古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

自分の「草刈り美学」を変更します。

2015年07月21日 04時17分00秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 きのうは道路沿いの土手を草刈り機で刈ったのですが、足場に乗って上半分を刈っていたとき写真の中央あたりで転落しました。下の道路でおでこを打ってタンコブができ、左の二の腕とひじ、右の親指も擦りむいていました。すぐに立ち上がってエンジンを止め、ほかに怪我していないかたしかめました。
                        
 道路側の足場から転落したのははじめてです。いままでにも転落したことはありますが、いずれも足場が不安定でぐらついたからでした。このたびは足場には問題がなくて、バランスをくずしたからです。足元の草を刈り残さないように草刈り機を動かすとき無理な姿勢になったのです。
 前老人会長さんと共感しながらおしゃべりしたことがあります。
「歩いたり草刈ったりして、バランスくずしたらそのままコテンと転ぶなー。姿勢くずしたらネバリが全然効かんようになった」
 そこでこのたびのことを、しっかり反省しました。
 この広い畑をまだ5年はつくるつもりです。土手の草刈りができなくなれば「この畑づくり」もやめて庭の菜園に切りかえます。で、そのために二つのことをすぐにやります。

 その① 足場板を幅15センチ以上の新しい材木にする。(費用はかかってもちゃんとした足場板を使用する……いまは10センチ幅の朽ちた木材なので重ねて継いである)
 その② 自分の「草刈り美学」基準を変更する。
 草刈り機を自分で買って草を刈りはじめたのは61歳のときでした。17年刈りつづけて年季が入ってきました。きれいに刈ろうとこころがけ、刈った土手を見て悦に入ったものです。今回バランスをくずしたのは刈り残しを気にしたからです。安全な足場で無理な姿勢にならなければまだ刈れます。

「刈り残しができても気にしない」 …… 宣言しましたが自分の美学の変更は、思いのほかむずかしそうです。
 でも「老いる」ということは、衰えゆく自分を「おー、よしよし」と受け入れることです。さらに高齢になり、排泄のお世話になるようになっても。長い間一生懸命に生きて、いまも一生懸命に生きているのですから「あなたは怠けたりサボったりしていない。いまも精いっぱい生きてるよ」と自分にささやいてあげる。そのトレーニングとして「草刈り美学」を変更します。
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