Many doku-dami
足元ではドクダミ草たちが、にょっきにょきと葉を広げ始めていますが、目線と同じくらいの高さのところでは、紫陽花の額咲きを見かけるようになりました。
今では多くのヒトが、知るところとなっているかと思いますが、ほかの花のように花びらに見えるところは実はガク、とかで本当のお花が見られるのはまだちょっと先みたいです。ややこしいぞ、紫陽花君。つい文句めいたことを言いたくなってしまいますが、それはニンゲンの目が見て思うことで、紫陽花には関係ナイ。そんな文句は休んでから言ってください、って逆に言われてしまいそうです。
ところで「天声人語」を書き写して、文章の練習をしよう〜なことが世の中にはあるかと思います。前からちょっと気になっていました。そのための専用「書き写しノート」も存在するようです。価格二百円(+消費税)。へ〜と思っていましたが、ひょんなことで最近、ゲットしました。それから少し寝かせていたのですが、この間、やってみました。
ある日の「天声人語」を切り抜いて、右手の上部に貼ります。下の原稿用紙のように印刷されている升目に、上に貼った「天声人語」を見ながら一文字ずつ書き写していきます。始めてみると、やはり名文だからか、ストレス無くするすると進みます。一箇所だけ点の位置がずれましたが、それ以外は書き間違いをしませんでした。このことはジブンでも意外でした。
書き写しながら考えたことは、まず、これは、オマケ的に字の練習にもなるかも知れない、よし! と思いました。但し、マジメにやればですが。それと、グーテンベルクが印刷機を発明するまで、ひたすらひたすら手で文字を書き写していた…昔々の人々のことを、少し想像しました。そしてまだコピー機のない時代、辞書を買うオカネのない貧乏学生は、辞書も手で書き写したとか…。そんなことも何かで読んだな、と思い出しました。
そんな雑念(?)ばかりが何故か次々と浮かんでしまい、肝心の文章の方に集中していないことに、書き終わってから気が付きました。駄目だこりゃ。でもこれはやれそうです。毎日は難しくても少なくとも、ノート一冊分は続けようと思います。繰り返し書き写すウチにやがて雑念は消えてゆき、手が名文を吸収していく。はず。読むだけでは駄目で、手も使って学ぶ。一冊終わる頃には、成長していたいです。
*I’m not sure if my English grammars are correct.