Happy Charming Life 徒然ブログ 2005~

yaplog 終了により、goo blogお引越し。2005年からの備忘録として大切にしていきたいです。

戦国時代を垣間見ると

2009-09-07 20:37:23 | 旅行(国内)
8月25日
上杉家御廟所⇒林泉寺⇒上杉神社⇒天地人博というルートで回りました。
まったく米沢にも上杉家の米沢支配についても、無知でしたので、この上杉神社がある場所が元米沢城の中にあるということを行ってみて、初めて知りました。それも、米沢城はかつてあの、伊達政宗が生誕した地だそうで、戦国時代は自分の生まれた城が自分の城であり続けるわけではないという、不可解な力が働いたのですね。豊臣秀吉や徳川家康の名で藩替え、城替えをした方々は、どんなに辛かったでしょうか。

上杉神社の手前に上杉謙信公家訓16条というものが石碑に刻まれていました。素晴らしい謙信の心構えを感じます。戦国武将でありながら、「心」を最初に持ってきているということは、心のあり方が一番大事という考え方です。流石・・・です。しかし、この米沢の地に謙信が住んだことはありません。景勝公以降上杉家は、米沢の都市整備に尽力したそうで、とても米沢にいい軌跡を残し、愛されているようです。

上杉神社の隣には、稽照殿という博物館というか上杉家ゆかりの展示館があります。400円。そこで、直江兼続の「愛」の兜や、上杉景勝の日輪の中に色々な神様の名前を打ち込んだ兜、甲冑、文などを見る事ができました。戦国時代の甲冑を見るたびに思うのは、この重たいモノを身につけて、重たい兜をかぶって、どうして戦うことができるのだろうか?刀や槍を思う存分に振り回せるのだろうか?と不思議に思います。そして、上洛したり、戦地に赴いたりするのは、歩きまたは馬で行くと思うと、それだけで、相当な体力の消耗です。歩いて、新潟から京都に行くなんて、考えられますか?

展示品を見ていて、とても今の私達の生活態度とのあまりのギャップが気になり始めました。
戦国時代の人々の生活を垣間見るたびに、自分達の今の生活態度、運動能力、気力、体力が勝っていたに違いないと思うのです。人類は進化するということですが、寿命や身長、体格は確実に祖先たちより進化しているはずですが、体力・気力は昔の人が勝っているに違いないと思います。真似できない域だと思います。

私は時間がある時は、自分の家の中をすべて雑巾がけをします。そう、フロアにはいつくばって拭き掃除です。それが一番綺麗になるのと、気持ちがいいからです。料理にしても、昔は水汲み、かまどの火入れから、仕度等、力仕事は盛りだくさんです。昔の人々はそれが当たり前だったと思うと、それなりに家事でも相当の労力と体力と時間がかかります。それが、自分の身体のために健康のために良かったと思うのです。筋力、持久力ともに。

食べ物は当たり前のオーガニックです。肉食をする人は少なかったでしょうし、お釜で炊いたご飯は美味しいに違いありません。なので、昔の人々の食事が貧相であったとか、可哀想だとか?は全く思いませんが、むしろ健康的で美味しかったのではないか?と思われます。特に上杉藩は海の物、山の物にも恵まれていて、とても恵まれた食事をしていたのではないか・・・と。

もし、私が戦国時代にタイムスリップしたら、まともに生活するには相当の体力が必要ですので、病弱な人の部類に入っちゃうかな~って思います。なので、最近は特に、家事労働は自分の身体のためだと、面倒がってはいけないって思います。日の光の下での雑草取りも、自分の身体には、かなりの負担ですが、それが適度な運動になって、健康のためだと思うようになりました。日常生活が自分の健康をつくっているからです。歩くことも、昔の人のことを考えたら、わらじじゃなくて靴があるし、負担は段違いです。

昔の人って、凄い









兼続の墓:林泉寺(米沢市)

2009-09-07 16:11:52 | 旅行(国内)
8月25日
直江兼続とその妻お船の方のお墓があるのが、ここの米沢市の林泉寺です。本当は越後の春日山のふもとに林泉寺はあり、私もどうして?米沢にあるのだ?と思いました。上杉景勝が米沢藩主になった時に、林泉寺も米沢に移ったのでした。林泉寺では、直江兼続とお船の方のお墓参りをすることが目的でしたが、境内に入るのに100円、林泉寺のお堂内に入るのに300円を支払うシステムになっていました。

境内だけで、いいか?とも思いましたが、せっかくなので、堂内も入る事にしました。中はボランティアのガイドさんが居て、林泉寺の説明を簡単にしてくれます。そして、住職さんたちの位牌が並んでいます。直江兼続とお船の方の位牌はお堂の左側にありました。驚くことに、お船の方は約500年前の寿命が40~50年の時代に81歳まで長生きされたというミラクルな寿命を全うされていました。

ここで、私が観たかったのは、兼続の直筆の書、景勝の直筆の書でした。兼続の楷書の掛け軸になっている書体はとても丁寧な字であり、四角張っており、真面目に性格に硬いところもあるのだと思われました。大胆さや破天荒さのない、丁寧な繊細さのある人柄だと推測されます。楷書の字というのは、その人の人となりが出ます。上杉謙信が書いた板のレプリカがありましたが、大きなホウキのような筆で描いたその字は、「なるほど、流石」でした。

草書体のように続き文字の手紙もありました。景勝の書はちょっと、急いで書いたものか?ちょっとがっかりではありました。他の上杉神社や天地人博で観た豊臣秀吉や徳川家康の字は豪快だったり、上手かったりします。サインでもそれは現れるというか・・・。良い悪いではなく、やはり字は人を表していますね。

直江兼続とお船の方のお墓は2つ並んで、同じ大きさで建っています。兼続が亡くなったのが、60歳、お船の方が81歳でしたから、タイムラグが相当ありますが、当時としては異例の計らいだと思われるとともに、お船の方の存在の大きさがうかがわれます。とても立派な人だったのでしょう。



同じ境内に上杉家の女性陣や重臣の墓がありました。その一角に謙信の姉、景勝の母である仙洞院様の墓がありました。仙洞院様もとても立派な女性だったと思われますが、なんと、確か81歳享年です。すごい長生きです。同じエリアに景勝の妻「菊姫」享年47歳もありました。びっくりしたことに、武田信玄の娘、菊姫は天涯孤独で上杉家に嫁いだのだと思っていましたら、武田信清という兄弟(信玄の6男)と一緒に上杉家にやってきたそうです。そしてその弟は重臣として、上杉家のために貢献されたそうです。


この仙洞院様の墓に何か光が映っていますが・・・周囲は普通の檀家さんの墓地でもあるので、ちょっと・・・でした。お墓参りはそれなりの用意をして行った方が良かったな、と後悔


新潟発 お米のチップス「瑞花」

2009-09-07 15:33:23 | 旅行(国内)
昨日で、新潟出張が終わりました。あ~、やっと終わった~~という感じ。この出張を通して、夏野菜、新鮮な魚介類等沢山食べる機会に恵まれました。枝豆、だだ茶豆、ぶどう、なし、桃、海老、蟹・・・。食べ過ぎると、ありがたみが薄れるっていうか、当たり前になってしまうというか、もう、お腹一杯気味になりました。素朴な野菜料理が自分にとっては一番です。なので、4週間で、もう満腹、満足新潟はどこでも、海老がプリプリしていて、どうして?こんなにぷりぷりとおいしいのか?わからなかったけど、甘エビも大きな海老も海老が特においしい。

新潟土産で、「新潟チップス」という米粉のチップスがあり、1袋358~398円します。美味しいという方の多いと思いますけど、揚げてあるので、わたしはちょっと油が気になりました。
私としては、もっと美味しい、お手頃なお米系おやつがあります。「瑞花」です。この米粉チップスは310円で、サクっとして、揚げものですけど、数枚食べるのが、と~っても幸せあっという間に食べきるので、自制心が必要です。数枚でやめておかないと、やはり油が気になりますから。

先日、他の同僚が1袋柚子こしょう味を会社に持ってきてくれました。すぐに空私は、すでに新潟土産を沢山会社に差し入れしてたのですが、後輩に「買ってきてくださいよ~~~。」とおねだりされたので、今回は「瑞花」5袋も購入してしまいました。食べ始めると、やめられない、とまらない、って感じです。

東京は銀座松屋と新宿伊勢丹でも購入できますが、わざわざ新潟で買いました。賞味期限が1ヶ月なので、お手軽なお土産にいいな~って、思いました。