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上杉家御廟所⇒林泉寺⇒上杉神社⇒天地人博というルートで回りました。
まったく米沢にも上杉家の米沢支配についても、無知でしたので、この上杉神社がある場所が元米沢城の中にあるということを行ってみて、初めて知りました。それも、米沢城はかつてあの、伊達政宗が生誕した地だそうで、戦国時代は自分の生まれた城が自分の城であり続けるわけではないという、不可解な力が働いたのですね。豊臣秀吉や徳川家康の名で藩替え、城替えをした方々は、どんなに辛かったでしょうか。
上杉神社の手前に上杉謙信公家訓16条というものが石碑に刻まれていました。素晴らしい謙信の心構えを感じます。戦国武将でありながら、「心」を最初に持ってきているということは、心のあり方が一番大事という考え方です。流石・・・です。しかし、この米沢の地に謙信が住んだことはありません。景勝公以降上杉家は、米沢の都市整備に尽力したそうで、とても米沢にいい軌跡を残し、愛されているようです。
上杉神社の隣には、稽照殿という博物館というか上杉家ゆかりの展示館があります。400円。そこで、直江兼続の「愛」の兜や、上杉景勝の日輪の中に色々な神様の名前を打ち込んだ兜、甲冑、文などを見る事ができました。戦国時代の甲冑を見るたびに思うのは、この重たいモノを身につけて、重たい兜をかぶって、どうして戦うことができるのだろうか?刀や槍を思う存分に振り回せるのだろうか?と不思議に思います。そして、上洛したり、戦地に赴いたりするのは、歩きまたは馬で行くと思うと、それだけで、相当な体力の消耗です。歩いて、新潟から京都に行くなんて、考えられますか?
展示品を見ていて、とても今の私達の生活態度とのあまりのギャップが気になり始めました。
戦国時代の人々の生活を垣間見るたびに、自分達の今の生活態度、運動能力、気力、体力が勝っていたに違いないと思うのです。人類は進化するということですが、寿命や身長、体格は確実に祖先たちより進化しているはずですが、体力・気力は昔の人が勝っているに違いないと思います。真似できない域だと思います。
私は時間がある時は、自分の家の中をすべて雑巾がけをします。そう、フロアにはいつくばって拭き掃除です。それが一番綺麗になるのと、気持ちがいいからです。料理にしても、昔は水汲み、かまどの火入れから、仕度等、力仕事は盛りだくさんです。昔の人々はそれが当たり前だったと思うと、それなりに家事でも相当の労力と体力と時間がかかります。それが、自分の身体のために健康のために良かったと思うのです。筋力、持久力ともに。
食べ物は当たり前のオーガニックです。肉食をする人は少なかったでしょうし、お釜で炊いたご飯は美味しいに違いありません。なので、昔の人々の食事が貧相であったとか、可哀想だとか?は全く思いませんが、むしろ健康的で美味しかったのではないか?と思われます。特に上杉藩は海の物、山の物にも恵まれていて、とても恵まれた食事をしていたのではないか・・・と。
もし、私が戦国時代にタイムスリップしたら、まともに生活するには相当の体力が必要ですので、病弱な人の部類に入っちゃうかな~って思います。なので、最近は特に、家事労働は自分の身体のためだと、面倒がってはいけないって思います。日の光の下での雑草取りも、自分の身体には、かなりの負担ですが、それが適度な運動になって、健康のためだと思うようになりました。日常生活が自分の健康をつくっているからです。歩くことも、昔の人のことを考えたら、わらじじゃなくて靴があるし、負担は段違いです。
昔の人って、凄い
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