老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1384;聴こえる言葉に・・・・

2020-02-03 03:17:53 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
聴こえる言葉に・・・

93歳の老女の喉は
食べ物、水を飲み込むことが
日増しに難しくなってきた。

唇は渇き始め
ガーゼを水で湿らせ唇をなぞる

息子、娘、孫、ひ孫も訪れ声かけるも
頷くも言葉が返って来ない

93歳の老女の脳裏は
生きてきた風景を想いだしているのであろうか

彼女を励まそうと
遠い親戚にあたる男性老人(88歳)が
彼女の家を訪れた。
(デイサービスの職員が付き添う)

「元気になってよ」の言葉が
彼女の耳に届き
声弱に「ありがとう」、と返す。

デイサービスで仲良しの二人
彼女の手を握り励ます爺さん
爺さんの目は涙で潤んでいた



1381;生きたように「老い」、老いたように「死ぬ」

2020-01-31 07:50:24 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
生きたように「老い」、老いたように「死ぬ」

人間、生きたように「老い」
老いたように「死ぬ」
人間、生きたように「死ぬ」

その人の死に様(「死に様」という表現は”きつく”感じますね)は、
どんな生き様をしてきたのか、によって決まるのかもしれない。
死ぬとき、どんなことを想うのか
「後悔」なのか、「感謝」なのか
という言葉は過去のブログでも書いたけれど

自分がいま、死を迎えたとしたら「後悔」の言葉が浮かぶ
「後悔」から「感謝」の言葉に変えていくには
残された「老い」の時間のなかで
自分はどう老いを生きて往くのか

そう思いながらも
惰性に流されてしまいがちな脆弱な我が身

そう思いながらも
路傍に咲く野草や小さな生き物(昆虫)たちから
「生きる」ことの意味を教えられ
小さな幸せを感じれることの大切さ

今年にはいり
自宅でひとりの老女が亡くなり
今日の朝 末期癌と闘っていた同僚の母親が亡くなった
そしていま生死の間を揺れながら生きているひとりの老女

人にはそれぞれの人生があり、人生があった。

人間、生きたように「死ぬ」
今後も、考えていきたい言葉である





1380;「死にたい」と言葉にしてはいないのだが・・・・

2020-01-30 07:06:56 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
「死にたい」と言葉にしてはいないのだが・・・・

ブログ1367で、「食べれる」のに「食べなくなった」老人のことを書いた

心臓や肺に水が溜まった92歳の老女は
3週間の入院治療で快復し退院となり家に帰った。

もう自分は「食べれない」と思い込み、
口から食べることを忘れてしまかったのように
食べなくなった。


93歳の誕生日を迎えた。
躰を起こし、躰や腕を支えていけばトイレまで歩いていける力はあるのに
ベッド上で、老女はなすがままにオムツ交換をしてもらっている。

「ベッドサイドテーブルは使わないから」、と息子から話され、テーブルは引き上げた。
座って食べれるのに、寝たままで口から食べるのは、余計飲み込みずらい。

老母が「食べれない」「食べたくない」、と話されたら
その言葉を額面通りに受け取る息子は、
エンシュア・リキッドとOs-1を与えれば
それで栄養は摂れる、勘違いのまま・・・・

喉が通りやすいもの 飲み込みやすいものを紹介するも
本人は依然「食べたい」と気持ちにならず
躰に食べ物が入らないと、力がでないし、生きる意欲も出てこない

1月8日に退院し、まもなく2月の暦になる
口から食べないと、本当に飲み込みができなくなるし
胃も小さくなり、食べ物が入っても胃の働きが機能しなくなってしまう

息子は「胃ろうは造らない」、と話され、自宅で看取りをする、と・・・・。

彼女に「食べたいもの、好きなものを食べたら」と話すも、答えは返って来ない。
眼は窪み、躰や手足の筋力は萎え始め、仰向けのまま寝たきりにある。

どうしたらいいのか
訪問するも無力感に陥り、糸口が見えないまま
生きる主体は老女にあるのだが・・・・
「死にたい」とは発してはいない彼女
生きたいのか、死にたいのか、わからない

1376;「不自由」からの解放

2020-01-26 05:42:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
眼下に水戸市 / 茨城空港まもなく着陸

「不自由」からの解放

自由はかけがえのないもの

封建社会から近代社会へと発展させたものは
「不自由」からの解放
つまり、人間は自由を求め闘ってきた。
しかし、人間は身分差別、職業、住む処などの自由を得た一方、
他方では失業、貧困などを得ることにもなった。


それは現代においても変わりなく
人は仕事を終え、家に帰れば「自由」な時空間が待っている。
自分の家は、何しようと自由である。
他人に気兼ねする必要もなく、自由に手足を伸ばせる。
肘をつき煎餅を齧りながらテレビを見たり
昼近くまで蒲団のなかで寝ていたり
ゆっくりお風呂に浸かったりなど自由である。

人間にとり自由はかけがえのないもの
それは、不自由になってはじめて「自由」のありがたさや尊さがわかる。

自由を奪う「介護」

日々、ベッドで臥床されている寝たきり老人や
認知症老人の介護をなされているご家族にとり
いま欲しておられるのは、
「蒲団に入りぐっすりと眠りたい、ただそれだけ」、という声をよく聞かれる。

気が付けば、小学1年の孫がもう6年になり、6年の介護が経つ。
この先いつまで続くかわからない介護、老いてゆく我が身。
認知症老人を抱える家族もまた深刻である。
時間も家も人の名前・顔も忘れ、忘れたことも忘れ、できないことが増え
手をかけることも増えてくる老人の世話に疲れ果て(疲労困憊)、
ストレスも溜まり、介護者の心は悲鳴寸前に置かれている。

実の親或いは義父母の介護であるだけに
やはり介護は家族が行うべきものだと、
偉い人たちは話される。

介護者にとり介護疲れやストレスが溜まり大変と思うのは、
自分の時間が無くなり、親の介護に時間を奪われている。
介護により「不自由」な状況にある自分。

いつまで続くかわからない介護(=不自由)
自分も齢を重ね老いてゆくのでは、という不安や葛藤。
疲れてくると怒らなくてもいいところで叱ったり怒ったりする自分に
嫌悪し反省したりしてしまう。

介護の「不自由」さから解放されたい

介護が「嫌だ」とか、「したくない」とか、というのではない。
ただ、介護の「不自由」さから解放され、
「ぐっすり眠りたい」「介護を忘れ、ぼんやりとしたい」
「どこかへ行きたい」「お風呂(温泉)に浸かりたい」
そう思いながらも、
終わりのない介護がある、と脳裏をよぎると
それらの望みは無理なことか、とあきらめてしまう。


















1373;「土」に帰る {3}

2020-01-25 06:12:43 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
「土」に帰る {3}

死期が近づいたとき(死ぬとき)
人間は、何を思うのであろうか

「後悔か」それとも「感謝か」
それはその人の心の内でしかわからない

89歳で幕を閉じた老女にも
ひとつの人生史があった。
生命の重さに変わりはない(何人も生命の重さは平等である)、と同じように
何人の死もまた悲しみに差や違いはない。

大切な人やかけがえのない人の死は
悲嘆にくれ
喪失を乗り越えるにも時間がかかる。

人間は感情の動物であり
「傷み」「痛み」「悼み」を感じる

どれも「いたみ」と読む
自分の「いたみ」はわかるが
他人の「いたみ」には気づきにくい

リンゴ(林檎)は「傷む」と腐りはじめる
屋根が古くない「傷み」だし雨漏りがしてきた
物であっても手や想いをかけ修復しないと〔重症〕に陥り、
物にも心はある

しかし、「心の傷(こころのきず)」はそう簡単に修復はできない
何気なく発した言葉が、相手の「心を傷」つけてしまい
取り返しのつかないことになる。
「心の傷」が深いほど癒されないこともある。

「痛み」は
老いてくると、腰の痛み、膝の痛み、胸の痛みなど
「体の痛み」があちこちに出現する。
「体の痛み」は死ねば痛みは消失する。

「体の痛み」は〔体痛〕とは表現しないが
「心の痛み」は「心痛な思い」になり
相手の「心の痛み」を思い遣り、無言のまま手を握ったりすることもある。
「心の痛み」は、
自分の場合もあるだろうし、他者の場合もある。

「心の痛み」は「心の叫び(心の悲鳴)」のときすらある。
体の痛みとは違い
「心の痛み」は無形であるだけにわかりにくく
治癒するのは薬ではなく時間なのかもしれない。

「悼む」という言葉
よく「哀悼の意を表する」と使われ、それは「哀しみ悼む」という言葉になる。
愛する人、大切な人の「死」を「悼む」という言葉であり
白い煙となって青い空に消えっていったときの悲しさ、辛さ。
その人の名前を呼んでも、もうこの世に存在していない。
そう想うと寂しくせつない、喪失感をいつまでもひきずる。

老い逝き、老人が最期の呼吸(いき)をされるとき
言葉に遺したいことは何だろうか・・・・。
言葉は生命そのものであり
それは人間だけでなく
犬や猫、そして花にも生命の言葉をもっている。

「傷み」「痛み」「悼み」は、2017年11月のブログから再掲載(一部書き直し)









1372; 「土」に帰る {2}

2020-01-24 10:50:10 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
棲家の窓から見える枯木

「土」に帰る {2}

孤独死

誰もが、最期は穏やかに、安らかに、眠るように逝きたい、と思う
予期せぬ不慮の死は、家族に言葉を遺すことも出来ない。

一人暮らし老人の「孤独死」が、よく問題視される。
子ども夫婦と同じ屋根の下に暮らしていても、「孤独死」する老親もある。

遠くに住む子どもの世話にならず
伴侶と築きあげてきた棲家は、
老親にとり自分の躰の一部でもある。
住み慣れた家の壁や襖、柱には家族の思い出が刻まれている。

陽に焼けた畳の上で死にたい、と思う一人暮らし老人は
自分の亡き骸など諸々の処分について
仏壇に書き遺し「死の準備」を行う老親。

一人暮らし老人は、自宅で「死ぬ覚悟」(死ぬ準備)を決め
“ひとり死ぬ”ことを「孤独死」とは思ってもいない。
自分の身の始末は、自分でつける、という
一人暮らし老人の思いがある。
「孤独死」は、寂しく、可哀想であると、同情や憐れみの言葉はいらない。

*******

二階に長男夫婦が暮らす階下で
89歳の老母は深夜息を引き取った。
彼女が最後に交わした言葉は何であろうか

駆けつけたとき
彼女は電気敷き毛布も無い煎餅蒲団の上で
右側臥いの状態で冷たくなっていた。
窓のカテーンは閉められておらず枯れた庭木が見え隠れしていた。

人間、死ぬ瞬間(とき)、何も感じないのであろうか
痛みはないのか、暗闇に入っていくのか
生きている者の想像でしかない

死ぬ間際に見る「最後の風景」は何であったのか。
凍える深夜の寒さに震え
意識朦朧としながらも掠れた聲で
息子の名を呼んだのであろうか。

自分は死期が近づいたとき
どんな風景を見るのか、ふと思ってしまう。








1371;「土」に帰る {1}

2020-01-23 10:32:38 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
「土」に帰る {1}

我が家の畳の上で死にたい

人間産まれて来るとき
母は生まれ来る子のために
産着などの準備をする。

「おぎゃあ」と鳴き声をあげ
医師や助産師、そして母親に見守られながら
この世に生まれて来る。

「ヒト」から「人」へと成長し「人間」になる。

そして、人間は生まれた瞬間から「死」への旅路が始まる。
我が子が生まれたときに、その子の「死」を考える者はいない。

人間の一生は「長い」ようで「短い」
そう感じてしまうのは
自分は、いま、「老い」の時刻(とき)に在るからであろうか。

昨日亡くなった老女は「不慮の死」であったのか
それとも
生前本人が望んでいたように
亡き夫と建てた家の畳の上で死ねたことで
幸せだったのか・・・・

今回の老女の死と自分の生いと老いを重ね合わせながら
「死」を見つめていければ。と思っている。




1370;万華鏡・家族模様・介護 {3}

2020-01-22 15:24:25 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
万華鏡・家族模様・介護 {3}

同じ屋根の下に
長男夫婦と暮らしていたが
夫婦とも仕事に出かけ、
89歳の婆さんが
冷たくなっていた。


昨夜から今日の朝にかけ
寒さは厳しかった。

迎えに行ったデイサービスのスタッフから
連絡が入った。

今日の在宅訪問の大半はキャンセルし
急いで駆けつけた。
119番通報をした。

彼女の顔を手で触れたら
硬い冷たさが伝わってきた。

安らかな顔で眠っていたことが
救いであった(合掌)

彼女の死をどう捉えるか
自分の中で整理せねばならない。


1369;「在る」と「有る」

2020-01-22 07:50:12 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
「在る」と「有る」

過去は、過ぎ去りし いまは「無い」
未来は、未だ来ぬもので いまは「無い」
現在は、いま「在る」
自分は、いま「存在」している。

自分の生は、いま「有る」が、有限であり「無」となる。
時間と空間は、無限に「存在」し「有限」ではない。

自分が存在する限りは、内なる心は「無限」に「存在」する。

いま床に伏している老人、いま「存在」している。
いま、生きている。
いま、生きていることを大切にしていきたい。
いま、生きているあなたを想い愛しむ。


1368; 生きる力

2020-01-21 15:59:58 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
自治医科大学附属病院感染症科受診の帰り路 壬生SA

生きる力

生きる力、と書くと
何だか仰々しい感じがしてしまう。

何故、生きる力、と出だしに書いたのか?
終戦後、夫と共に農業一筋に生きてきた85歳の婆さんを訪問した。
彼女は脳梗塞を患い左半身不全麻痺となった。

母屋に住む長女夫婦に迷惑かける訳にはいかない、と
老母は言葉少なに話す。
家のなかも外も歩行器につかまり歩く。

硬いソファに座っている時は
左大腿部を両手でつかみ、脚を上げたり下げたりしている。
彼女は多動でもいい、こうして左脚を動かすことで
歩くとき足の運びがちがう、と話す。

そうして左脚を持ち上げたりして頑張っていることは
車の乗り降りのとき、脚が容易に上がり
家族は助かるよ、と話しかけた。
傍で聞いていた長女は、「そうだよね」、と頷いていた。

生きているんだ、と言葉にせずとも
少しでも自分でできることをする
言うことがきかない左脚であっても
動く手で左脚を動かす。

生きるとは、動くこと
すなわち活動することなり。
老いた母親は
娘の手を煩わせることないよう
ままならぬ左脚を動かすことで
生きる力を得ている。

1367;「食べれる」のに「食べなくなった」老人のサービス担当者会議

2020-01-20 04:18:20 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


「食べれる」のに「食べなくなった」老人のサービス担当者会議

心臓や肺に水が溜まった92歳の老女は
3週間の入院治療で快復し退院となり家に帰った。

もう自分は「食べれない」と思い込み、
口から食べることを忘れてしまかったのように
食べなくなった。

介護に不慣れな長男(72歳)は、
エンシュア・リキッドを朝晩飲ませれば
食事は摂れる、と勘違い

老女は呼吸苦を訴え
先週の金曜から在宅酸素の導入となった。

今日から訪問看護を始めることになることから、サービス担当者会議を開催
寝返りもままならなくなり エアマットも導入した

かかりつけ医との調整は電話及び土曜日に老女の自宅で面談した

退院して2週間になる
ほとんど口から食べていないので
胃も縮み、食べ物を受け付けなくなってしまうのでは、と心配してしまう

人間、食べなくなり、水分も摂らなくなり、尿もでなくなると
死が近くなる

オー・ヘンリーの『最後の一葉』を思い出す
生きる気力さえ戻せば、食べることができるのに・・・・

みんながこうして、老女の家に集まり彼女のことを心配してくれている
そのことに気がつき なんでもいいから好きな食べ物を口にして欲しい

いまは「食べる」ことは「生きる」ことに繋がる







1359;「食べる」と「生きる」

2020-01-15 04:49:21 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
冬の厳しさの向こうに 春の訪れを知らせる陸奥梅花(写真と本文は直接関係ありません)

「食べる」と「生きる」

「食べる」ために「生きる」
それとも
「生きる」ために「食べる」
それはその人の置かれた状況によって変わる。

噛み飲み込む力はあるのに「食べれない」
病院を退院し、あとは「食べる」ことさえすれば快復できるのに
「食べれない」と思い込み「生きる」意欲まで喪失していく老女

癌が発病するまでは
ご飯(米)が好きで大きな茶碗で食べていた婆さん
青森に生まれ白米がご馳走だった時代に育った
癌が躰のあちこちに転移し痛みは躰のなかを走り周り「余命3月」と告げられた
「食べたい」「生きたい」、という思いが溢れるほどあっても
喉は水を通してくれることさえも容易ではない

彼女にとりいま「生きる」ことは日を重ねるごとに
襲ってくる痛苦に耐え
病床で故郷(長年住んだ家)を想い巡らす

食べたくても「食べれない」老女の聲無き叫び
その叫びは もうひとり老女に届いて欲しい、と願うのだが
「私はもう食べれない」と思い込んでいる老女
いま、彼女に必要な栄養は、”生きて欲しい”、と願う家族(息子夫婦)の想い(=愛情)かもしれない


1354;万華鏡・家族模様・介護

2020-01-11 10:24:02 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
万華鏡・家族模様・介護 {1}



いま、自分の手元には万華鏡は無い
万華鏡を覗き見ると 幻想的な美しさに癒される。

万華鏡の映りめく模様は
二度と同じ模様に出会うことはない


同じ屋根の下に住む家族模様も
また同じ模様の家族に出会うことはない。

万華鏡が映し出す模様は、個の積み重ねから成り立っている。
家族模様も様々あり、在宅介護のなかに光影をもたらしている。

長寿の時代に入り
一つ屋根の下に老親と老いに入った息子、娘が住む。
「子どもは親の面倒をみるのは当たり前」、と思う老親は多い。
それは我が子を育ててきた、という自負があるからか・・・・。

しかし、軒を連ね並ぶ屋根の下の家族模様はそれぞれに違う。

親は子どもをどう育ててきたか
親の後ろ姿から子どもたちは親の愛情をどう感じとったか
また、二人が出会い結婚し、夫婦の絆(関係)をどうつくってきたか
老いる前の夫婦や家族の人間関係、また過去の生活を通した柵(しがらみ)があり、
その柵を許せるか、許せないか、によって
家族介護は、万華鏡のように個の問題として映しだされる。

介護においても「お金」は、無いより有った方がいい。
十分な介護を受けるには「お金」は必要であるのだが、

お金に余裕が無い老母(96歳、要介護2)と息子(69歳)は同じ屋根の下に住み
母親は国民年金なので年金受給額は少ない
長男は軽ワゴン車で運送をしながら農業をし、その他に5時前には起き宅急便の荷物仕分をしている。

息子が働いている間は、老母はベッドで寝起きしベッド脇のポータブルトイレで用を足している。
炬燵卓上に息子が用意した朝食、昼食を摂ろうと
老母はベッドから降り歩行器につかまり炬燵まで歩いていく。

月に1、2回、隣市に住む娘が訪れ、買い物、掃除、洗濯を行っている。
利用している介護サービスは福祉用具貸与(介護用ベッドと歩行器)と
福祉用具購入で利用したポータブルトイレのみ。

本当はデイサービスを利用したいが
月1回の通院費が嵩む。

老母が入院したときは、
息子は運送業やの農業を終えたあと、病院の夕食が出るころから20時頃まで
ベッドの傍で老母と会話をしている

病室を訪問したとき息子に出くわしたこともあった。
「入院すると惚けてしまうので、惚けたまま退院しては大変になるから
こうして毎日来て話をしていれば違うかな、と思い来ている」


1344;石は生きている

2020-01-03 09:26:19 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
冬の阿武隈川風景

石は生きている

自分の好きな詩を紹介するのは恐縮するが
高見順さんの詩集『死の淵より』(講談社文庫)が好きである
32歳の頃 重度身体障がい者の介護にかかわっていたときに
『死の淵より』の本に出会った
『死の淵より』は自分の介護観に大きな影響をもたらした

『死の淵より』のなかに「小石」の詩が収められている

小石

蹴らないでくれ
眠らせてほしい
もうここで
ただひたすら
眠らせてくれ


高見順さんは食道癌を患い
癌が進行してゆくなかで
死の淵をみつめ 病室で詩を綴られた

路傍にある小石を
何気なく蹴ったことがあった。

小石は
蹴らないでくれ
眠らせてほしい

と、静かに叫ぶ

高見順さんは
癌よ痛み増さないでくれ
眠らせてほしい
癌を小石に喩えている

小石も生きている
蹴らないで
そっと路傍に
そのまま置いて欲しい


拾年以上も昼夜臥床している老人の
生きてきた凄さに驚く
手足は拘縮し自ら寝返りもできない
躰は硬くなりじっとしている様は「石」のようでもある
老人の手をそっと握り続ける
そうすると手から老人の温もりが伝わってくる

躰を右側に向きを直して頂くと
陽が射す南の窓から季節の風を感じ
生きている、と実感する

寝たきり拾年
不自由さや痛み(傷み)にも耐え生きてきた
生かされたきたことに感謝し
あなたが言葉のかわりに握ってくれた手
目尻から泪が頬伝わり枕を濡らす

わたしはこのまま死んでいっても
また人間に生れてきたい

石のような躰であっても  
わたしは生きている