散歩を再開したある日、去年舗装された農道を歩きながら、何気なく我が家を入れた写真を撮りました。右端の白い家が建築中の看護ステーションで、その横の平屋がうちです。山と呼べないほどの低い裏山があり、その左はずれにうちの(借りている)畑があります。
この視野の広がりはわるくない。
街に暮らす子や孫が、うちに来ると散歩したがる気持ちがなんとなくわかります。
田舎に暮らすってこういうことなんだ。絶景を眺めるのでなく、平凡な木立ちや田んぼや丘や茂みや小径がただそこにあり、ことさら意識せずそんなものにかこまれて暮らす。
黒大豆がぷっくりふくらんで、枝豆として食べごろです。
道子さんは、渡す人渡す人にほめてもらう〈手前味噌〉と〈黒大豆の枝豆〉をせっせと送っています。なにしろ我が家の黒大豆の枝豆は格別ですからね。ある年篠山で親しかった方から『川北の枝豆』が送られてきました。その値打ちは、篠山に暮らしたことがあるのでわかっているつもりです。あそこは朝霧が毎日のようにただよう。それがいい。うちの枝豆と食べくらべてどうだったかって? さあ……。
母・妙子さんは、100歳を越えてから寝ることが多くなりました。体調が悪いのでなく、本を読んだりテレビを見たりしているうちにうつらうつらするのです。でも快適な日和のときは、花バサミのカゴをかかえて裏山に出かけます。文を書かなくなった文学少女は、竹の小枝を切るのを仕事にしています。