古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

銀杯草(ぎんぱいそう)が咲いています。

2018年05月29日 04時14分11秒 | 古希からの田舎暮らし
 畑の遊歩道に、いま銀杯草(ぎんぱいそう)が咲いています。アルゼンチン原産の花だそうです。一株植えると毎年広がっていき、グランドカバー用に植えられることもあります。10センチより高くならず、地面をおおってくれます。

 アルゼンチンだったら、地平線まで白い花の広がる草原が見られるかもしれません。
 この銀杯草は、もともと母が神戸の家の庭先に植えていました。「文学友だちにもらった」と話していました。ぼくらが三木に引っ越し、母と暮らすことになったとき、道子さんが庭に移植しました。さらに畑の遊歩道にも少し植えました。それが10年で広がって、いま咲いています。
「ミモザ」と「銀杯草」は母には思い入れのある花で、この花との出会いを語っていたこともあります。去年は、銀杯草の写真を大きくして見せたら、「ホッ!」と笑顔を見せました。今年も、兄弟で母を訪ねたとき見せようと写真を用意したのですが、車に忘れてしまい、まだ見せていません。
 もうひとつ花穂の写真です。

 ちょうど今ごろは、あちこちの草むらにチガヤの花穂(ツバナといいます)が風にゆれています。この花穂を見ると、子どもの頃にツンバナ(ツバナの方言)を食べたことを思い出します。
 どんな味だったか、試しにまた食べてみよう、とは思いません。ただ敗戦後の、苦い記憶がよみがえります。都会では多くの戦災孤児が飢え死にし、田舎でも非農家のぼくらは、いつも空き腹をかかえていました。ツンバナも食べたし、グミ(方言で「ゴブ」と呼んだ)も舌がザラザラするほど食べたし、桑イチゴも唇を染めて食べたし、スイバ(方言で「シンジャ」と呼んだ)も蕗の葉に包んで持ち出した塩をつけて食べたし、…… 。
 そんな「子どもの頃飢えて育った世代」も80代になり、歴史から消えていきます。
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