古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

道子さんが今年は小豆をつくります。

2013年08月11日 03時00分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 このブログでは毎年、道子さんの『小豆づくり』の様子を伝えてきました。
 小豆の畝を毎朝点検してムシをとり、孫の昆虫網を振りまわしてアズキノメイガを捕まえ、馬酔木の煎じ薬を散布し(トウガラシやニンニクも入れて)、黄色の粘着紙をぶら下げてアズキノメイガを捕獲し、アズキノメイガは地上2メートル以上は飛ばないから(と本に書いてあった)高さ2メートルの防風ネットで囲い、ありとあらゆる苦労をしました。あまり小豆のムシ防除に熱を入れて、大豆や黒豆のムシ防除に手がまわらない年もありました。
 さんざん苦労してたどり着いた結論は、「4ミリの防風ネットで小豆をすっぽりおおってしまう」でした。
                
 今年はまずトウモロコシでこの「防風ネットでおおう」作戦を展開して、ある程度の成果をおさめました。写真の青ネット内は小豆です。いまのところ順調です。これからどんな展開になるか。
 またお伝えします。
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堂々と『ツル返し』をしました。

2013年08月10日 02時24分16秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
 去年のブログをいま読み返していました。(2012年8月19日のブログ)
 動物に『シモン一号』(サツマイモ)を荒らされた口惜しさを、綿綿と書いてる長い日記です。

 あれは、わずか一年前 = 去年の今頃だったのですねえ。夢のようです。

 サツマイモには毎日動物ネットをかぶせて帰り、朝になればネットをはぐってツルを自由にしてあげる。動物の捕獲檻にアライグマがかかってないか点検して、餌を整える。イノシシ撃退用に、レジ袋に包んでぶら下げ、一晩中鳴っていた携帯ラジオを消し、家に持ち帰って充電する。やられていないか、スイカ・トウモロコシ、サツマイモなどを点検してまわる。そんな毎日でした。
 それがいまでは帰るときに、〈ヒョイヒョイヒョイ〉と電気柵のゲートを引っ掛けるだけ。
 上の写真は安納芋の畝を『ツル返し』したところです。翌日は反対側にツルを返します。上から動物ネットをかぶせて守らなくてもいいし、「ツルくん」たちも実にのびのびと伸びています。
 去年は「草取り」も「ツル返し」もおちおちできませんでした。忙しいときは日中でもネットをかぶせたままにしていました。ですからサツマイモは「ツルボケ気味」でした。
                  
 キュウリ・オクラ・ピーマン・ゴーヤ・マクワウリなどが沢山とれて消化し切れません。そこで通行人や配達に来た人にもらってもらおうと玄関に置いた写真です。と申しましてもこんな暑いときに田舎の山道を歩く人なんかいません。ふだんでもゼロですから。向かいで建築工事をしておられる方などにもらってもらいました。
 

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グルコサミンを飲んでます。

2013年08月09日 03時49分38秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 大豆の畝です。大豆の両側に2メートルおきに竹の杭を打ち、マイカ線を張りました。これで横からの強風で多少傾いても、倒伏はしないでしょう。もし超大型台風が来るようなら、20センチ上にもう1本マイカ線を張ります。
 テレビを見ていると、「グルコサミン」のコマーシャルが多いですね。それぞれの会社の人たちは「グルコサミン戦争」をしている気分でしょうか。「5つ会社をいいなさい」といわれたら、ぼくでも言えそうです。
 で、うちもグルコサミン飲んでます。100歳の母・妙子さんは薬やサプリメントは一切飲みません。飲んでいるのは息子のぼくと妻です。「痛くて歩くのに苦労する」ことはありませんが、足腰のためになんとなく。
 ずいぶん高い値段の製品もありますが、うちは一番安い会社の製品。それも一日○錠というのを4割にして。だから2人で真面目に飲んでも月1000円もかかりません。
 それにしても老人向けの薬やサプリメントの広告は多いですね。元気でも「ちょっと飲んでみるか」という気になります。うちでは野菜をあふれるほどつくり、『金ゴマ』も道子さんがいっぱいつくって、しっかり食べていますから『青汁』・その他に食指は動きませんが。
 食卓にサプリメントを並べて、「毎日一通り飲むのが一仕事」状態になってる方があるかも。
 みなさん、元気で長生きしましょうね。
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吉野万理子『連れ猫』を読みました。

2013年08月08日 02時37分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                    
 畑のスイカ・マクワ瓜・メロンは連日せっせと食べています。孫たちにも持ち帰らせました。ようやく残務整理の段階になったようで、きのう、スイカは小さいのもすべてひきあげました。
 マクワ瓜・メロンは皮を剥いて冷凍しておき、ミキサーでジュースにして飲んでいます。冷凍庫がいっぱいになるので順次収穫していきます。苗も畑もよくて、今年はたっぷり食べています。
 さて図書館で本を借りても、気が向いた本しか読みません。読まずに返却する本は「あの本とは縁が無かったんだ」と思うことにしています。それに近頃は本を読むのが遅くなり、文字の列がなかなかイメージとして頭に入りません。で、先日借りた本の中に吉野万理子の『連れ猫』という小説がありました。
 なぜこんな本を借りたか自分でもわかりません。本棚の間を歩いて、ふっと目が行き、手が伸びて本を借りたのですから。「縁があった」のでしょうね。
 読みやすい本でした。でもぼくは猫が好きではありませんから、なんでこんな本を終りまで読んだのかわかりません。読み終わって表紙の絵を見たら、2匹の猫の絵がついています。
「そうか。登場したのはこの2匹の猫か」とはじめて意識して絵を見ました。猫に話しかけたり、心を寄せることができないので、そもそもぼくが読む本でなかったのかも。
 年寄りが『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のようなワンパターンのドラマを見る気持ちがわかる年齢になりました。だれか応援する人を見つけて、その人に心を添わせながら読んだり見たりしたい。それなのに、この本ではだれにも心を添わせられない。そんな落ち着かない気持ちがあって、先へ先へと読ませたのでしょうか。
 読んでいくといやな人、へんな人が出てくるし、いじめはあるし、まともなのは「猫」だけど猫には心が入っていかないし。終わりのほうで話がだんだん甘くなってしまいましたが、猫の好きな人が読んだらいいかな。
 DVの男が出てきて、読むのがいやでした。本人もまわりも心穏やかに生きられないって辛いでしょうね。
 
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過疎の村。

2013年08月07日 05時17分12秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 西粟倉村・国民宿舎の横を流れる谷川沿いに10分ほど上ると、写真の民家前に着きます。これで民家はおしまい。あとは舗装してない、軽トラ一台がやっと通れる細い山道になります。道に草が繁り、蛇か蝮が潜む気配に先に行ってみようという気が失せます。
 今年6月、なぜこんな民家を再訪したか。
「立派な民家が空き家らしかったけど、その後どうなったか」
 気になって、雨の中をここまで走ってみたのです。ここは去年の秋、柿の実が色づくころに来てみました。車を止めて写真を撮っていると軽トラがやってきました。
「こちらの方ですか」
「いや、わしは鳥取県から温泉に入りに来た。まだ開くまでに時間があったで、ちょっと走ってみたんや」
「この家は空き家みたいですね。柿の木は折れて、草ぼうぼうで荒れた感じだし」
「あれは熊の仕業や。甘柿を食おうと登って、木を折ったんや。熊は力が強いけのう」
 そんなやりとりを思い出して、しばし付近を歩いてみました。
 それから智頭急行の『粟倉温泉駅』に引き返して駅舎に入ってみました。
 駅前に新しい建築の民家が数軒建っています。手前の二軒は空き家状態に見えます。ネットで調べるとここは数年前に村が売り出した宅地で、100坪300万円でした。それが売れ残ったのか。買った人が放置しているのか。空地のまま。家を建てた人も別のところに暮らすのでしょう。
 過疎というのは、大きな力が作用している気がします。
 
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強風で大豆が傾きました。

2013年08月06日 00時30分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 大豆の花が咲いています。サツマイモの畝が乾いて白くなってきました。落花生がいま地中に根を下ろしているところです。ひと雨ほしいなあ。
 そんな思いが通じたのでしょう。日曜日の夕方は久しぶりにしっかり雨が降りました。
 竜神さま、ありがとうございます。
 ところが日曜日は風も相当に強かったようです。きのう畑に行ってみたら大豆が傾いていました。
 今年はいろんな種類の大豆を苗立てして移植し、どれも順調に生長していました。一番に花が咲いたのは北海道の「鶴の子」大豆でした。30センチ余りの低い木ですが、白い花をつけ、それがサヤになっています。
 水田種苗店で買った「タマニシキ」は味噌用に適しているとききました。いまではその畝は立派な木になり、可憐な花をつけつつあります。その木が西からの強風で傾いているのです。それと村の人に「鶴の子」としていただいた大粒の大豆の畝も。いままで植えていた「サチユタカ」も。
 あまり根を動かしてはいけませんが、傾いたまま生長させるのはどうか。ゆるい傾きなのでそっと起こして根元を土で固めました。10メートル×6畝を2人で直していきましたがしんどかった。
 明日2メートルおきに竹の杭を打ち込み、マイカ線を張って保護します。黒豆はそんな風にマイカ線で保護していますが、大豆はいままでしませんでした。でもこれから台風が来たり強風が吹けばまた傾きます。もう一度傾いたら根が動き収穫ががた落ちになります。今年は大豆もマイカ線で保護します。
 きょうは竹の杭を150本つくり、打ち込み、マイカ線を張る。結構な仕事になります。
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亀は側溝の縁をうろうろしていました。

2013年08月03日 03時15分10秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 緑のトンネルに「ゴーヤ」8本と「千成瓢箪」1本が這いあがり、りっぱな日陰になりました。その千成瓢箪ですが、たった1本なのに8本のゴーヤを圧する勢いでトンネル全体に広がり、写真のように瓢箪がいっぱいぶら下がっています。文字通り〈千〉もできたってどうしようもないなあ。
 さて2週間ほど前、亀のことを書きました。
 上の無施池に住んでいる亀が大雨のとき溝に流れ出て、うちの畑の溝にいました。孫に見せようとタライに入れてたのですが、畑の草むらに出して忘れてしまい、気がついたらどこかに行ってしまったのです。
「どこに行ったのだろう。無事に生きてるかな」気にしても仕方がないし、忘れていました。
 きのうの夕方、清掃をした道路の側溝の縁にいるではありませんか。
「どこでどうしてたんだ。こんなところをうろうろしてたら、日に何台か通る車に轢かれるよ」
 上の無施池に連れていって斜面をくだり、水面近くに置いてあげました。
 ポチャン! 音がしたので振り返ったら亀の姿はありません。
 水のにおいで池に戻ったのがわかったか。実に素早い動きでした。
 そうそう、おととい志染農協に「ヌカ」をもらいに行きました。「あらかじめ電話で有無を確認してから来てください」と言われてたので電話しました。
「はい、現在一袋はあります。名前を書いて貼っておきますから取りに来てください」
 行ってみたらびっくり。一袋倉庫に置いてあり、名前がついています。写真撮ればよかったな。
 その袋というのが軽トラの荷台に載らないほど大きい。五右衛門風呂を枡にして測れば10杯分くらいのヌカが入っているでしょう。こちらは45リットルのゴミ袋2杯分くらいで十分。もらって帰り、EM酵素肥料や馬酔木団子(ムシくんたちが食べる)につかいます。
 カナカナ蝉がしきりに鳴き、日が西に落ち、秋の虫の先触れが鳴きはじめる夕方、「ぼちぼち帰るか」と思いながら畑仕事をする。なかなかいいものです。
 
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もうすぐお盆なので道をきれいに。

2013年08月02日 01時14分03秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                   
 畑から我が家への100メートルあまりの道は、写真のように山に添っています。夏は、竹・木の枝・笹・草が伸びて道路におおいかぶさり、落ち葉や枯れ枝も落ちて、少し荒れた感じになります。
「もうすぐお盆だというのに、この先に人の住む家があるのに、この荒涼感はいやだな」と思いながら畑に通っています。
 きのうは思い立って、草刈り機で山のすそを刈り、道路のゴミを掃き清めて、きれいにしました。全部はできなかったので、きょうもつづきをします。年末にはご近所みんなで落ち葉を掃き清めてお正月をむかえますが、お盆まえにもしたらどうかと思ったり。
 夏の畑は草も勢いよく生え、伸び、はびこりますが、野菜をねらうムシたちも元気いっぱい。
 そのムシを食べてくれるのは、小鳥ではツバメ。畝を耕運すると必ずやってくるのがセキレイ。目ざとく幼虫を見つけて食べてくれます。蛙はうちの畑にはいっぱいいて、動くムシはパクッ! でも道子さんの観察によると。
「蛙は動くものは口に入れるから、カメムシがいるとパクッ! でもしばらくすると『ズワズワズワ!』と吐き出してきまう」
 蛙くん、カメムシも食べなきゃダメじゃないか。
 音なしの構えで目立ちませんが蜘蛛がまた大働き。いろんな蜘蛛が大小さまざまな網を張ってムシを食べてくれるし、蜂もしっかり食べます。ムカデも草陰で頑張ってるかな。
 胡麻は伸びて背が高くなり、クロメンガタスズメの幼虫が葉を食べてます。道子さんは下の葉を落としながらカメムシは潰し、クロメンガタスズメの幼虫はタライの水に。
 今年はムシが多いような気がするのですが。
 
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映画『終戦のエンペラー』を見ましたが……。

2013年08月01日 02時52分23秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
                  
「野菜づくり(有機無農薬)を体験してみよう」と6月から街の青年が毎週末やってきます。夏場は早朝6時から9時頃まで仕事をしますが、彼は6時より早めにやってきて熱心に土にさわります。一週間の作物の生長や変化に驚き、気持ちの入った仕事をしてくれます。朝日を浴びて自分の畝の土をほぐしている写真です。
 きのうは思い立って『終戦のエンペラー』というアメリカ映画を見に行きました。見て損した。何の新味も感動もありませんでした。おすすめできません。「口直しに近いうちにジブリの映画でも見ようか」と道子さんと話しながら帰ってきました。
 お金をかけて、エネルギーをつかって、なんであんな映画をつくったのでしょうか。
『昭和天皇の終戦史』(1992年発行・岩波新書)は優れた本で、いまも本棚にあります。戦後生まれの歴史家が「自分の感情を混じえずにこんな本を書く」時代になったか、という感慨がありました。
 ぼくも「あの敗戦の体験者」の著作をいろいろ読んできましたが、そこにはあの時代を生きた人の生活や感情がどうしても入っていました。半藤一利氏の本にしても色川大吉氏の自分史『ある昭和史』にしても自分という「生身の人間」を抜きにあの戦争を語れない著作でした。
『昭和天皇の終戦史』を読んで、「生きた血の流れる人生」が「歴史」に送り込まれていく瞬間を見たような気持ちになりました。あの名著が念頭にあって『終戦の……』という題の映画を見ようという気になったのです。軽率でした。批評や感想をネットで読んで行くかどうか考えるべきでした。
 口直しに『昭和天皇の終戦史』を読み直してみます。
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