下の弟は去年の5月に急性心筋梗塞で亡くなりました。独り暮らしでした。数日後に兄弟で家族葬をしました。あれから朝の瞑想のまえに、仏壇に向かい、手を合わせるようになりました。
仏壇の横に花をかざり、身内/先輩/親友/など亡くなった人の写真を置き、生前のきずなや思い出を心に浮かべます。この世の、いまの、自分の人間環境より「あの人たちと、心おきなく、おしゃべりするほうが愉快だろうな」と思うこともあります。
「法事」にこだわるのではありません。が、何かして、気持ちに区切りをつけたい。そんな思いで兄弟に呼び掛け、きのう一周忌という名目で集まりました。
それぞれに80歳に近くなり、互いの老いを感じました。
母・妙子さんは、4人兄弟です。存命の長女・妙子さん以外の3人は、90歳代で亡くなりました。だれが亡くなったときも、兄弟で葬式に出た人はいませんでした。
その話をして、親・兄弟の葬式には「お互い、無理をしないように」。高齢になると、かえって律義に葬儀に出ようとすることがあります。そんな律義は捨てる。
無理はしない。「やめとこう」という虫の知らせがあれば素直にしたがう。
兄弟でたしかめ合いました。
仏壇の横に花をかざり、身内/先輩/親友/など亡くなった人の写真を置き、生前のきずなや思い出を心に浮かべます。この世の、いまの、自分の人間環境より「あの人たちと、心おきなく、おしゃべりするほうが愉快だろうな」と思うこともあります。
「法事」にこだわるのではありません。が、何かして、気持ちに区切りをつけたい。そんな思いで兄弟に呼び掛け、きのう一周忌という名目で集まりました。
それぞれに80歳に近くなり、互いの老いを感じました。
母・妙子さんは、4人兄弟です。存命の長女・妙子さん以外の3人は、90歳代で亡くなりました。だれが亡くなったときも、兄弟で葬式に出た人はいませんでした。
その話をして、親・兄弟の葬式には「お互い、無理をしないように」。高齢になると、かえって律義に葬儀に出ようとすることがあります。そんな律義は捨てる。
無理はしない。「やめとこう」という虫の知らせがあれば素直にしたがう。
兄弟でたしかめ合いました。