~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 五
「六根あるがゆえに己が悟れば菩提と化すことを悟るべし」
先の続き・・・
お釈迦様はこの肉体を
「不浄なるものを詰め込んだ皮袋のようなものである」
とおっしゃいました。
人体を何か尊い清らかなもののように錯覚を起こしていますが
よく考えてみますとこの肉体からは「くそ」ばっかり出てきます。
歯くそ、鼻くそ、耳くそ、目くそ、もうくそだらけでございます。
しかしこの汚い物が出てくる袋があってこそ、
私たちは悟らせてもらうことができるのです。
汚れ多き五官が無かったら悟ることはできません。
お釈迦様がおっしゃっているように不浄なるものを詰め込んだ
この皮袋あってこそ菩提と化すことができます。
蓮の花は汚い泥がないと咲かないのと同じことです。
天上界にいたら悟れません。
なぜかかというと、自分と全く同じ光の量の区域におりますから、
十ワットの者は十ワットの者ばかり、
百ワットの者は百ワットの者ばかりで外の人はいませんから、
他の方の見て学ぶことができないのです。
このくそ袋に魂が入りますと、偉大な光の大天使も、
地獄からちょっと上へあがった程度の方も
全部同じ肉体の中に入りますから見たところ皆人間ですが、
魂の次元の高い良き方は、やはり過ち少なく善き行いをなさいます。
この方その方の霊格、霊の高き、魂の段階の高さを知る方法は、
その方がどれだけ善き行いをなさっているか、
どれだけ過ち少ない生活をなさっているかによって判断できます。
一時、目を細くして相手を見たら光が出てきて、
光が大きいか小さいかを習ったことがありましたが、
そんなことしなくても、善いことはようしないで
悪いことばっかりしている過ちの多い人はもう霊格が低いと
判断して間違いありません。
魂の次元の問題です。
高い方は人のために仏の業をなされているはずです。
言われることに嘘やまどわしの言葉はいっさい使われません。
ですからその方の行い、言葉を見て霊格を判断することができます。