老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

一日おきに薬を飲むと・・・・

2020-04-23 09:18:42 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1512; 一日おきに薬を飲むと・・・・

1464;;突然の電話 の話の続きです

昨日葭田婆さん宅を訪問した。
葭田婆さん(96才)の長男は、突然、脳梗塞に遭い
救急搬送され、入院二日後に69才の若さで亡くなった。

昨日で30日が経ち、長男嫁の気持ちは
幾らかは落ち着きを取り戻してきたけれど
夜になると悲哀(かなしみ)が襲い辛くなっってしまう。

写真を撮ったことがない夫だった。
遺影をどうしようか、と考えていたら
葬儀屋さんは、車の免許証があるでしょう、と言われ
それを遺影に使った。

青色を背景にしたご主人の顔が
真面目そうに私の顔を見ているようだった。

毎月病院に受診するのが面倒な夫は
高血圧症の薬を
一日おきに間引きしながら服用していた、と
長男嫁から聞かされた。

脳梗塞を発症する前、なにか前兆というか
どこかおかしいな、とご主人は話されていませんでしたか
そう言えば、頭が痛い、と話していた。
本人から、頭が痛いとか、頭が重いなどと話されないかぎり
周りの人はわからないしね・・・・

お荷物(要介護2、96才の姑)を残し
自分が先に逝ってしまった。
これから姑の介護を考えると・・・・・

一日おきに薬を飲むのは良くないのだけれど
そのことがわかっていたら
長男に話ができたのに
残念でならない

1508; 介護サービスを利用されている高齢者にアベノマスクを届ける

2020-04-20 18:21:24 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


介護サービスを利用されている高齢者にアベノマスクを届ける

先週の金曜日 宅配便によりアベノマスクが届いた
発送者は厚生労働省。

居宅サービス計画書(通称 ケアプラン)を作成されている要介護老人に
アベノマスク1枚を届けて欲しい、と説明文が同封されていた。

「ない」より1枚でもマスクガ「ある」ほうがいい・・・・。
10枚の間違いかな、と説明文を読み返したが、「1枚」だった。
貴重な1枚を大事に抱え、在宅訪問により本人に手渡しをした。

なかなかマスクが店頭に並ばない
こうなったらマスクの代わりに「タイガーマスク」でも被るか




タイガーマスクのテレビ番組は楽しみにしながら観ていた

1503;さくらの花びら100枚手にして・・・・

2020-04-17 12:30:56 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
さくらの花びら100枚手にして・・・・

登喜子婆さん 4月19日の深夜 病室で
あの世に逝かれた。
長男は危篤の電話を受ける
老母を見送ることはできなかった。

登喜子婆さんは、病室の窓から
さくらの景色を眺めることができたのであろうか

コロナウイルス感染防止対策から
家族の面会はできなくなり
寂しい思いをしながら亡くなっていった。
寂しく悲しく切なく 最後の病魔には勝てなかったけれども
本当に本当に最後まで「頑張った」彼女。
「人生万歳」、こころのなかで静かに唱えた

数えで100歳になる彼女
風雪の1世紀を生き抜いた彼女
彼女が最後、笑顔で握り返してくれた両手のぬくもり

さくらの樹の下で 
さくらの花びら100枚 
手のひらに乗せ
さくらの匂いを感じさせたかった

さくらが咲いていたのに

毎年さくらの花が咲くとき
登喜子婆さんの笑顔を思い出す
天国で桜花爛漫の花見をしているかな




1497; 介護施設では、寝たきり老人の両手両足を拘縮させてはならない

2020-04-11 05:32:01 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

千葉県銚子岬付近の海岸

両手両足が拘縮にならないことを願う

99歳の登喜子婆さん
4月15日に病院を退院し{家に帰らずに}介護老人保健施設に入所することが決まった。
登喜子婆さんは、3月20日までは自力で歩き、トイレに行き用を足していた。

肺炎の繰り返しと小脳梗塞の発症により
いまは自力で立ち上がることもできなくなり、車いす生活となってしまった。
激変の3月と4月。

彼女にしてみれば予想もしていなかった終末は
自宅ではなく介護施設となった。

在宅ケアマネジャーから介護施設ケアマネジャーへ バトンタッチする。
入所に際しお願いすることは2つある。

1つは、日中ベッドから離し、座る生活をさせていただくこと。
できれば車いすから肘掛け椅子に座らせていただければ嬉しい。

施設に行くと、疑問を持つこともなく当たり前のように車いすに座らせられている老人が多い。
経験してみるとわかる。長時間車いすに座ると、お尻が痛くなり疲れる。
車いすは移動する物(福祉用具)であって椅子ではない。
肘掛け椅子の方が座り心地良い。

もう1つのお願いは、両手、両足の屈伸運動をお願いしたい。
車いす(椅子)に座ったままの生活を強いられると、膝関節は固まり、「く」の字に拘縮してしまう。
両手も同様、動かさないと肘関節も「く」の字に拘縮する。

人間、寝たきりになり「寝返り」することが難しくなり
誰かの手をかりることで「寝返り」や「起き上がり」ができる。
両手、両足を動かすことにより、関節の拘縮を防ぐことができる。
人の手をかけなければ、すなわち人と人のかかわりをもたなければ
母のお腹のなかに居たときと同じように、両手両足を縮め屈んだ姿勢に戻ってしまう。

葬式を終え棺のなかに安置されたとき
両手両足が拘縮しているために
棺のなかに安置できなかったり
あるいは棺の蓋を閉じることができなかったりする

その場合、陰で葬儀屋さんが
拘縮した両手、両足の骨を「ポッキ」と折り
ご遺体が収まるようにしている、という話を聞いた。

亡くなってからも骨を折られるのは、忍び難い。

要介護老人の拘縮があるかないかで、その介護の質が問われてくる
365日介護者は交替でき、かつプロ(専門職)である
ましてや老人保健施設は医師、看護師、理学療法士など医療スタッフが配置されている。

在宅の場合は違ってくる。
老老介護であったり、ひとりで介護をされていたりで
心身ともに疲労困憊な状態におかれている。

家族それぞれの経済事情もあり
要介護5の認定を受けても、区分支給限度額の全額を利用できるとは限らない。
在宅介護は限界があり、両手両足が拘縮されることもある。
その責めを在宅介護者に問うことはできない。
逆に「本当にお疲れ様」と日々の苦労をねぎらうことが大切である。

登喜子婆さんも、両手両足だけでなく心も固まらないよう
最後まで自分らしさを失わずに生きてもらいたい。





1485;99歳の別れ

2020-04-04 10:58:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


99歳の別れ

登喜子婆さんは
介護老人保健施設に入所することになった。

介護施設入所になると
介護施設のケアマネジャーに担当が変わる。
(自分は在宅のケアマネジャーであるため)
99歳の別れとなり、寂しい。

ときどき無呼吸もあり、十分な食事量、水分量も摂れず
食べれなくなり、熱発などになっても
「再入院」せずに施設で「看取り」を行うことを
息子(75歳)は選択した。

家に帰りたい登喜子婆さん
家に帰りたいけど帰れない。

登喜子婆さんは、「自宅の畳で死にたい」、
その願いをカナエルことはできなかった。

看護師のいて、泊りのできるデイサービスを探し回ったが
空きはなかった。
息子夫婦、家で看取ることは「できない」という意識が先に立ち
訪問看護や訪問介護などのサービスを提案しても受け入れができなかった。

介護サービスの主体者は利用者(要介護老人)である。
家族の声よりも老人の声を尊重し、支援しなければならないのだが・・・・。
現実に介護するのは誰か

誰のためのケアマネジャーか 
ときあるごとに悩む・・・・

老親に対する息子夫婦の気持ちの温度差
また、子ども自身も老い病を抱えていると介護がしたくてもできないジレンマ。

老人との別れは避けられない。
「自宅で死ぬ」ことよりも「介護施設に入所する」ことのほうが辛い。

いま、コロナウイルス感染が拡大し、介護施設は面会禁止の状態にある。
登喜子婆さんだけでなく入所されている老人たちは思う
「息子、娘はどうして面会に来てくれないのだろうか・・・・」。
危篤の連絡を受け、面会に訪れても、もう言葉を交わすこともできずに
登喜子婆さんは亡くなっていく。

4月1日 登喜子婆さんに会ったとき、
私の顔をみて わたしであることがわかり笑顔で迎え、強い力で両手を握りしめてくれた。
彼女が握ってくれた力の感触を思い出す。

病院を退院する頃 桜が満開の風景にあると思う。
車の窓から さくらの花を見せてあげたい・・・・







1480;99歳の婆さん 小脳梗塞を発症・・・・

2020-04-02 04:53:24 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

99歳の婆さん 小脳梗塞を発症・・・・

3月21日 右肺炎により三度入院となった登喜子婆さん
悪いことに入院2日後に小脳梗塞を発症し、一時意識障害となった。

翌日面会に行き、「登喜子さ~ん」と耳もとで呼びかけてみた。
目をあけ「は~い」と答えてくれた。

コロナウイルス感染防止から、家族も面会ができぬ状態となった。

3月27日病院から電話があり
「4月1日に医師を交え長男夫婦と一緒に話を聞く」ことになった。

右肺炎は治り、小脳梗塞も落ち着いてきた。
1食の食事量は摂ることはできるようになった。
意識ははっきりしてきたが、こちらの指示が通らない。
立ち上がりも容易でなくなり車いす生活。
無呼吸もあり、いつ急変が起きてもおかしくない。

声を出そうとしても擦れ思うようにでない登喜子婆さん
息子や私の顔がわかり、笑いながら手を強く握りしめてくれた。

退院の受け入れをどうするか・・・・・。

1477; あぶない親子

2020-03-30 19:36:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
あぶない親子

大正15年生まれの絹婆様
十年前に最愛の夫を亡くし
いまはひとり暮らし。
焦がした鍋の数も増え
いま食べたことも忘れてしまう。

一月おきに東京に住む息子松任が帰郷する。
息子が帰って来るので本来ならば安心するのだが
反対に心配・不安の種が増え続け、あぶない親子になってしまう。

どんなあぶない親子なのか。
一昨年の暮れ東京の駅ホームで息子は脳梗塞で倒れ救急搬送された。
左半身は軽い麻痺で済んだものの、認知力・理解力は低下した。
にもかかわらず酒煙草をやり放題。

酒煙草を止めるよう注意しなきゃならない絹婆様なのだが
「私も吸いたい、飲みたい」、と息子に訴える。

親子で煙草スパスパ、モクモクで居間は煙で充満
コタツの上は空の缶ビールやウィスキーの瓶がある。

心不全の持病がある絹婆様
不整脈、息切れ、呼吸苦となり息途絶えがち
救急を呼び市内の総合病院に搬送された。

煙草を吸うと本当に死ぬよ、と話しても
息途絶え、胸が苦しくなるまで吸う
苦しくなった老親の状態を目の当たりにしても
理解できない息子

老親から金をもらい
酒煙草を買いに行く息子

入院をきっかけに今後どうするか
考えねばならないが
絹婆様は家で暮らしたい、と言う。
家は自由気儘にできる。

退院後どうするか
本人以上に悩まなければならない・・・・・・

1475; 共に生きるデイサービスをめざす

2020-03-29 16:18:54 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
共に生きるデイサービスをめざす

いま、10名定員の小さな地域密着型通所介護事業所 “桜デイサービス”に
6名ほどの老人が利用されている。

障がい者のデイサービス(生活介護事業所)が不足している。
そこで桜デイサービスは、ことしの6月1日から
要介護老人と障がい者が共に過ごし、かかわり合いを持つことになった。

老人と障がい者がひとつ屋根の下で過ごすには
いろいろと大変であり、手間も増えてくる。

ニーズの違いや年齢が離れていても
ハンデイキャップを持つ者同士で助け合う
そんな風景を想像しながら
いま、生活介護事業所指定申請書の作成をはじめた。
締め切りは4月15日

1464;突然の電話

2020-03-22 06:14:11 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
突然の電話

昨日、蒲団に入り
時計の針は22時を回っていたたどうか
スマホが耳もとで鳴りだした。

葭田婆さんの息子嫁の名前が表示され
「どうしました?」と話しかけると
「夫が亡くなった・・・・」

思いがけない知らせに吃驚し
「ご愁傷様」の言葉もでなかった。
突然脳梗塞に襲われ、手術をしたが
回復に向かわず老母親より先に逝ってしまった。

彼女は「まだ信じられない、夫が死んだなんて・・・・」
「そうですよね。自分も信じられないです」
夫の死を受け入れることができない彼女。
姑には息子の死をまだ話せない、と。

人間の死はいつ訪れるかわからない。
人間は、「死」を前にすれば、無力な存在であり
ただ悲しむだけである。
死を悼み悲しみ
その悲しみ(喪失感)を乗り越えて欲しい、と
心密かに願うことしかできない。

その夜、なかなか眠りにつけなかった・・・・

1463;みんなで食べるから美味しい

2020-03-21 15:38:46 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


みんなで食べるから美味しい

さくらデイサービスセンターは10名定員の民家を借りた
小さな小さなデイサービス

ある日のお昼は、爺さん婆さんとスタッフと一緒になって
カレーライス作り
勿論手は消毒、薄ビニールの手袋をはきます
(北海道では手袋を「はめる」ではなく「はく」)


それぞれが「できる」ことをやります
包丁を使えなくても玉ねぎを手で剥く爺さんもあれば
鍋のなかの具材が焦げないようお玉でかき混ぜる婆さん
道具が思うように使えない婆さんは味見役
それぞれが何かしら「できる」ことをやってもらう

過去にも何回かカレーライスは作ったことがあり
手順は慣れてきた

ひとり暮らしやひとりで食べることが多い爺さん婆さんたち
「こうしてみんなと食べる昼食は美味しい」
「ひとりで食べる食事ほど味気なく美味しくない」

テーブルの下は、こぼれた米粒やイモやニンジンが転がっている
鶏がいればきれいにしてくれるのだが・・・・
と、思いながらカレーを食べる自分(何にもしなかった自分)





1459;同じ話の繰り返し

2020-03-18 20:48:20 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
同じ話の繰り返し

介護者は先の見えない介護に疲れている。
「どうしていいかわからない」「疲れが溜まった。でも、介護するのは私しかいない」
「夫は我儘で、私(妻)の苦労がわからない」
「いままで夫と暮らしていたが、家を建て儀父母と暮らようになった。移り住み、知っている人が誰もいない」
「おかずや総菜・弁当を持っていっても”美味しくない””こったらもの食べたくない””美味しくない”などと文句ばかりで嫌になっちゃう」
・・・・・・・

夫も姑も我儘放題、感謝の気持ちがない、と

いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話になる
介護者は聞いて欲しい、とケアマネジャーの訪問を待ちわびている人もいる
次の訪問宅の予約時間を遅れることがないよう、
その家の訪問時間は60分は確保している。

同じ話であっても、介護者は前回話したことは忘れている。
だから私は、初めて聞くような態度で臨む
「前にもその話を聞いたよ」というのは禁句であり
またその話か、といったような感じで態度に表さないことが大切。

誰に話していいか、わからないし、話す人もいないと、と介護者は話されます。
いつも同じような悩み?とも 愚痴?とも つかない話をすることで
気持ちが軽くなった、すっきりした、と介護者は胸の内を話される。

人いろいろであれば、ケアマネジャーもいろいろです
同じような話になったら、「次の約束の時間があるので帰ります」とか
話が長い人は、11時半近くに訪問し、
「昼が近いづいたのでお昼の準備もあることでしょうから、この辺で失礼します」、と
言って帰ります。
「同じような話は聞いていられないし、疲れる、こちらがストレスになる」、と
ある女性ケアマネジャーは話してくれた。

ケアマネジャーの役割って何だろうか
ある地域包括支援センターのセンター長からもよく言われる
「入り過ぎず、距離を置いてかかわりあうことが大切。
でないと自分の心身(からだ)が持たないよ」、と。

たしかにストレスが溜まるときもある
そのストレスをどう解消するか

仕事を一時的に忘れ
自分の場合は、読書やwifeとドライブに出かけたり
録画が溜まっているドラマを観たりしている。

でも忘れることはできない
気になるのだ・・・・

樹(木)になるのは、林檎や蜜柑、柿だ、とwifeに話したら
つまらない駄洒落は言わない、介護者や老人には受けないし、
ましてや若い娘にも受けない、相手にされないよ、とチクリ言われた自分であった。

1448;生きるのも大変

2020-03-11 14:19:23 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
生きるのも大変

今週から在宅訪問を始めた。
99歳の登喜子婆さんは、快復に向かい
いま介護者の手を軽く握れば、歩けるまでになった。

訪問したとき、ベッドに寝ていた。
「一緒にお茶を飲もう」、と言葉をかけると
彼女は起きだし、
居間でお茶を飲んだ。

登喜子婆さんは、
「起きているよりは、寝ているほうが楽だ」
「生きるの大変」
、と話され、その言葉が耳朶に残り
人間、生きるのも死ぬのも大変であることを
老女の言葉から改めて思ってしまった。

1440;介護給付制限

2020-03-07 19:49:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
介護給付制限

役場介護保険係から電話がかかってきた。
「芳治老人は、3月1日から1年間介護保険の給付制限になる」
いままで1割自己負担で介護サービスが利用できたが
これからは、3割自己負担(7割給付制限)となる。

いま芳治老人は、介護用ベッド、歩行器などの福祉用具を
月1,950円の負担が5,850円になる。

芳治老人は、過去に一定期間保険料を滞納していたので
役場は給付制限を行うことになった。

3月の介護保険サービスの利用票を作り直し
芳治老人宅に訪問し”介護給付制限”の説明をしなければならない。

これってケアマネジャーが説明するようにお願いされたけれども
介護保険係担当者も説明すべきものでは、と 不図思った・・・・。

芳治老人家族は、1年半前までは生活保護を受給していたが
同居している長女は「生活保護を受けていると車が運転できないので、生活保護を辞退」した。
生活保護を辞退したあと、長女はパート勤めにでたものの
うつ病やヘルニアが悪化しパートは休みがちの状態。

生活保護の場合、
健康保険料、介護保険料、医療費、通院に要する交通費は
生活保護費から負担され、自己負担はない。

生活保護を辞退した場合
上記の健康保険料、介護保険料、医療費、通院に要する交通費は
すべて自己負担となる。
それに見合う収入がなければ、どこかを削らなければならなくなる。

バスも朝夕の1便しか走らない僻村にあり
長女は子どもの高校の送り迎えに車は必要だから
生活保護よりも「車」の所有を選んだ。
生活保護を受給している場合、オートバイは所有できるが
軽自動車を含め車は所有できない


今後どう暮らしを立て直したらよいか
長女と面談をしたいのだが
体調が悪いということで、まだ話ができていない。

家庭経済状況が困窮しサービスが必要なケースほど
健康保険や介護保険の給付制限を受けてしまう。





1433;一番大切な人

2020-03-04 16:20:54 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
一番大切な人

或る晴れた日
橋田夫婦宅を訪問。
お二人の年齢はともに89歳。
夫婦仲は睦まじく、
夫の健さんは
自らの病身より、
惚けた妻のことをいつも気遣い、
四六時中優しく見守っておられた。

文乃さんは脳梗塞を発症、
左半身不全麻痺だが、
ポータブルトイレへの移乗は
介助バーにつかまればなんとかできる。
ズボン、パンツの上げ下ろしは妻が手助けをしている。

或る日の夜、文乃さんは夫の方に向きなおり話しかける。
いつも夫のことを頼りにしていて「おとうちゃん」と呼ぶ。
「おとうちゃん、私のいうことを聞いてくれて、
私はね、おとうちゃんがいちばん大切な人。

よく顔を見せて、どうしてこんなに好きなのかわからない。
いつも私の傍に居てくれたら、何もいらない。
これ以上の人は巡り会わない。
きっと前世からつながりがあったのかな。
もしかしたら兄だったのかもしれない、
それともお父さんかな」。

老夫婦 お互い
相手の病身を気遣う
89歳になっても
「あなたが傍に居てくれるだけでいい」
夫の耳元でささやく文乃さん
素敵な夫婦です

1430;食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~ 99歳のお婆ちゃん復活

2020-03-03 05:00:00 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~ 99歳のお婆ちゃん復活
ブログ1416『99歳の婆さん 週末退院する』
その後の99歳お婆ちゃん 近況報告

右肺炎につぎ左肺炎になった99歳のお婆ちゃん
点滴などの加療により完治し2月29日に退院し、家に戻った。
2度の入院で、足腰は弱くなり、自力での4点杖歩行は「できなくなった」。

慣れ親しんだ家具調ベッドに別れを告げ
代わりに特殊寝台(介護用ベッド)を設置した。
彼女の脚の長さに合わせベッドを低くし、
ベッドから足を垂らし立ち上がりができるよう介助バー(移動バー)を取り付けた。

紙パンツは穿いているいるけれど
膝痛がある長男嫁の手引き歩行により
用足しはトイレで行っている。

サイドテーブルも準備したが、
退院した翌日からは長男夫婦、男孫兄弟と一緒に
食卓で朝食を摂った。
食卓でみんなと一緒に食事をするのは最高~、
と話してくれた99歳のお婆ちゃん。

訪問したときには、ベッドから降り
座椅子に座り炬燵にあたたまり
両耳にヘッドホンをかけテレビを観ていた。
わぁ~ 普通の生活をしているぅ~、と”感激~”👍
入院生活では見られない光景

3日ひな祭りの日に 一緒に長男嫁も付き添い
自宅から100mもないかかりつけ医に受診する
(自分も診察のとき同席させていただくことに)
要介護認定区分変更申請に伴う主治医意見書記載のお願いに参上する

4日から地域密着型デイサービス(定員10名)の利用再開となる
コロナウイルスが収まり、南湖公園の桜を観に行けるのも、もう少し。
春よ、来い~