浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2019-09-23 23:34:44 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 六

キリスト教にしましても、
イエス様がご存命中法をお説きになりました時と今とでは、
たいへんかけ離れたものになっています。
イエス様は着のみ着のままです。

私は今日は良い服を着せていただいていますが、
イエス様はこんないい恰好はなさいませんでした。
皆さんと同じ服を着て日々の生活のままの姿をもって
法をお説きになりました。

ローマ法王が頭にかぶられる王冠は七、八千万もするものだと
聞いています。
ビロードのガウンを着て金の錫杖をついておられます。
イエス様がいつそんな姿をなさいましたか。

イエス様は「私の肉を食べなさい。
私の血を飲みなさい」とおっしゃったはずです。
肉を食べるといってもイエス様を殺して食べたら大変です。
あれはイエス様の御教えを素直に私たちの肉体の中に、
心の中に入れなさい、
そしてイエス様のごとくイエス様と一体となって生きなさい、
一人一人がイエス様になることを望んでこのように言われたのですね。

お師匠様であるイエス様がそのようにいい恰好をなさっていないのに、
何百年何千年経った後の弟子が、
ぜいたく三昧のものを身にまとっていること自体が、
イエス様とは遠く離れています。
原点と現在とではまったく違っていることを
高橋信次先生はお説き下さいました。

正しい法を学ぶということは、この世で何をなし、何をなさないか、
また何を語って何を語ってはならないかを学ぶことです。
そしていよいよあの世へ帰る時は迷うことなく私たちの魂の
ふるさとである極楽に帰らねばなりません。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「御垂訓」

2019-09-23 00:13:28 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がお釈迦様のご生誕地ネパールの
ルンビニを訪問された時、購入された木彫りの釈尊像を磨かれているところです。
浄心庵「心の道場」にて。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                    講演 六

先の続き・・・

では、花を供えるのはどういうことなのでしょうか。
お釈迦様の御教えの中に
「福徳を求める人々は、時々如来に花を捧げよ」というのがあるのです。
幸せを求めて、人々はお釈迦様に花を捧げたのです。

その捧げられた花をお釈迦様の前にずっと飾られたのですね。
私も小さい献花を頂いてここに置かせていただいております。
しかしこの花は私のほうを向いておりません。
私から見ますと花の背中が見えて綺麗さがよく分かりません。

お釈迦様もその通りでございまして、
お釈迦様は偉大でございますから身の周りいっぱいお花で
飾られておりましたが、お釈迦様から見られたらみな花の後ばかりで、
皆さんのほうに向けて花を飾ったのですね。
これが供花の始まりです。

お釈迦様ご存命当時のその仕来たりと今の仏教の仕来たりでは
とんでもない間違いになっています。
ほんとうに仏様にお花を供えるのであれば、自分たちが背中を見て、
仏様に花を見てもらうのが礼儀ですが、
供えている花は仏様にお尻を向けて、
花を供えた者たちのほうに花の表が向いています。
しかしこれは仕来りとなって行なっているだけです。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする