~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 六
キリスト教にしましても、
イエス様がご存命中法をお説きになりました時と今とでは、
たいへんかけ離れたものになっています。
イエス様は着のみ着のままです。
私は今日は良い服を着せていただいていますが、
イエス様はこんないい恰好はなさいませんでした。
皆さんと同じ服を着て日々の生活のままの姿をもって
法をお説きになりました。
ローマ法王が頭にかぶられる王冠は七、八千万もするものだと
聞いています。
ビロードのガウンを着て金の錫杖をついておられます。
イエス様がいつそんな姿をなさいましたか。
イエス様は「私の肉を食べなさい。
私の血を飲みなさい」とおっしゃったはずです。
肉を食べるといってもイエス様を殺して食べたら大変です。
あれはイエス様の御教えを素直に私たちの肉体の中に、
心の中に入れなさい、
そしてイエス様のごとくイエス様と一体となって生きなさい、
一人一人がイエス様になることを望んでこのように言われたのですね。
お師匠様であるイエス様がそのようにいい恰好をなさっていないのに、
何百年何千年経った後の弟子が、
ぜいたく三昧のものを身にまとっていること自体が、
イエス様とは遠く離れています。
原点と現在とではまったく違っていることを
高橋信次先生はお説き下さいました。
正しい法を学ぶということは、この世で何をなし、何をなさないか、
また何を語って何を語ってはならないかを学ぶことです。
そしていよいよあの世へ帰る時は迷うことなく私たちの魂の
ふるさとである極楽に帰らねばなりません。