日乗 diary - ナニモノ what do you do?

2020年05月21日 | 日記
何者に
いつかなりたし
夢見つつ

I’d like to be a professional 
Something 
Someday

何者、になりたくて、ずっと何年何年も足掻いています。足掻いています、と言っている割には「あがく」の漢字を、たった今パソコンの変換機能で知ったりしてて、早速駄目だこりゃ気分が出てしまっていますが…すみません…。

で、なにがしか会社や組織云々等で働いていれば、社員、会社員、契約社員、派遣社員、所員、職員、アルバイトやパート、更には先生、○○師や○○士などと名乗れるでしょう。所蔵するモノを持たなくても、それで生計が立っていれば、フリーランス。自分が社長、や会社役員、経営者。才能や努力で、〇〇家、例えば小説家、作曲家、そのほかには女優、役者、etc......

派遣社員とかを長くやっていたので、働いている時は派遣社員と名乗れますが、前の契約が終わって次の契約が決まるまで、その期間は正直なところぶっちゃけ…無職ですね。クリエイターという肩書に憧れ始めた頃、この無職の期間になんか出来ることがないかと、写真を撮ることが好きなので、撮った写真をストックして販売出来ると言う、PIXTAでの挑戦を始めたりしてみましたが。

無職の間でも写真が売れていれば、フリーランスのクリエイターです、と名乗ってても良いのかしらんとかって思っているのですが、まだそれも一枚ポッキリだと、その名も使えないかしらん…。と、迷ってみたり。

まあ就活中という呼び方もあるので、それを使ったり。英語でも、ジョブシーカー(job seeker)という言い方があり、求職者という意味ですが、無職です、と言うより、この言葉を使った方がいい感じなのかな、という印象を持ったことがあるので、「今どこで仕事しているの?」と訊かれてどこでが無いときには、「今ジョブシーカーなんだよね」と言ったりしています。(一旦煙に巻く、みたいな…ジョブ云々をすぐに分かるヒトが少ないので…。煙に巻くって何を? って感じではありますが ^.^¥)

ああ! 派遣社員はこの世を忍ぶ(?)仮の姿で、あくまでお金を稼ぐためにやっている、ハズでしたが、それもハズでなくなりつつあるような…感溢れるの今日この頃の感じです。

そうそう、クリエイターつながりで、BASEでお店を開こうとして、住所登録のところでつまずいた経緯があります。開店準備中で止まっているのを、このnoteの "ストア機能" を見て思い出しました。あーあったね〜。やってみようという気概のカケラみたいなモノはあっても、実現するまでが遠かったりしています。そのつまづきが無く、BASEで少しでも売り上げがあれば、店主、と名乗れたのかしらん。

こんな風に未だ悩んでいます。いつの日か、何者になる日まで…。

I’d like to be something special. I’ve been trying many things, but I've never succeeded... but I have to keep on doing, don’t I? Patiently, honestly... yes, never give up!!



 *I’m not sure if my English grammars are correct


オサンポ walk - スキマ草Plant : ドクダミ草が about the Doku-dami

2020年05月21日 | 日記
昨日見た
ドクダミ草は
今日は消え
I saw the doku-dami yesterday 
Then, today,
They are all gone 

まあるいマンホールの周りを縁取るように並んでいたドクダミ草たちが、今日消えていました。草刈りの日でした。まあだからそれがなに的なハナシではありますが、スキマ草(アスファルトの隙間などに生きている植物)好きとしてはココロ痛む事件です。

でも小さいですけど芽っぽいものが地面にそれでも、チラチラっと残っているのが見えたので、時期的にも復活しそうな気配が、まだあるにはあります。そしてドクダミ草自体は、ほかの場所にもいっぱいいたりします。その草刈り作業は、それはしかも仕事ですし、公共の場所だったりすれば尚更仕方無いです。

こういう草刈りや抜き取り作業なんてことは普通に当たり前に、いつでも起こります。個人の家でもどこでも。そりゃそうです。理解しています。なのでと言いますか、だからと言いますか、スキマ草たちとの出会いは、常に一期一会であることを覚悟しています。

でも時々、想像してしまいます。数ある場所の中で何故そこに生まれついたのか。他の場所であれば、種を飛ばすまで無事でいられたかもしれない。ニンゲンと同じで、自分で生まれる場所を選べない。でも彼らはそこで、芽を出した場所で、摘み取られる瞬間まで、生きる。

なんてな風に、勝手に彼らの運命を想像したりして、無事だと分かるとこっそり喜んだり、消えていたりするとちょっと切なくなったり…。

たかが(?)スキマ草に一喜一憂しつつ、妙な想像力を働かす。困ったような、それはそれでありなような…。今日は馴染みのドクダミ草が消えていたので、少しメランコリックな気分になっています。はは…。

I found that a group of the doku-dami I knew and lived at around a manhole was disappeared. I was s bit shocked because I looked forward to see their flowers. There were still their small leaves coming out of the ground, so they could re-grow up and I can see other doku-dami anywhere. So, it’s not the ending. But, about the doku-dami living at the manhole, they might imagine that if they would have been born in another place, they could have survived? I feel for them...

 *I’m not sure if my English grammars are correct.