浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

恩師の歌集「愛」より

肉体の限度にいどみ人救う
愛の行い我が内の神

「御垂訓」

2019-09-03 23:42:41 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

じっくりと反省しますと
自分の数々の過ちが浮かび上がりますから、
自分の罪に対する償いとして、どなたに対してでも構いませんから
「あの罪の償いとしてこの方に善をさせていただこう」と
思って実践することによって罪は消えていきます。

しかし次々と罪を繰り返しましと、
いつまで経ってもカーテンは上がってくれません。
曇りの原因をまず作らないこと、「今度はいっさい腹を立てまい」
「今度はいっさい愚痴は言うまい」
「すべてのものに足ることを知る生活をしよう、
貪欲を捨てさせてもらおう」これでいいのです。

お釈迦様の教えの「悟り」についてみますと、
悟りとはニルバーナ、つまり
火が燃え尽きてしまった状態という意味です。
この言葉が中国に伝わりまして涅槃という言葉になっております。
「涅槃」そのものが「悟り」です。
 
あるお弟子がお釈迦様に質問をされたのですね。
「ニルバーナ(涅槃)とはいったいどういうことですか」。
そうしますとお釈迦様は次のようにお答えになったそうです。

「ニルバーナとは私たちの心の中に怒りの壊滅、愚痴の壊滅、
そして貪欲の壊滅である」と。
この状態がニルバーナであるとおっしゃっていますから、
これなら私たちも悟りの心境に至ることができるはずです。

この教えが理解できましたら、私たちは自信を持って、
勇気を持って挑戦することができます。
滝に打たれたり、断食したりということはちょっと真似ができませんが、
この三つでしたら日々の生活の中で実践できるはずですね。

誰でもできることです。
それが悟りであったのです。
この状態になったことをまた菩薩ともいえるわけですね。


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「御垂訓」

2019-09-03 00:50:08 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 五

「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」

先の続き・・・

ほんとうは悟りもせずに死んでしまったら皆亡者さんです。
この世を去った時、その方の人生のすべてが、肉体に現れます。
昔から「人の価値は死んだ時に分かる」といったものです。
それは、死にざまと、亡くなった時の姿を言うのです。

この世でのお付き合いが多く、
顔の広かった方や何とか議員という方のお葬式で花輪がいっぱい並び、
この世的にお葬式の送り人が多かったので値打ちがあるというふうに
一般には思いますが、ほんとうはそういうものではなく、
自ら心を悟り、神の子として生き、
この世をさる時に成仏された方こそ値打ちがあります。

こういう方は死後硬直は起きないという形でその方の価値は
肉体の上に現れます。
今まで人が亡くなれば死後硬直が起き、必ず冷たくなるものと思い、
それが常識となっておりましたが、
硬くなるようでは成仏できていないのです。

その数からいいますと、
いかに成仏できないお方が多いかということが分かります。
しかし硬くなった方にも、
私たちがほんとうに愛の心をもって法をお伝えさせていただきますと即、
硬直がとけます。
   
今冷たくなって見るも無残な姿をなさっていても、
ご本人が自分の過ちに気付き、死というものを認識し、
そしてこの肉体から魂がうまく離れることが出来た時は瞬間に肉体は
ふわふわと柔らかくなります。

こういうことはたくさん体験させてもらっていますね。
これは自ら菩薩と化すことを悟られたから、そうなったのです。
私たちの本質は神そのものであり、
神が私たちの内に入って下さっているということを知るだけで、
また、「ああなるほどそうか」と思わせていただくだけで、
もう皆さんの魂のワット数は何ワットか上がります。
このことが分かれば今度は実践することですね。


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