浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2019-09-02 00:12:56 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がモンゴルの大統領から招待され、
大統領を始め、ご家族の癒しをされるため、モンゴルを訪問された時に
身につけられたモンゴルの民族衣装です。

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

このカーテンを取り除くにはどうしたらいいか。
まずこの曇りはなぜできたかというと、五官に翻弄されて怒り、
妬み、謗り、恨み、憎しみ、嘘、盗み、取り越し苦労、不安、恐怖、
貪欲などによって生じたのです。

五官の求めるままに翻弄されると、怒りや妬みになるのですから、
この邪魔ものを取ってしまえばいいのです。
取る方法は「徹底した自己反省」をさせていただくことです。

生まれてから今日までの間を振り返り、
「あの時あのような過ちを犯した」
「あの時はこんなことをして人を恨んでしまった」と、
一つ一つ神様にお詫びをさせてもらい、これを改めていくことです。
そしてその悪の償いとして善き行いを積み重ね時に
だんだんと心の曇りが薄れます。

反省を通して心の壁、カーテンを打ち破った時、
自らが光であるということが体験できます。
五官の感覚は全く消えて光だけになるという体験を、
私はさせてもらいましたので、間違いございません。
 
妙な霊能力がつくとかいうものとは違って、全く異質なものです。
お釈迦様は誰でもできる道をお説きなったはずですし、
イエス様も誰でもが救われる道をお説きになりました。

仏も昔は凡夫だったのですから、
私たちも悟った時には仏と化すことができます。
これを「やがては死ぬから仏になる」と思えば大きな間違いです。
死んだら仏になるのではありません。
悟られた方が仏になるのです。

死んだ者は亡くなった者、つまり「亡者」と書きます。
亡くなった方のお宅へ行って「亡者さんにお悔やみさせて下さい」と
言うと無礼だと叱られますから、
いっそ死んでしまったのだから仏にしてしまえといって
「仏さんにちょっとご冥福を祈らせて下さい」と言うようになったのです。



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