老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

暑い? 涼しい?

2020-08-21 20:40:02 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

暑い夏の夕暮れ雲


1638 暑い? 涼しい?

こうも暑い日が続くと
ベッドに伏している老人も
在宅介護者も
気怠さと疲れだけが溜まり大変な日々の連続。

民家を利用した小規模デイサービスの入浴介助も大変。
民家の浴室には冷房設備はないところがほとんでである。
汗がだらだらと顔や体を流れてゆく
コロナウイルス感染防止対策では「密接」「密着」を禁じているが
入浴介助は、密着そのものであり、「ノーマスク」である。
サービスをお願いするケアマネジャーとして、「感謝」の気持ちでいっぱいである。


在宅訪問をしたら
63歳の澤松七花さんは「この扇風機涼しくないの?」、と言われ
扇風機を止め、よく見たら扇風機の羽が逆向きになっていた。
カバーを外し羽の向きを変えたら、風が飛び出し、七花さんは驚きの声、「風が吹いた」。

94歳の間舟婆さんは、扇風機の風をあたりながらダウンジャケットを着ていた。
米寿になった緑谷婆さんは、下着の上に毛糸のベスト来ていた。





外の風を入れたい

2020-08-18 17:52:41 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
外の風を部屋のなかに入れる

1634 外の風を入れる

94歳になるひとり暮らしをしている老女がいる
30度を超える暑い日が続いている
「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は死語になりつつある
人間だけでなく地球までもが病み
河川氾濫 猛暑 森林火災など人為災害が多発している

老女は暑いので冷房をかけているのだが
なぜか部屋の掃き出し窓は全開なのだ
老女に「窓を閉めないとエアコンが効かないよ」、と声をかけた。
そしたら、老女は「外の風も入れたいから」と話す。
「なるほど」、と思いながらも返す言葉が・・・・・。

老いの坂道

2020-08-07 06:00:52 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1620生死をみつめる ❹ ~老いの坂道~

老いは「下り坂」のように言われるが
自分は老いは、ときには「登り坂」に思うことがある。

自ら躰の向きも変えることができず寝たきりに伏し
去る日も来る日も天井と壁をみながら過ごす老母。

食べることも水を飲むことも 躰は受けつけず、脚は曲がり
大根のように脚は浮腫み、身の置き場がない。
テレビの音にかき消されることもあるが
雨風や息子が台所で水を流す音が聞こえる。
音だけでなく生活の匂いもある。

壁の上には、夫の遺影が目に入り
「もう少しで私も逝くからね」と胸の内で呟く。

蓮如「「朝には紅顔ありて、夕には白骨となれる身なり」
老いた人も若い人も関係なく、死は誰もが迎えるし起こりえることである。
老人だから先に死ぬ。子どもだから親の後に死ぬとは限らない。
死はいつ、訪れるか、それはわからない。
自分が今日死ぬかもしれない、と思いながら生きている人はいないが、
老い病み、夕には白骨となれる身かもしれず、人生の無常を感じてしまうけれど
「われ閉眼せば賀茂川へ入れて魚にあたうべし」といった親鸞の言葉もいさぎよく、美しい死に思えてくる。

他人の死に 不感症になってはいけない。

「我々はどこから来たか? 我々とは何か? 我々はどこへ行くのか?」
介護は老人の死をもって終焉となる。
介護や医療の現場にあると、死に慣れてしまいがち。
家族にとり、大切な人が亡くなった(いなくなった)、その悼みを共有できるかどうか
一人の老人の死をとおし、「人間とは何か」をみつめていくことにツナガッテいくのでは・・・・。






あっけなく逝ってしまった

2020-08-06 07:35:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1618 生死をみつめる ❸ ~あっけなく逝ってしまった~

昨日他界したはなさんのことを思いだした。
救急室で身体をきれいにしている間、待合室で息子と待っていた。
酒の力を借り、医師やヘルパー、ケアマネジャーに怒鳴ったりしてきた息子。
6年間のつきあいのなかで、息子と口論をしたこともあり、いろんなことがあった。

息子は、「(お袋は)あっけなく逝ってしまった」、と呟き
これから一人暮らしになる次男。
3年間、ベッドに寝たきりの状態で伏せていた老母、齢は91歳の生涯。
飲んだくれの夫に仕え、3人の子どもを育て、働きづめのはなさんだった。

本当に苦しむことなく 息をひきとるように死を迎えた。
声をかければいまにも起きそうな表情で眠っている。
自分もこんなふうに穏やかに逝きたいものだ。

身体も口のなかも「本当にきれいだった」、と救急外来の看護師から話された。
不慣れな次男の介護であったけれども
毎日2回の身体介護、週2回のデイサービス、週1回の訪問介護のサービスを利用されていた。
介護は一人では続けていくことは大変である。
ヘルパーやデイサービススタッフ、訪問看護師、福祉貸与業者の支えも大きいかった。

「あっけなく逝ってしまった」
蝉が地上で鳴き、逝ってしまう時間も「あっけない」。
生と死は一つなのかもしれない。
生きたように死んで逝く。




「家族が息をしていない」と、看取ったのであれば訪問看護師は訪れなくてもいい

2020-08-05 11:11:11 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1617 生死を見つめる❷ ~「家族が息をしていない」と、看取ったのであれば訪問看護師は訪れなくてもいい・・・~

昨日ことである
11時過ぎ、R訪問看護ステーションの管理者から電話が入った。
「はな様(91歳)の状態が悪い。血圧が70台(上)、SPO2は74の数値にあり、病院に救急搬送した方がよいのか、それとも主治医であるクリニックに受診した方がよいのか」
「主治医であるS医師にしたみた方がいいのでは」と話す。
S医師は「息子がどうしたいのか、入院させたいのか、そのまま点滴など治療もせずそのまま自宅で看取るのか。何かあったときは往診を行う」、と話す。

昼食時ではあったが昼食は摂らず、急遽訪問看護師(管理者)と一緒にはな様宅を訪れた。
再度バイタル測定を行うも状態は変わらず血圧は70台、SPO2は74、脈拍150であった。
次男(67歳)に、どうしたいのか、私はストレートに聴いてみた。
「お袋は、入院は嫌っており、このまま自宅で逝きたい、と望んでいるので、入院はしなくてもいい」
「脱水の症状もあるが、食べることも水を飲むことも難しくなったきた。両足は浮腫み、いま静かに肩で呼吸をしている状態にあり、今夜か明日かな・・・。」
「このまま自宅で看取っていきたい」
「急変のときは電話をください。深夜でも明け方でも遠慮なく携帯電話にかけてください」と、お願いしはな様宅を後にした。

21時25分 携帯電話が鳴った。
はな様の次男からの着信表示で、電話に出ると「息をしていない」、と電話口の向こうから話された。
「いまから、伺います」、と返事をした。
R訪問看護ステーションに電話をし、訪問をお願いしたところ、
「次男が息をしていない、と看取ったのであれば訪問看護は行く必要がない」と言われてしまった。

心肺停止になっている利用者を看ることもなく、また家族の精神的なケアも
訪問看護師の役割があるのでは、と思いながらも
自分は何も言わず「もやもやとしたもの」を飲み込んでしまった。

22時前にははな様宅に到着し、はな様と対面した。
本当に穏やかな表情で、最期は苦しくことなく息を引き取るような感じであの世に逝かれた。
血圧も脈拍もサチュレーションも測定できなかった。

一昨日、次男と長女がリクライニング型車いすに乗せ
自宅の周りを散歩し、風や夏の季節を肌で感じたり
路端や庭に咲いている花を見たりして、笑顔がこぼれていた。

亡くなる前日次男が泪を流していると、はなさんは「泣くな」、「ありがとう」と
息子に言葉をかけたのが最後の言葉だった。

最後に髪を撫でながら「長い間お疲れ様、本当に頑張ったね」と呟き、お別れをした。


最後だとわかっていたなら

2020-06-11 17:23:50 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
朽ち落ちた枯れ枝の脇に咲く白い花(マーガレット)

1559 最後だとわかっていたなら


アメリカ人の女性が、10歳の息子を亡くし、
その悲しみの思いを綴った詩です。
ところが、この詩が9.11同時多発テロの追悼集会で朗読され、
とても大きな反響を呼び、瞬く間に世界中に拡散されました。
 
この詩の素晴らしさは日本にも伝わり、
感動した佐川睦さんが著者の許可を得て和訳し、
ご自分のサイトで掲載すると、日本でもたちまち話題になり、書籍化されました。
 
tomorrow never comes
「最後だとわかっていたなら」
作・ノーマ コーネット マレック / 訳・佐川 睦
 
あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように
祈っただろう
 
あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめて キスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて
抱きしめただろう
 
あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう
 
あなたは言わなくても
分かってくれていたかもしれないけれど
最後だとわかっていたら
一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と
わたしは 伝えただろう
 
たしかにいつも明日はやってくる
でももしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるのだとしたら、
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい
 
そして わたしたちは 忘れないようにしたい
 
若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめられるのは
今日が最後になるかもしれないことを
 
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから
 
微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を
どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと
 
だから 今日
あなたの大切な人たちを
しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも
いつまでも 大切な存在だということを
そっと伝えよう
 
「ごめんね」や「許してね」や
「ありがとう」や「気にしないで」を
伝える時を持とう そうすれば
もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから


在宅で寝たきりでいる老人
末期癌にあっても最後の瞬間まで生きている人
明日が来るとは誰にも約束されていない
今日が最後になるかもしれない、と
そう胸深く想い
「いつまでも 大切な存在だということを そっと伝えよう」

過去のことは忘れ
未来のことはわからない
現在(いま)に生きている 
認知症老人の後ろ姿から
大切な存在だということを
気づかせてくれた
生きるとは 老いとは 何かを
見つめさせてくれた
私も同じ路を辿るかもしれない・・・




警察署に連れていかれた在宅介護者

2020-06-07 06:50:58 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
警察署のある街

1553;警察署に連れていかれた在宅介護者

警察署に連れていかれた在宅介護者は
自分と同年齢の男性

91歳になる要介護5の母と二人暮らし
毎晩大五郎(焼酎)を飲み、アルコールが入ると饒舌になる。

令和2年5月28日のこと
夕方、母アオイさんは呼吸苦を訴え
次男は電話で訪問看護師を呼んだ。
「救急車を呼び地元の総合病院搬送します」と、電話が入った。

そこまでは順調だった。
救急外来 女医による診察のとき
次男は母の症状を説明する女医の声が低い、と大きな声で文句を言ってしまった。
アルコールが入ると気が大きくなり
つい酒の力にまかせて自分の感情をそのまま言葉にしてしまい、誤解を招き損をする次男

女医から「警察を呼びますよ」、と言われ
次男は「警察を呼んだってかまわない!」とやり返し
警官が訪れ次男は留置所で朝を迎えた。

翌日病院医療相談室から電話が入り
「今回で次男のトラブルは3回目となり、今後次男付き添いによる(救急)外来受診の受け入れはできない」
と、言われてしまった。

過去に彼には幾度となく母親のために、
酒を飲んだときは気持ち(感情)を抑えるように話してきたのだが駄目だった。


昨日6月6日 7時半過ぎ訪問看護師から電話が入った。
呼吸苦、両下肢の顕著な浮腫、酸素濃度は90を切り80台にあるので、救急車を呼びたい。
5月28日のことがあるので、救急車に次男が同乗することができない。

村内に住む長女(75歳)に電話を入れる。
「腰が痛くバイクに乗れない」
「お金の負担をかけて申し訳ないが、タクシーを呼び行けないでしょうか」
「風邪を引いているから、行けない」

最後、頼りにする男孫(37歳)に携帯電話にかけるも不通。

容態急変の危惧もあり
自分が駆けつけ救急車に同乗することになった。
次男は救急車のあとをバイクで病院に向かう。

本日の救急外来担当医師は「誰に当たるか」で
「当たり」「外れ」がある。
今日は総合診療科の「当たり」医師だったので、ラッキー

症状経過や介護環境などを医師に報告
診察、採血の結果 入院が決まった(浮腫の原因は、心疾患、栄養不足、ビタミン不足等による)
医師からは「入院中 もたず家に帰ることができないかもしれない」、と説明を受けた。
救急外来受診から病棟に移るまで3時間余り経過。
今日はまだ順調なほうで5時間位待たされるのが普通。


自分が救急車に同乗して病院へ付き添うのは
地域包括支援センターの責任者からは「ケースに入り過ぎ」と苦言を頂き
「どこかで線を引かなければ」とも言われてしまう。

確かにその意見もわかるけれども
浮腫、呼吸苦、酸素不足で苦しんでいる状態にある人を
あとは次男や訪問看護師で「解決」してください、と言って
その場を立ち去ることもできない。
甘いケアマネジャーなのか、と自問自答してしまう・・・。









爆弾を抱えた頭

2020-06-06 03:43:31 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1551;爆弾を抱えた頭

頭の中に爆弾が入っているわけではない
脳動脈瘤があり、いつ破裂するかわからない
大きな不安と死の恐怖を抱えながら生きておられる63歳の女性。

4年前にくも膜下出血を発症
救急車で病院に運ばれ、一命をとりとめた。

脳出血を発症
右下肢の筋力が低下し転倒した際に
頭をどこかにぶつけようものなら
脳動脈瘤の破裂しやしないか、と心配。

静かに暮らしていても脳動脈瘤がいつ破裂するかわからない。
日中はアパートでひとり暮らしの彼女。
夫は働きに出かけ、帰宅時間も遅い。
食事も不規則になり栄養も十分に摂れていない。

家賃を抜いた4万円の額で生活をしていく。
その中からデイサービスの利用料を支払っていかねばならない。
(週1回の利用、要介護1)
デイサービスに出かけることで、ひとりぼっちの時間が少しでもなくなり
人の息づかいや人の聲が聴こえることで
爆弾=脳動脈瘤を抱えている不安を忘れることができれば、と思う。

激痛や吐き気や嘔吐を伴ったり、意識が悪くなったりしていないか
デイサービス利用時や在宅訪問のとき
本人に尋ねるなど把握が必要になってくる。
部屋に入ると煙草の臭いが残っており、夫の喫煙が気になる・・・・。

「初めてのデイサービス利用をされ、本人はとても喜んでいた
食事が美味しくおかずもいっぱいだった。好きなスパゲッティもあった」
と、夫が仕事の休憩時間に電話をかけてきた。


「サービス」の質が問われる高齢者施設

2020-06-02 08:08:01 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
シロツメクサ

1547;「サービス」の質が問われる高齢者施設

大正15年生まれ絹婆さん
サービス付き高齢者住宅に入居してから
生きる力が失せ 自分で「できる」ことも「できなくなってきた」

それというのも
安易に介護スタッフによる「足し算」の介護が為され
合理的な介護業務のせいでもある。

住み慣れた自宅のときの方が元気だった
喫煙飲酒や鍋焦がし、転倒などがあり
「安全」な生活を取ったサービス付き高齢者住宅の入居は
生きる力を蝕み、かえって死に近づいたような感じがしてしまい

「サービス」の質が余りにもお粗末
何が「サービス付き」なのか

絹婆さんの自室から食堂まで30メートルもあるであろうか
歩くのが遅く、覚束ない歩行のため車いすに乗せ移動
足の筋力が落ち、小刻み歩行になってしまった
サービス付き高齢者住宅の管理者に電話をかけ
「昼食のときだけでもよいから車いすを使わずに歩かせてほしい」とお願いをした。

絹場さんはトイレに行くことも億劫になった
介護スタッフは2枚のパットを紙パンツのなかに入れ
失禁したパットを1枚づつ抜き取っていく排せつ「ケア」
これではだれのためのケアなのか

サービス付き高齢者住宅を入居させたことがよかったのか否か
今更悩み、後悔しても・・・・
「リスク」か「安全」か
悩んでしまうが
当の絹婆さんは、サービス付き高齢者住宅で暮らしている


躰が左に傾く

2020-05-14 05:00:01 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1538;躰が左に傾く

66歳の次男は、老母が住む家に帰郷して一月余り経過した。
次男は1年前に都内の駅ホームで脳梗塞により倒れた。
幸い後遺症は軽く済み歩くことはできる。

軽い脳梗塞で住んだから「重く」ないと思っているのか
それとも再発は「ない」と思っているのか
わからない。
毎日、喫煙と飲酒を続けている次男の姿を見て
老母(絹婆さん)も欲しくなり
親子二人して煙モクモク、酒ゴクゴクの暮らしを続けてきた。

煙草が原因でうっ血性心不全で2週間ほど入院したこともあった絹婆さん。
「死んでしまうよ」と、話してもうわの空。
次男に話しても「糠に釘」といった感じで、喫煙、飲酒はいまも続いている。

眩暈がし、転倒の繰り返し、ヨタヨタのふらつき歩行、頭も躰も左に傾いている
次男、絹婆さんに電話でしつこく話をし、昨日過去に入院した総合病院脳外科受診にこぎつけた。
CT等検査の結果、「異常なし」とのことで安堵の気持ち。

ふらつき歩行がありひとり歩行は転倒の心配があるので
サービス付き高齢者住宅のスタッフには、「見守り」歩行をお願いしよう、と思っている。
昨日介護ベッド搬入も終えた。
区分負担限度額(要介護3)をいくらか超えてしまうので、
介護ベッド貸与単位数を半分にしてもらった(助かった 一月7000円の減額ができた)。

絹婆さん 今日サービス付き高齢者住宅入居の日となる
これからは煙草酒の生活がなくなるので一安心。
環境が変わり、認知症の進行が危惧されるけれども
サービス付き高齢者住宅から週3回 いま通っている桜デイサービスを利用される。

一人暮らしからサービス付き高齢者住宅の暮らし
サービス付き高齢者住宅に入居されても
「ひとり」でいる時間が多いことには変わりはない。
夜間、スタッフ(ヘルパー)の巡回があることと
三度の食事と服薬管理の支援があることも大きい。

サービス付き高齢者住宅のサービスは「ベスト」ではない
一人暮らしよりも「ベター」かな、といった感じ。





サービス付き高齢者住宅に入居する!

2020-05-07 19:52:22 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1534;サービス付き高齢者住宅に入居する!


サービス付き高齢者住宅を見学した絹婆さん
立ちながら包丁を持って料理することは難しくなってきた。
煙草の吸い過ぎ、酒の飲み過ぎ
それとも足の筋力の衰え

本人なりにひとり暮らしが難しい、と判断した
新しい南向きの部屋の明るさとバストイレ、洗濯機・洗面所、IH、冷蔵庫(小型)付きに満足され
5月14日に入居が決まった。

これからどんな暮らしが待っているのか・・・・
ケアプラン作成の担当は今後も継続していくことになった。







感謝知らずの老女が「ありがとう」と話した・・・・

2020-05-05 04:30:10 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


1532;感謝知らずの老女が「ありがとう」と話した・・・

96歳の真代婆さん(要介護2、物忘れあり)は、感謝知らずの老女(おんな)である、と書いた(ブログ1520)。
7年余り週3回利用されていた定員30名のデイサービスの利用を止め、
民家活用の小規模デイサービス(定員10名)に利用を変更した(週5回の利用)。

真代婆さんから、「いまのままでいい。デイサービスは変えたくない」の抵抗もなく
すんなりと新しい桜デイサービスに馴染み、今日で利用3日目。

7年余り通ったデイサービスを止めたのか。
・血圧が高く180~200の数値があり、デイサービスの利用ができないので今日は休み、と言われ
 ここ二か月間、月利用の半分は「休み」となり
 真代婆さんは隠居宅で「寝たきり」暮らしであった。
・高血圧症の薬は服用したりしなかったりで、残薬がある。
・隠居宅でごろごろ寝ている姑がいると
 長男嫁はお昼の用意をすることが増えたりして、ストレスが増えてきたこと。
・昨年12月から女性ケアマネジャー(同僚)が担当になったが、長男嫁との信頼関係がうまくいかず
 以前担当していた自分に戻して欲しい、と長男嫁から要望があり5月1日から担当になり、
 ケアプランを思い切って見直しをした。

96年生きてきた真代婆さんは、2枚も3枚も上手である。
人間観察はスタッフ以上のものであり
自分にとって、誰が味方であり味方ではないか
誰を手なずけるか、様子を伺っている・・・・。

25、6名のいる要介護老人たちのなかで、
自分がいちばん可哀そうな婆さんであることを知ってもらうには
躰の不調を訴えること・・・・
「目がみえない」「歩けない」「嫁は何もしてくれない」などと

桜デイサービスでは、針に糸をとおしてもらってはいるが、雑巾縫いをしている。
誰の手を借りることなくひとりで歩いている(桜デイの前は、二人の介護員が腕を抱え歩行介助をしていた)。
大好物のカレーライスがでて大満足(事前にカレーライスが好きであることを把握済み)
家庭浴槽に入り、上り際、入浴介助職員に「ありがとう」と話され、予期せぬ言葉にビックリ。

問題は180前後の高血圧の数値である。
高血圧の数値を安定させるためにも デイが迎えに行ったときに服用させることにした。
桜デイサービス利用7日間の血圧測定を実施し、主治医と相談を行う。
塩分の高いカップラーメンなどが買い物袋にあったことも起因しているのでは・・・・。

血圧が高いから休みではなく
どうして血圧が高いのか、真代婆さんの生活からも探っていく必要がある。

真代婆さんの「ありがとう」の言葉は素直に受けとめながらも
彼女なりに自分を受け入れてくれるスタッフを探っているのかもしれない。



認知症老人がひとりで暮らすことの難しさ

2020-05-03 05:40:37 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

1528;認知症老人がひとりで暮らすことの難しさ

ブログ1477;あぶない親子のところで 
大正15年生まれの絹婆さんは
十年前に最愛の夫を亡くし
いまはひとり暮らし。
焦がした鍋の数も増え
いま食べたことも忘れてしまうほど、認知症の状態にある。

いま息子松任が帰郷し一月余り経過し
プラス、マイナスの生活が入り混じり、悩んでいるところ。
東京に住む妻と彼の息子から「コロナウイルス感染が心配なので暫く帰ってくるな」、と言われ
絹婆さんとの「同居」はまだ続きそう。

息子が食事を作ってくれるので鍋を焦がす(火事になる心配)ことはなくなり
ホッとするのだが、絹婆さんが台所に立たなくなったことで
立位にふらつきがみられてきた。
包丁を持ち台所で料理をすることが危なくなってきた。

老母の前で「喫煙、飲酒はしないよう」息子にお願いしたのだが、
糠に釘のような塩梅で、その約束は守られず破れらている。
家のなかは煙草の臭いがし、ウイスキーを飲み転倒を繰り返している。
手首や大腿部など躰のあちこちは内出血状態。
椅子に座っていても体が左に傾き、絹婆さんも自覚症状あり・・・・

度重なる転倒で硬膜下血腫や脳梗塞の心配が危惧され、
5月8日に循環器科受診の際、主治医にCTのお願いしたい旨を、彼女の妹夫婦に話をした。

このまま息子と同居を続けていると、不整脈、心不全により再入院になるのは目に見えている。
自宅は自由気儘に暮らしたいのは、誰もが望むことではあるけれど
「煙草吸いたい、ウイスキー、ビール飲みたい」の生活を続けさせていくことも
ただ見ているわけにもいかない。

心疾患や転倒があり、「いのち」の心配も出てきている。
長男自身も脳梗塞の既往歴があり理解力も低下しているなかで、
煙草、酒が躰に悪く、脳梗塞再発の危険性もわかっていない。

運よくサービス付き高齢者住宅の1室が空き
そこの入所受け入れ担当者と連絡がとれ、空いた部屋を「保留」にしてもらった。

連休入る前に、絹婆さん、長男、絹婆さんの妹夫婦(隣町に住む)と話し合いを持った。
サービス付き高齢者住宅に入居するかどうか
長男、妹夫婦は入居に賛成した。
当の絹婆さんは「悩んでいる」。
入居してもいいが、家で暮らしたい気持ちもある。

家は処分しない。サービス付き高齢者住宅に入居し、家に帰りたいときはいつでも帰れるよ、と話をした。
まずはサービス付き高齢者住宅を見学することになった。
5月5日 10時半にそこの高齢者住宅玄関前に行くことになった。

5月連休ではあるが、自分も行き、彼女が入居できるよう手助けしていきたい。
サービス付き高齢者住宅に入居するか否かを決めるのは、
勿論 絹婆さんである。


感謝知らずの老女(おんな)

2020-04-28 12:23:01 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


1520;感謝知らずの老女(おんな)

96歳の真代婆さんをみて
昔、井上陽水が歌っていた『感謝知らずの女』を想い出した。

替え歌に作り直してみた。

『感謝知らずの老女(おんな)』
編詩 星光輝  作曲 井上陽水

私はあなたの為に
すべて忘れて介護をした
食事作りも洗濯も
みんなあなたの為にしてあげた
だけどあなたは
感謝知らず 感謝知らずの老女(おんな)
あなたの好きなちらし寿司を
いつか誕生日にあげた
そしてあなたは言った
もっと旨いのが欲しいわ ah…

だからあなたは
感謝知らず 感謝知らずの老女
ありがとうと一言
なぜいえないのかなぁー
たとえ寝たきりになっても
私はあなたの介護をするだろう
しかしあなたはこの愛を
あたりまえだと 思うのだろう
だからあなたは
感謝知らず 感謝知らずの老女
ありがとうと一言
なぜいえないのかなぁー
感謝知らずの女 感謝知らずの老女
感謝知らずの老女 uh…


同じ敷地内の隠居宅にひとり棲む老女。
目が見えても「何にも見えねえ~」と呟く。

母屋から長男嫁は手作りのおかずを届けても
「旨くねえ~」と言いながら食べる。
「旨くねえ~」と言われてから作ることはやめた。
弁当や総菜を買ってきてテーブルの上に置いた。
気に入らないと弁当を手つかずのままゴミ箱に捨てたり、
家の裏に行き野良猫にあげたりしていた。

週3回デイサービスを利用していた(要介護2)彼女は、
デイサービスで悲劇のヒロインを演じていた。
「家の嫁は、何にもしてくれねえ~」「何にも食べてねえ~」とまことしやかに話す。
どこでどう老女は捻じれた性格になってしまったのか。

在宅訪問のとき、「素直に“ありがとう”と一言話せば、嫁さんはもっと良くしてくれるよ」、と話すも
「・・・・・・・」であった。
姑のプライドから照れくさいのか、それとも捻じれた性格からなのか、
「ありがとう」の言葉が出てこない。
 
真冬、玄関を開け放したまま石油ストーブをつけているから、灯油の減りがはやい。
息子から、怒られてもどこ吹く風の老母であった。

コロナウイルス騒動の最中、息子(69歳)は、桜の花が咲く前に、
突然の脳梗塞に襲われ亡くなった。
「大きな荷物を置いて夫は逝ってしまった」、と話す長男嫁の気持ちは塞ぎ、
「この先、どうしていけばよいのかわからない。姑の世話はもうしたくない」。

長男嫁は狸寝入りしている姑に 
「薄皮饅頭をテーブルの上に置いておくよ」、と話しかけられても、目はつむったまま。
足が遠のき、姿がみえなくなると、薄皮饅頭を手に取り一口で食べてしまう。
その後お茶を飲むわけでもなく、また横になり寝てしまう。

有線放送に『感謝知らずの女』をリクエストし
真代老女と一緒に聴いてみたいけれど、
あるのは村の有線放送機器が茶箪笥の上に置かれ埃が溜まっていた。

人間、自分に対しても他人(ひと)に対しても、
「ありがとう」の感謝の気持ちと
「すいません(申し訳ありません、ごめんなさい)」の謝る気持ちを持つことの大切さを感じた。

暮らしが貧しくてもこころは貧しくなく、
感謝知らずの人にはならぬよう、
日頃から小さな幸せや感動に感謝しながら生きていきたいものだ。
 

認知症老人同士の会話は続く

2020-04-26 19:58:15 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
4回目のネイル。サングラスをかけたSNOOPY


1517; 認知症老人同士の会話は続く

二人の婆さんは、認知症を患っており、数分後には記憶は薄れてゆく・・・・。

光代婆さん(83才)と智恵婆さん(88才)は、横並びに椅子に座り、
窓越しに風景を眺めていた。

春の日下がり
光代婆さん; 息子さんは、小学生なのかい?
智恵婆さん; (窓から見える杉の樹を指差し)あそこに柿がなっているよ

二人の会話は最初から最後まで噛み合わず
お互いに違う話をしていた。
でも、会話は途切れることなく続いていた。

不思議な話というか不思議な出来事であった。
なぜ、認知症老人同士の会話は続いたのか・・・・。

ふと、思った。
それは、二人の婆さんは、「あなたの話、オカシイよ(間違っているよ)、と
否定せず、聴いているからではないか。

話が間違っているかどうかよりも
自分の話を聴いてくれたことが、当の本人には嬉しいのである。

「さっきその話聞いたよ」「3回その話聞いたから」「いま、春だよ、柿はなっていないでしょ」などと
否定的に答えたり、間違いを指摘したりされる、と
そこで会話は中断し、席を立ってしまう。

認知症老人同士の会話から教えられたこと
相手の話を聞いて、間違いやオカシイことを指摘せずに、聴くことを大切にする。

認知症老人と話をするとき
テーブルをはさんで向かい合い話をするのではなく、
ソファやベンチを利用し
身体をやや斜めにし、相手の手を握れる間隔をとり座り会話する。
スキンシップが何気なくとれる。

デイサービスやグループホームだから、認知症老人の話を聴けるのである。
在宅は介護者の介護による疲労困憊があり、心の余裕がとれず、
同じ話を何度も聴くのは疲れが増し苛立ってくることさえある・・・・