古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

歳月の落ち葉の下にはいろんなことが埋もれています。

2015年07月26日 03時47分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 東条図書館の入口には持ち帰り自由の「廃本」が置いてあり、ときに持ち帰ります。その中に『おとうさん やっぱり ガンやて』(1986年〈昭和61年〉発行・田中つた子著)という本があり、持ち帰って読んでみました。
 2年間ガンと付き合って40歳を前に逝った夫のことを妻が書いた本です。3人の子どもたちは健気に「おとうさん」を応援します。ガンの闘病記は「生きる」真実のドラマがあって何十冊と読んでいます。この本もそんな一冊で、30年も前の出版だから廃本されたのでしょう。
 読んでいくと、夫・田中裕三さんが「死を前にして全国を講演してまわる」ことが書かれています。ヤマギシの人の紹介で、三重の春日山で『特講』を受けた、人生観が変わった、という描写もあります。あれ? なんか聞いたような話だな。
 そういえばヤマギシで卵を配達してもらったことがあり、三重に豊里実顕地というのがあって、小学生だった娘たちを連れていったことがあります。そのときに「ガンで死ぬまで講演をされた人」のことを聞いたことがあります。たしかどこかのテレビでずっと取材して放映されました。あのときぼくは受けなかったけど『特講』を受ける人を三重まで車で運んだこともあります。
 あった! あった! そんなことが……。
 歳月の落ち葉の下にはいろんなことが埋もれているものだ、と感心しました。ほとんどは埋もれたまま消えるでしょう。でも、人生のつむじ風が落ち葉を吹き飛ばして埋もれた物を見せてくれることもあります。
 そんなとき「思い出」を確かなものにするために「個人年表みたいなもの」があるといいな。
 古希を前に「田舎暮らしをしよう」と思ったとき、それまでの69年の人生は一応「店じまい」するつもりで引っ越すときに処分しました。新しい世界に飛び込む気持ちでした。そして9年が過ぎようとし、ここの生活に慣れ、まだ余生はありそうです。
 近ごろ、その余生について思うのです。
「体もあちこちガタがくるし、物忘れするようになるし、最近のことが遠い感じでくっきり思い出せないし、認知症になるかも」
 死に掛けて生き返った人の記憶は、古いものから順によみがえります。子どもの頃・若い頃の記憶は確かでも、40歳50歳からあやふやになっていく。60歳70歳となるとまた一段とあやふやに。
 このブログをたよりに年表をつくることを思い立ちました。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする