朝早く登るのが日課になっている地元の人がおられますが、かなりハードなハイキングです。
駐車時間が長いので参拝者とは別の場所に立派な駐車場があります。(境内まで1分なのでほぼ一緒)
美濃一宮 南宮大社(関ケ原合戦で焼失後、徳川家光によって再建)
南宮山へは本殿から左に行きます。
鳥居をくぐると山に入って行きます。
標高404m 登り1時間、下り45分と書いてあります。ハイキングコースとありますが ほぼ登山です。
若い時は六合くらい いけました ^^
頂上でできあがり(洒落が利いてます) 毛利秀元が1週間で築いたと言われる南宮山陣跡と虎口(写真の場所)
山頂は関ケ原合戦に参戦した毛利秀元(西軍 毛利輝元の名代、当時22歳)が15000の兵を連ね陣を張りました。
関ケ原古戦場記念館より
雲りでガスっていますが名古屋駅前ビル群や犬山城まで見えます。ここからは関ケ原は見えませんが東軍が大垣から関ケ原に
向かうのは確認でき、後方から攻める予定だったが 家臣(従兄 吉川広家ら)が黒田長政(東軍)へ内通したため、南宮山の下に
東軍が布陣して毛利の進撃を阻んだため、兵は動くことができないまま合戦は東軍勝利で終わりました。
南宮大社の奥にある南宮稲荷神社まで下りてきました。
ここには東照宮が祀ってあります。
伊勢神宮と他、南宮大社にはお参りするところがいっぱいあります。
行程です。
登山の基本は地図とコンパスですが、このアプリがあれば道迷いはほぼ0です。(記録時間は参拝と撮影時間を含みます)
南宮大社の見取り図 真後ろに伊吹山があり、これには理由があります。
googleMap 南宮大社と伊吹山に線を引きました。
普通 神社仏閣は南か東を向いていますが 南宮大社は南東を向いており、南宮大社が伊吹山を背に建立された理由は・・・
神武天皇の代から続く南宮大社は、鉱山を司る金山彦大神(かなやまひこのおおかみ)を祭神とし、全国の鉱山・金属の総本山に
なり、初詣には鉄鋼業・自動車関係など鉄を生業とした企業のスーツ姿集団が多く見られます。
本題ですが、鉄を加工する時は大量の火が必要となり、その火を熾す(おこす)には強い風が必要になり、この地は昔から北西に
位置する伊吹山から「伊吹おろし」と言う強風が自然の鞴(ふいご)になり鉄を加工する火力を作るため伊吹山を背にして風神を
迎え入れております。
境内から見た桜門、1月1日には初日の出が正面から射します。 南宮大社の初日の出 初詣客とカメラマンがゴッチャゴチャに
なり管理人も何度かチャレンジしましたが アウト です。こちらも南宮大社が南東を向いている理由になります。
南宮大社の住所は岐阜県不破郡垂井(たるい)町でして、新幹線から大鳥居が見えます。もう一つTV で有名になった垂井町は
駅の階段を上るとき関東は左側、関西は右側を通る実験で左右が切り替わる場所が垂井駅になり左右バラバラらしいです。最も
垂井駅の乗降者は少ないのでいつもガラガラなので真意は分かりません。ちなみに管理人は隣町の大垣なので左側通行です。
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