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<Begin with the End in Mind>悠悠、融融、優遊、悠悠閑閑な「ゆうゆう」生活のブログ

本当の由来は?

2020-07-20 | ブログ

熊本県の球磨川氾濫のニュースから、熊本県の熊本は、球磨川からきているのかなと思ってしまいました。

熊本県で検索してみました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%9C%AC%E7%9C%8C

分かったのは、次のとおり。

熊本という地名は、古くは隈本と書いた。隈本の由来には諸説あるが、菊池則隆に因むとする伝承がある。「隈本」の名が文献に見られるのは南北朝時代以降で、これを加藤清正が「隈」の字が畏(おそれる、かしこまる)の字を含むため武将の居城の名に相応しくないとして「熊」の字を充てたと言われている。

球磨川が起源でなかったのが、わかりました。

 

JR京都線(東海道線)の駅名に、「岸辺(きしべ)」と読む駅があります。

今は、岸辺ですが、近所には、「吉志部(きしべ)神社」があります。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E5%BF%97%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE

 

岸辺と吉志部と岸部の関係は、ここを参照してください。

https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000029602

・この地域は、朝鮮からの渡来人である吉師(吉士)(きし)が住んでいたことから、古来より「吉師部(きしべ)の里」と称されていた。

・この吉師が釈迦が池(しゃかがいけ)の大蛇を退治し、その偉大な志を人々がたたえたという伝説から、吉師の師を志と改め、「吉志部(きしべ)」となったと伝えられている。

・「吉志部」が「岸部」となったのは、明治22年(1889)の町村制施行で、吉志部村、南村、東村、七尾(ななつお)村、小路(しょうじ)村の五ヶ村を合併し、「岸部村」とした折である。

・「岸辺」の由来は国鉄の駅名によるものである。昭和22年の新駅設置の際、岸部村の素封家・中西鉄蔵(なかにしてつぞう)氏が、「岸辺」駅と命名した。

・なぜ「岸部」でなく、「岸辺」としたかについては、①「岸部」を「キシブ」と読む乗客もあるだろうから、できるだけ正しくキシベと読める「岸辺」の文字をあてた。

 

岸辺駅は、正しく読める漢字にしたのに、岸辺駅の隣には、「吹田(すいた)」駅があります。

関西の人は、「すいた」と読みますが、関西以外の人は、「ふいた」と読む人がいます。

「吹」を音読みすると、「すい」と読みます。

吹奏楽は、「すいそうがく」です。

「田」の音読みは、「でん」です。

本来なら、「吹田」は、「すいでん」となります。

実際は、重箱読みの「すいた」です。

これも、可笑しな地名です。