古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

〈西神中央ホール〉で音楽を聴きました。

2022年11月13日 22時00分23秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は久しぶりに生の音楽を聴きました。〈三木室内管弦楽団〉の定期演奏会があったのです。
 場所は『なでしこ芸術文化センター』の『西神中央ホール』。きいたことのないホールです。「西神中央」というのだから、車を地下鉄〈西神中央駅〉の駐車場にとめて、人にたずねながら行きました。
 10月1日にオープンしたばかりの、真新しい、500人入る、音楽ホールです。

 中川雲母さんのバイオリンで、ブラームスのバイオリン協奏曲。お名前の「雲母」を「ウンモ」と読まないで。「きらら」と読みます。一カ月前にオープンしたばかりのホールで、スラッと背の高い、美しい女性が、お名前のようにキラキラした演奏を聴かせてくださいました。
 このホールは音がいい。音楽がいいように響きます。
 次は、ベートーベンの交響曲第二番。曲名を見て不思議な気がしました。ベートーベンの交響曲といえば、第三番『英雄』/第五番『運命』/第六番『田園』/第九番『合唱付き』/が有名です。七番/八番/もよく演奏されます。一番も聴いたことがあります。でも第二番ってあったかなあ。
 レコードでも聴いたことがない曲でした。「印象に残るメロディー」はまだありませんが、これから〈you tube〉で聴いてみたい曲でした。
 三木室内管弦楽団の次の定期演奏会は来年5月21日(日)です。忘れないようにカレンダーに記入して、聴きに行きます。
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また干し柿をします。

2022年11月12日 15時33分18秒 | 古希からの田舎暮らし
 道子さんは〈干し柿づくり〉に精を出しています。干し柿がほしいので、渋柿の愛宕柿(10キログラム×2)を通販で注文したのですが、それが届くのは11月下旬です。秋なのに干し柿が吊るしてない。
 干し柿の甘さは特別です。しあわせな気持ちになる。ぼくは勝手に、また10キロ渋柿を注文してしまいました。それは早い! 2日で届きました。
 昨夜、道子さんは早速〈夜なべ仕事〉で頑張りました。10キロでこれだけになります。

 渋柿の皮をむいて、沸騰する湯につけて、干します。一日一日、干し柿色になっていくのがたのしみです。

 85歳になったからでしょうか。毎日外仕事に精を出したらいいのに、「どうも今日は動く気がしない」と家の中でグズグズしている日があります。「なにクソ。頑張るぞ!」と思わないのがぼくの主義ですので、自分にムチを入れる気になりません。
 机に向かって「漢字ナンクロ」したり、朝寝/昼寝/したり、読書したり、パソコンで音楽聴いたり、テレビ見たり、で時間が過ぎていく。
 今日はそんな一日でした。そのまま自分を受け入れます。
 
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大豆は8キロ弱の収穫でした。

2022年11月11日 17時24分52秒 | 古希からの田舎暮らし
 今年の大豆は10月31日に刈りとり、ウッドデッキに広げて干しました。夜はブルーシートをかぶせて夜露をしのぎ、昼は太陽にあててよく乾きました。ときどき合間には大豆を踏んでまわり、パリパリ音がしてさやがはじけました。今日で12日目になります。雨が降ったのは一日だけで、三木には連日乾燥注意報が出ており、もう十分乾いています。
 今日は収穫です。

 農耕のはじまった頃からの方法で、自作の槌でたたいて脱粒しました。「こんなによく乾いたのははじめてだ」というくらいパリパリで、たたくまえにほとんどサヤがはじけています。
 つぎは、フルイで枝葉・ゴミをとりました。このフルイも自作で16年つかっています。

 フルイを使うのは年に一度ですが、役に立っています。
 アラゴミやホコリをとりのぞいて、計ってみました。7,8キロくらいの収穫です。

 ここから、道子さんの検査で選別されますから、おそらく7キロ弱の収穫になるでしょう。味噌用に6キロ。かつかつです。
 去年の収穫は10キロ弱だったかな。今年は30センチおきの〈二条・千鳥植え〉にしたから少し減りました。(去年は25センチ千鳥)そろそろ大豆をつくる畝を移動したいのですが、また考えます。
 味噌は神戸に暮らしていたときから何十年と作りつづけていますが、さて何歳まで。
 有機無農薬大豆を自作できる間は頑張ります。
 我が家の味噌の味は大豆が決め手です。



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早坂暁『戦艦大和日記』を読みます。

2022年11月09日 17時29分27秒 | 古希からの田舎暮らし
 一昨日三木中央図書館で本を借りたとき「さ、本は選んだ。借りて帰ろう」と本棚の間を歩いていて、フッと『戦艦大和日記』という本が目にとまりました。著者は早川暁で分厚い本が全五巻ずらっと並んでいます。
 早川暁といえば『夢千代日記』を書いた脚本家です。「なんでこんな本を書いたんだろう」。とりあえず第一巻だけ借りて読んでみることにしました。
 読みはじめて驚きました。これは〈日本のあの戦争〉をきっちりつかんでいます。
 早川暁は昭和4年(1929年)生まれです。日本の仕掛けた「アジア・太平洋戦争」敗戦の年に16歳になっていました。多感な少年時代に敗戦にぶつかり、早坂は生涯〈あの戦争〉を胸にかかえて生きたのでしょう。そしてこの本は、どうしても書かねばならなかったのでしょう。
 この本を宣伝する文が裏表紙にこんな文でつづってあります。

 
巨大戦艦・大和はいかにして生まれ、そして沈んだか …… 連合艦隊司令長官・山本五十六 ……  歴史に翻弄される人々の情熱と哀しみが、大和の雄姿をかたち作っていく。圧倒的スケールで「昭和の戦争」の意味を問う超大作、ついに刊行!


ぼくは今年になってから〈あの戦争〉を小説風に書き残した本に出会い、力を込めて読みました。サラッと読めない本でした。部厚いだけでなく、あの戦争への、著者の〈渾身の思い〉がこめられている本でした。
〇 2月から3月にかけて読んだ本 …… 『神の国に殉ず』(小説 東条英機と米内光政) 上・中・下巻 著者=阿部牧郎
〇 5月から6月にかけて読んだ本 …… 『満州国演義』全九巻 著者 船戸与一
  
 そして今、この本に出会いました。一ヶ月かけて読みます。

 昨日つくった棚に、道子さんがプランターを早速並べてくれました。その前には人工芝の余りを敷いています。デッキに置いていた小テーブルとイスを並べてみました。
 家のまわり(玄関先/裏山の登り口/テントハウスのまわり/バードフィーダーの近く/バラ園/小屋の前/庭の柵沿い/窓の外)には大小のプランターが50個超あります。全部道子さんが世話するプランターです。
 大変だなー。 
 
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手すりに〈プランター用の棚〉をつけました。

2022年11月08日 20時10分47秒 | 古希からの田舎暮らし
 今日は大工仕事に精を出した一日でした。
 夕方までかかって、ウッドデッキの通路工事をしました。
〇 単管パイプの手すりに木の手すりをつけました。写真に見えるように、単管パイプの上に〈2×4材〉をつけました。
〇 昨日、キシラデコールを塗った木材で、今日は棚をつけました。

 これが結構大変な工事でした。現地主義で仕事をしますから、あらかじめのイメージ通りになかなかできません。支える柱にしても、一応寸法をはかって少し長めに切るのですが、「アッ! もう2ミリ短くしよう」とか「板の厚みを加えるのを忘れてた」とか。何度も小屋の電鋸と現場とを往復する。 …… 疲れました。
 途中で、注文していた〈IHクッキング・ヒーター〉が届き、道子さんは調理台横の台を一生懸命きれいにしました。そしてぼくと二人でビルト・インの台にはめてみたのですが、付属のこまごました部品が、うまくつきません。
 説明書があるので、読んでその通りにやろうとするのですが、うまくいかない。
 老人になると「説明書を読んでその通りする」のもむずかしくなるのを、しみじみ体験しました。
 
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プランターを置く棚をつくります。

2022年11月07日 17時47分05秒 | 古希からの田舎暮らし
 ウッドデッキの通路は完成しましたが、単管パイプの手すりでは味気ない。木材をパイプにとりつけます。手すりの下にはプランターを置く棚をつくります。もっと高齢になって庭に下りるのが面倒になっても、目の前のプランターなら手を伸ばすかも。
 材木などを買いに、今日は軽トラで出かけました。
 二軒のホームセンターに寄って、材木や釘を買い、イーオン(ジャスコ)にまわって〈漢字ナンクロ〉の雑誌を三冊買いました。夜中に起きたとき、ときどきやってます。いままでのナンクロの雑誌はほとんど問題をやったので廃棄します。漢字は、ゆっくり、ていねいに、書きます。(ときどき「えーと、あれは …… 」となかなか出てこない漢字がありますけど)
 午後は、材木にキシラデコールを塗りました。

 プランターの棚は10年はもたないでしょうが、元気があれば数年後に塗り直します。
 図書館にも寄って、本を借りました。いまは20冊の本を3週間借りられます。吉村昭の本、鳥羽亮の時代小説、中公新書・岩波新書は、借りるようにしています。夜中のたのしみです。
 村の営農組合は、黒豆を3町歩超つくっています。12月初旬までに出荷すると〈いい値〉になるので、〈葉落とし〉がはじまりました。腰の痛くなる仕事ですが、頑張っておられます。
 道子さんは数本残している我が家の黒豆の〈葉落とし〉をやってました。今年はカメムシがひどくで、収穫は見込めません。大豆や小豆はできましたが、黒豆はさっぱりです。

 
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また〈焼き芋〉をしました。

2022年11月05日 17時49分38秒 | 古希からの田舎暮らし
 裏山で仕事があるので、今日も〈焼き芋〉をしました。Mサイズの「紅はるか」を買ったので、10個ダッチオーブンに入ります。三回で5キロを焼き芋にしました。サツマイモは掘ってから40日くらいで美味しくなります。もう一箱ありますが、少し間をあけます。
 裏山の仕事というのは、池に網をかぶせることです。秋が深まり、木の葉が落ちはじめました。これから12月中旬まで、たくさんの落ち葉が池にも落ちます。池の水は循環していないので、落ち葉が入らないほうがいい。毎年池に網をかけています。
 今年も網をかけました。

 今年は竹を割って写真のように動物ネットをかけました。時間はかかりましたが、いい具合にできました。

 この池を掘ったのは2015年の冬でした。ぼくは78歳になったところでした。2014年の12月にキウイ・デッキをつくりました。年が明けてからは地面を掘って、/あぜパネル/コンクリートブロック/材木/ゴロ石/布団や毛布/プール・ライナー/バラス・砂/を総動員して池にしました。8年経過したのに水は漏りません。プール・ライナーのお陰です。このビニール・シートは外国製(ドイツ製だったか)で、実にスグレモノです。
 そのあと2月の終わりから3月にかけては、3メートル×3メートルの花見デッキもつくりました。フィンランド・エコ・デッキのフロア材をつかいました。これは人工木材で、いまも丈夫です。
「いろいろ作ったなー。あの頃は、まだ元気だったんやなー」と自分で感心しています。

 午後は東条図書館に行きました。「日本木管コンクール」の二次予選の日で、駐車場はいっぱいでした。今年はフルートの番です。コスミック・ホールのシートで生の演奏を聴く。いいなー。でも、フルートはパスします。来年はクラリネット。二次予選はモーツアルトのクラリネット協奏曲の全曲演奏。15人前後の予選通過した若者が演奏します。これは絶対聴きに来ます。
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時代小説を読んで感じたこと

2022年11月04日 19時39分13秒 | 古希からの田舎暮らし
 神戸から道子さんのお友だちが訪ねてきました。ぼくは裏山のたき火場で焼き芋をしました。たき火のお守りをしながら、テントハウスを掃き、パラソルを広げて傾け、花見デッキの落ち葉を掃き、テーブルカバーをととのえ、ハンモックを吊りました。

 たまにお客さんもいいですね。参観日のまえ、掃除や掲示にあれこれ気をつかう担任の気分でした。

『ナバロンの要塞』という映画は1961年(昭和36年)に公開され、ぼくは映画館で見ました。おもしろい映画でした。いまでもテレビで放映されます。ところがコマーシャルの関係からかフィルムをカットして、短くなっています。それを見ると面白くない。筋を追うだけになっています。
 さて『ナバロンの要塞』は大ヒットしました。そこで製作者は続編『ナバロンの嵐』という映画をつくりました。前作がおもしろかったので、ぼくは期待して見に行きました。ところが全然おもしろくない。凝り過ぎて、信頼できる人間が「実は敵のまわし者だったりして」だれを信じていいのかわからない。映画では戦争に勝つためにダムを破壊するという筋です。「ダム破壊が下流の人にどんな被害をもたらすか」。なんという「バカな作戦」。イヤな映画を見た気がしました。
 実は鳥羽亮の『隠猿(おんざる)の剣』という時代劇の小説を読みました。善玉だと思う人がコロコロかわって、正義の味方はわからなくなってしまう。凝りすぎです。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のような時代劇は単純すぎますが、複雑すぎるのもなじめません。読者は、作中人物のだれかを応援して読みすすめます。
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「縁があったんやなあ」と思い出します。

2022年11月02日 21時58分09秒 | 古希からの田舎暮らし
 映画『遥かなる甲子園』は、1990年につくられました。中学校の人権教材としてよく見られた映画です。ぼくは係をしていたので、中学校の体育館で全校生に見せる段取りをつけました。
 10年勤務した明石の中学校で、上映・鑑賞の計画・交渉・準備をしたのですが、当日は出張が入って見られませんでした。生徒にあとできいたら「先生、ええ映画だった。感動した」。
 次の年、明石の別の中学校に転勤して、やはり人権教育の係になりました。自分が「あの映画を見たい」と思い、全校生鑑賞の段取りをつけました。当日は朝から体育館の暗幕を引き、準備しましたが、ぼくは出張が入っており、見られませんでした。
 60歳の定年まであと3年というところで「最後は田舎の小さな中学校で、ひとつの学年の生徒全員に英語の授業をして3年間育てたい」と思い、田舎の中学校に転勤しました。それまでは大きな中学校ばかりに勤めていたので、学年の一部の生徒にしか授業できませんでしたから。
 現・丹波篠山市の、全校生150人ほどの小さな中学校に転勤できました。そこでもまた人権教育の係になり、町民体育館で映画を上映するように段取りをつけました。保護者のみなさん、町民のみなさんにも見てもらいました。
 ぼくも映画『遥かなる甲子園』をちゃんと見ることができました。
 そんな26年も前のことですが、寝ていてフッと思い出しました。
 あの映画とは「縁があったんやなあ」。

 少し映画の内容を。
 昭和39年(1964年 東京オリンピックのあった年)沖縄では風疹が大流行し、聴覚障害の子どもが多く生まれました。この子たちが成長して高校に行くようになったとき、沖縄に3年間だけの聾唖高等学校がつくられました。この学校の生徒たちは「自分たちも甲子園をめざしたい」と願い、野球部をつくり、練習し、沖縄大会に出場しました。その汗と涙の物語です。
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