい年も変わらないお付き合いを依願する挨拶状を、お互いに贈り合う事と云われていますが、最近ではメールやSNSの普及に伴って年賀状を贈らない人も増えているものの . . . 本文を読む
「豊橋祇園祭」は、毎年7月第3週の金曜日に「手筒花火発祥の地」と云われています吉田神社付近で行われ、大筒の練り込みと吉田神社境内での 手筒花火の奉納、「神前放揚」で幕が開き、手筒花火は節を抜いた孟宗竹の中に火薬を詰めたもので、噴出する花火を脇や腹に抱えて打上げ、この東三河地方に於けるの手筒花火の奉納は、現在の花火大会の原型とも云われている歴史ある神事で、手筒の材料となる竹の確保から津筒花火の製作迄打ち手達自らで行うのが習わしで、五穀豊穣や無病息災を願って、地元八ヶ町内の氏子達が自らが制作した竹筒で、上空10m近く迄火柱を噴き上げる手筒花火を脇に抱えて . . . 本文を読む
左目を伏せ、右目を見開いた姿から「ひだりめ不動」として知られている岐阜県大垣市に在ります天台宗の宝光院では、毎年2月3日に不動尊の御布札を身に纏った「心男(しんおとこ)」を中心に、裸の男性達が杭瀬川の流水で厄を払う「みそぎ川渡り」が有名ですが、今年は新型コロナウィルス感染症拡大防止の為に、裸男の行事が中止と成りましたが、爺やは2010年に初めて「はだか祭り」を観に行くと、冬の季節の厳しい寒さの中を下帯姿の男衆達が境内でワッショイわっしょいと掛け声を出しながら数回練り歩き、その後には近くを流れる杭瀬川に飛び込み
叫び声を出し水しぶきをあげて川幅約20mを渡り切り、再びワッショイわっしょいと
威勢よく掛け声を出して境内に戻り . . . 本文を読む
「手筒花火」が400年間もの長い期間に渡って、受け継がれている東三河地方では、「手筒花火」の発祥の地とされています、愛知県豊橋市の吉田神社では、毎年7月に「豊橋祇園祭」が、そして9月には豊橋球場で行われている「炎の祭典」、そして10月には羽田八幡宮で行われ、日本一の手筒祭りと云われています、「羽田祭」をはじめ . . . 本文を読む
毎年新年を迎えると、各地の自治体で行われています「出初式」は、万治2年(1659年)1月4日に上野東照宮で徳川4代将軍家綱の命により定火消し4人の指導に依る防火の祈願と、定火消しの顔見せの儀式が行われたのが「出初式」の始まりと云われ . . . 本文を読む
古文書に依れば、「手筒花火の発祥之地」と云われています愛知県豊橋市の吉田神社の境内で、先週の金曜日の夜に「豊橋祇園祭り」が開催され、五穀豊穣や無病息災を願い地元八ヶ町内の氏子達が、自ら竹筒で制作した10m近く火柱を噴き上げる
手筒花火を脇に抱えて . . . 本文を読む
吉田神社の本殿前で、本年の当番町内に依ります手筒花火の神前放揚が終わると、境内脇の広場に場所を移して大筒花火や乱玉への点火・打ち上げと手筒筒花火の放揚が始まりますが
大筒花火は、手筒花火を改良して発案されたと云われ
手筒花火と同じ形状をした大型の花火で . . . 本文を読む
三河・豊橋地方の手筒花火の起源は、伝承三河伝統・手筒花火発祥之地と云われています吉田神社に残っている古文書に依れば、戦国時代の頃に今川義元の吉田城代であった大原肥前守が、五穀豊穣や無病息災、家運隆盛 武運長久を祈る為に . . . 本文を読む