古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

車谷長吉の文は風穴をあけてくれます。

2013年10月26日 03時54分09秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                
 稲刈りがすんでさみしくなった田んぼの畦に、セイタカアワダチソウが咲いています。もうすぐまわりの山々が紅葉して、田舎はどこかさびしく、しっとりした秋の風景になります。一番好きな季節です。二番目は若葉の頃。で、雨で外仕事ができないものですから、図書館で借りた本など読んでいます。ふと目にとまって借りた車谷長吉の『妖談』がおもしろい。これは短編集ですが、ほんとに短い作品ばかり。彼の書く文はどこを切り取っても「車谷長吉が書いた文である」という血が流れています。


 私は生まれ付き身体障害者である。アレルギー性副鼻腔炎(遺伝性蓄膿症)なので、鼻で息が出来ない。この苦しみがあるがゆえに、人の顰蹙(ひんしゅく)を買う作家になったのだった。作家になることは、人の顰蹙を買うことだ、とは気がついていなかったのである。気づいた時は、もう遅かった。人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。出版社の編輯者は、自分は人の顰蹙を買いたくないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求して来る。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなるのである。読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである。  『まさか』より


 下総の佐原に、うちの嫁はんの友達・勝見梅子さんは住んでいる。高等学校の英語教諭である。お茶の水女子大学を出た才媛で、その才媛ぶりを鼻に掛けている。男どもをみな小馬鹿にしている。うちの嫁はんの友達には、そういう女が多い。梅子さんは英会話なども達者であるが、田舎町にいては、英語を話す機会はほとんどない。虚栄心が強いので、それを残念に思うているらしい。つまり、阿呆(あほう)である。自尊心、虚栄心、劣等感は人間精神の三悪であるが、併し梅子さんには悪であるとの認識はかけらもない。 『辛抱』より


 車谷長吉にしか書けない文をそこはかとなく読んでいると、こころに風穴があき、あたらしい空気が吹き込んできます。





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