老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1427;寂 寥 感

2020-03-01 11:59:59 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
寂 寥 感

末期癌を抱え
歩くこともままならぬ老女は
長年住み慣れた家を離れた
空き家になってしまった我が棲家
  
いまはサービス付き高齢者住宅の一室
申し訳程度の腰窓だけのせいか殺風景
掃き出し窓ならば季節の風も感じるのだが
過去の思い出から遮断された時空間

妹 老いた父母 弟 を見送り
独り身で暮らしてきた老女

老女は呟く
「こうして独りでいると言葉まで忘れてしまう」 
髪の毛が抜け落ちるように 記憶までも失っていく
残るのは寂寥感

癌の痛みにもじっと耐え
泣き言ひとつこぼさない老女

痩せ細った老女の手を握り返し
「また来るね」と手を振る

遣る瀬無く 
せつなく
どうしようもない

老女の最期を見送り
ささやかな葬式と家族が埋葬されている墓に納骨した




1417;ドクター怒りだす!

2020-02-26 04:45:00 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
ドクター怒りだす!

ブログ1408「1年以上も受診していない・・・・」で
登場した芳治爺さん
昨日妻に付き添われ、地元の総合病院第2内科(糖尿病)を
1年ぶりに受診した。

要介護認定更新に伴う主治医意見書の記載のお願いと
本人の生活状態を主治医に伝えるため
自分も(ケアマネジャーの立場から)同席した。
予約なしの診察だったので3時間余り待たされた。

自宅で使用していていたインスリン製剤、
冷蔵庫で保管していたというものの
なんと、それは10年前のインスリン製剤であった
その話を妻から聞いて、吃驚仰天はしなかったけれども
食べ物とは違い「腐らないのか、どうなのか」わからないが
医師も無言であった。

そこまでは良かったのだが、
芳治爺さんは、主治医に言わなくてもいいことを言ってしまった。
「待ち時間が長く、随分待たされた、疲れた~」
それを一度ならず繰り返し、彼は医師に話したものだから
主治医は怒りだし、ヤクザ口調の強い言葉で切り返した。

「1年余りも診察に来ないで、ほったらかしで、予約なしの診察は
予約された後に行うから、12時過ぎまで待つのは仕方がない、
来なかったあなたが悪いのだ」

短気な医師なのかな、と思いつつ、でも医師の話の内容は間違ってはいない。
以前その病院に勤務していたことがあったwifeに聞いたら
「筋道が通っていればいい先生だよ、短気なところはあるかもしれないけど・・・」

今度は通院等乗降介助のサービスが入るので
受診したかどうかの把握はしやすい
あとはインスリン注射をしたかどうか
本人は物忘れもあり
老いた妻に聞かなければならないのだが
都合が悪くなると「嘘」を話すこともあり、
「嘘か」「真実か」、全体の話の流れからつかんでいくしかない

3時間待ちの受診は、疲れた
人間観察をしながら、それとも自分が他者に観察されながら、硬い椅子に座っていた。

1416;99歳の婆さん 週末退院する❣

2020-02-25 15:58:09 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳の婆さん 週末退院する

今日、長男夫婦、担当医師、病棟看護師長、医療相談員(MSW)、ケアマネジャー(自分)が
ナーステーション打ち合わせ室に集まり
99歳の婆さんが退院した後の生活をどうするか
話し合いをもった。

左の肺炎は治癒し、炎症もない。
杖歩行が心もとなくなり、人間の手を借りなければならない。
家具調ベッドでは起き上がり、立ち上がりは容易ではなく
介助する長男嫁は両膝痛があり腰を曲げるのも大変。

介護用ベッドを利用された方が
起き上がり、立ち上がりの動作も楽にできる
そう長男に説明を行い
介護用ベッド(介護保険では「特殊寝台」と呼ぶ)を借りることにした。
今週の金曜日介護ベッドを設置し、土曜日の午前に退院となった。

病室に寄り 登喜子婆さんの肩に手をかけ
「退院が決まったよ」と話す。

38.6度の高熱、呼吸苦、意識障害の症状ありで、救急搬送による再入院
今度は「生きて家に帰ることは無理かな」と、内心そう思った自分。
そう思いながら昨日は病室を訪れたら、吃驚!
予想に反し、彼女は笑顔で迎えてくれた。

それにしても登喜子婆さんの生命力は凄い。
幾度も峠の路を踏破し、生き抜いてきた彼女。
転倒だけはしないよう気をつけていきたい・・・・。


1414;99歳のお婆さん 再入院!

2020-02-24 20:19:52 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳のお婆さん 再入院!

2月15日退院した登喜子婆さん 👉 ブログ1400

「家はいいな~」と言いながら
デイサービスは2回利用されるも
表情は苦しく、2月20日の朝 熱発となり
長男は救急車を呼び 地元の総合病院に搬送された。
今度は左肺の肺炎が診断され、再入院となった。

酸素療法となり退院は難しいのかな、と思いながら
今日仕事を終えてから、19時過ぎに病室を訪れた。
予想に反して、本人は元気で、笑顔を見せてくれた。
男性看護師がちょうど病室に居たので、2,3尋ねた。

食事は全粥なのであろうか、自分で食事は摂っているとのこと。
生きるには、まずは食べれているかが、一番気になる。
明日、レントゲンなど検査を予定しているとのこと。

明日は、1年以上も受診していなかった爺様の通院付き添いがある。
その診察を終えてから、登喜子婆さんの病室を再訪してみよう、と思っている。

今年に入り亡くなった人が続いていただけに
登喜子婆さんは、再び退院ができ「家に帰って欲しい」、と願っている。

1408;1年以上も受診していない・・・・

2020-02-20 04:59:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
1年以上も受診していない・・・・

自分がいま担当させていただいている
昭和二桁生まれの人は、4分の1おられる。

自分より10歳年上の芳治(よしはる)爺さんも昭和二桁生まれ。
彼は、糖尿病と陳旧性心筋梗塞の持病を抱え
昼夜ベッド上で過ごされている。
歩行器につかまりトイレまで行き用足しをしている。

芳治爺さん、朝食前にインスリン注射を行っているのだが
1年1ヶ月余り、内科受診しておらず
残ったインスリン製剤を使い
1年前に主治医から指示された20単位の量でインスリン注射をしている。

未使用のインスリン製剤があったから
「受診しなくても大丈夫」、と思った。
そう答える老いた妻。

「何も体に異常はなかったの?」、と尋ねるも
「大丈夫」。

「お父ちゃんは苦労して仕事をし、家族を養ってきたから
 好きな酒を飲ませてあげたい、と思い 毎晩ワンカップを
 飲ませている」、と話す長女。

「何故、病院に行けなかったのか」
妻は、「車に乗せてくれる人がいない」「お金がない」「インスリン製剤があったから」などと
答え、受診せずに自己判断でインスリン注射をされていることの重大さに気づいてはいない。

年金などの収入が入ると、使い切ってしまうため
医療費に充てるお金が無くなってしまう。

通院等乗降介助(ヘルパーによる通院介助)のサービスを組み
来週の火曜日 内科を受診できるよう、病院内科外来に電話連絡をした。
自分も診察のときは同席しようと思っている。
予約なしの受診なので、午前中3時間待ちとなり、溜息が出てしまう。



1407;探しものは見つかりましたか

2020-02-19 04:47:44 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


探しものは見つかりましたか

在宅訪問に行ったとき、小竹婆さん(85歳)の話
最近、物忘れが出始めてきたのかな?
耳が遠いので補聴器を使用している小竹婆さん。

補聴器をどこに置いたのか
60分近く ベッドなどあちこち探し続けたが
まだまだ見つかりません。

失くすので息子は、高い補聴器は買わない。
いままで何個の補聴器を失くしてきたのか
探し疲れた彼女

ふと、右耳に手をやると、硬いものが手に触れた
「あった ❣」
大切な補聴器は耳の中へしっかりとはめ込まれていた。


井上陽水さんの『夢の中へ』の歌も
探しているけど なかなか見つかりません

探しもので一番見つかりにくいものは
人生の目的なのかもしれない



1405;いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

2020-02-17 04:47:29 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
いま、生きていたひとが、 亡くなり、「いま」、居ない

昨日の朝 散歩しているとき
浩子婆様の長男が運転する軽ワゴンが止まった。
「昨日 婆さんが亡くなった」
「最期は見送りができたんですか」、と尋ねると
「前の日から泊りこみで付き添っていたので見送りはできた」
「それはよかった。本当に長い間お疲れ様でした」

介護用ベッドと歩行器の利用だけで
在宅介護を8年間してきた長男
老いた母と長男の二人暮らし
兼業農家をしながらの介護

今年の一月末、尿管結石からくる尿路感染症で入院
齢、97歳になる
日中はベッドで生活するも
ポータブルトイレで排せつを行い
歩行器を使い、寝室から居間で歩き
炬燵で長男が用意してくれた食事を摂っていた彼女

またひとり90歳を超えた老いびとが亡くなった
「な(亡)くなる」は「居なくなる」ことであり、寂しく切ない
血のつながった家族ならば、それ以上に寂しさや哀しさは深い

いま、生きていたひとが、
亡くなり、「いま」、居ない

「今」「居間」「在る(存在)」という3つの言葉から、思うことがある
「今」は、いま自分は生きている
それは自分がこうして、家族とともに「存在」していること
家には「居間」があり、家族がみんなが「今」、「居間」に顔を揃え
食事や語らいのひとときを過ごす。
家族と「居る」「時間」をともにする場所が「居間」なのだ。

居間から、浩子婆様が居なくなる
昨日居たひとが
今日は居ない
そう思うと切なく悲しく寂しさが襲ってくる

昨日彼女の顔を拝ませていただいた
安らかな顔をしていた。



1400;99歳のお婆さん 2月15日退院となります

2020-02-14 19:23:32 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
99歳のお婆さん 2月15日退院となります

98歳のお婆さん
実は99歳になっていました
年齢早見表の見間違い、失礼しました

昨日、登喜子婆さんが入院している総合病院地域医療連携室の担当医療相談員に電話をかけた
「食事も摂り、元気になり、退院できるかもしれないよ」、と話され、
彼女の生命力、回復力に驚くと同時にホッとしました。

「今日午後2時に病室を訪問したい」、と医療相談員に電話により伝えた。
午後2時、長男夫婦と待ち合わせ、退院に向け医師とも話し合う機会を持つことができた。

医師からは「軽い肺炎は治癒した。99歳であり、入院が長引けば、退院できなくなってしまう。
早く家に帰り普通の生活に戻すことが大切です。
老人には白い壁は”害”になるだけで、認知症も進んでしまう」、
と話されたことに、心のなかで拍手喝采の心境でした。

明日、退院できることになり
登喜子婆さんにそのことを耳元で伝えると
皺がある顔は、皺が動き満面な笑顔になる。

明日は土曜日だけれども
在宅訪問し、これから在宅でどう介護をすすめていくのか
本人交え長男夫婦と話し合うことになった。


1399; 運転免許証

2020-02-14 05:07:08 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
運転免許証

wifeは疲労困憊
自分の「せいかな」(自分が原因かな)
入退院後は1週間に1回の通院付き添い
片道110㎞の道のり
休みを通院付き添いにあて 休む暇もない

昨日はしばらくぶりで
行き帰りの大半は自分がハンドルを握る
白内障もありサングラスをかけ運転
ガラの悪い不良爺爺に見られたことであろう

躰が不自由になったり、80歳を超えたりすると
運転免許証を返納することになるんだろうな、と
運転しながら「ふと」思った

朝夕の一便しかバスが走っていない地域では
車がないと不便で陸の孤島のような感じ
在宅訪問すると
介護されている伴侶(老夫)から
1週間に1回の買い物と月に1回の通院は
車(軽自動車)がないと困る

80歳を超え物忘れを出始め
心配した子ども夫婦は車のカギをとりあげた
それを契機に 認知症が進行した父親

人、地域社会とつながりが切れ、家にいるだけの「暮らし」は
刺激がなくなり萎れた花のように生気が失せる

そんなことを思いながら、運転してきた。

1398; 入院した98才のお婆さん

2020-02-13 10:00:58 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
朝6時頃の阿武隈川と那須連山の風景

入院した98才のお婆ちゃん

先日のブログ 高齢者の脱水症状のところで
登場した98才のお婆ちゃん
一昨日の朝、訪問した。

朝食を終え、ベッドで寝ていた。
「登喜子さん〜、おはよう〜」と言葉をかけると、
かけ蒲団から顔を出し、私の顔がわかりニッコっと笑う。

朝食のとき一口二口のお茶を口にしただけで
唇や口の中は乾いていた。

心配し、訪れてくれたことが登喜子婆さんにとり
凄く嬉しく、翌朝3時に起き出し
デイサービスに行く用意をしていた(昨日の話)。

デイサービスに行き、登喜子さんを迎えた。
午前中は、張り切りよく話をされ、昼食も完食。
その後は、疲れたのか、ベッドで休まれた。

15時半頃、登喜子婆さんは、突如怒り出し
意味不明な言動も見られ、せん妄状態になった。
脱水症状によりせん妄が出現することもある。

登喜子婆さんは興奮し、介護員の手指を
物凄い力で握り締めていた。
デイサービスのスタッフから呼ばれ
私は腰を屈め、「登喜さん〜」、と声をかけ、
片方の手指に手をだすと、手指の力を抜き
握り返してくれた。

SPO2は測定できず、意識も朦朧としていたこともあり
救急車を呼び地元の 総合病院に搬送された。
軽い肺炎と脱水症により入院となった。

登喜子婆さんは、自宅に居る時は
救急車を読んでも「乗車拒否」をされ受診しようとはしない。



他人様や長男嫁の手を煩わせることが許せなく
自分のことは自分でする、といった気丈さを保ち続けている。

今回は、デイサービスに来てくれたお陰で
救急車に乗り受診することができた。

入院し肺炎や脱水症は完治に向かうが
嚥下の低下、認知症の進行など杞憂され
98才のお婆ちゃんは幾たびの峠を乗り越えていかねばならない。

いま、自分は、自治医科大学附属病院外来待合室にいる。
今日は、腎臓外科と感染症科の受診
採血の結果、クレアチニンの数値が1.4になり、ホッとしているところである。





1397;死に向かって生きる

2020-02-12 05:08:05 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」


死に向かって生きる


人間、おぎゃあ、と産まれた瞬間から
死に向かって生きる運命を背負う。
即ち、「人間、死ぬために生きる」。

「お前は死ぬために生きているのか」、と反論、反感を買ってしまう。
人間に限らず 草花木や人間以外の動物も含めた生き物は、
みな「始まりがあって終わり」がある、といったように有限の生き物である。

どうせ死ぬのだったら、努力や苦労して生きても意味がない
好きなように自由に生きた方がいい、ということで
刃物を振りかざし他人を殺傷するという自己中心的な言動も甚だ迷惑であり、
許されるべきものではない。

「人間、死ぬために生きる」
それは、死ぬまでつまり生きている間は、どう生きてきたか、ということが問われてくる。
蝉のように、俺は此処に生きているぞ、と短い夏の間必死に鳴き叫んでいる。

『365日の紙飛行機』の歌が好き
歌詞のなかに「その距離を競うより
どう飛んだか、どこを飛んだのか
それが一番大切なんだ」


死に向かって、「どう生きたか」が大切なんだ、と
紙飛行機は空に舞い上がり、心のままに飛んでいった。






1395;高齢者の脱水症状

2020-02-11 04:07:22 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
高齢者の脱水症状

担当している98歳のお婆ちゃんが「水を飲まない」ため、
脱水症状が深刻な状態にあるのでは、と危惧している。
長男夫婦に「救急車を呼び、受診を促すも」、
救急車を呼んでも本人が拒否するから、と・・・・。

人間の体の6割(高齢者は5割)は体液(水)である。
体内に必要な水分量と塩分量が十分でなくなると、脱水症状が起きる。

98歳のお婆ちゃんのように
老人は自分が脱水症に陥っても気づかない。
特に認知症を抱えた老人も「喉が渇いても、水を飲む」ことが
”知らない” ”できない” ために、脱水症になりやすい。

経度の脱水症状
皮膚の乾燥がみられる 👉 唇がカサカサし、口の中が乾燥している
ボ=ッとしたり、うとうとしている(傾眠状態)

中度の脱水症状
頭痛や吐き気を訴える
トイレに行く回数が少ない 👉 汗や排尿の量が減っている
嘔吐や下痢

重度の脱水症状
話しかけても反応がなくなり、意識がもうろうとしたような状態
             👇
ひどいときは、意識喪失や体の痙攣が起こったりする


老人は脱水になりやすい

98歳のお婆ちゃんのように超高齢になると(誰もそうなるわけではない)
食べる量が減ったり、食欲低下や嚥下機能が低下すると 👉 水分が不足する

体が不自由になり、介護が必要になったりすると、
「迷惑をかけたくない」ということで      👉 トイレに行く回数を減らす
                              👇
                          意図的に水分を摂らない

心不全などの症状がある人は、利尿剤を服用していることが多い
              👇
尿の量が増え、体液が減少しやすくなるので、水分を多めに摂ることが必要

筋肉のなかに多くの体液を含んでいる
(暑いときや運動をすると若い人は汗がでやすい)

老人になると筋肉量が減りがちで、体液も減り汗がでにくい 
               👇
水分を摂ることで、少なくなった体液を補充できる

98歳のお婆ちゃんの息子に
「脱水症状が重度になると意識がなくなるよ」、と話しても
危機感がなく、「大丈夫だ」の一言

水を飲め、飲め、と言われても、飲めるものでもない、。
「饅頭があるから、一緒にお茶でも飲もうか」、と誘う
また、一緒に飲むことで、相手もお茶を口にするかもしれない

脱水になって嬉しいのは洗濯機の脱水機能だけである







1390;「吾亦紅」(すぎもとまさと)から母を想う

2020-02-07 17:48:16 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」

「吾亦紅」 すぎもとまさと
作詞:ちあき哲也、作曲:杉本真人、唄:すぎもとまさと

白髪混じりの親不孝息子は
ふと母親が眠る故郷へ帰り
墓参りをする

マッチを擦れば風が吹き
線香がやけに つき難い

吾亦紅を見ると母を思い出す

盆の休みに 帰れなかった
俺の杜撰(ずさん)さ 嘆いているか
あなたに あなたに 謝りたくて
仕事に名を借りた ご無沙汰
あなたに あなたに 謝りたくて
山裾の秋 ひとり会いにきた
ただ あなたに 謝りたくて…… 


自分も 仕事に名を借りた ご無沙汰ばかりして
十数年も北海道へ帰らなかった

小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった……
それでも母を 生ききった

令和2年1月から2月初めにかけ
3人の老母が亡くなった
自分の母も含め
母たちは 
小さな町に 嫁いで生きて
ここしか知らない 人だった……

東京 ディズニーランドも知らなかった
それでも母は 小さな町で生ききった

あなたは あなたは 家族も遠く
気強く寂しさを 堪(こら)えた
あなたの あなたの 見せない疵(きず)が
身に沁みていく やっと手が届く


いまは 小さな町に 独り住む老母もいれば
同じ屋根に下で息子夫婦と住む老母もいる
どちらの老母も
気強く寂しさを 堪(こら)えてきた

老い初めてきた息子に疎まれ傷つけられても
老母は寂しさを堪えてきた
寝たきりになっても 認知症になっても
子を想う老母の気持ちは変わらない

母と同じ年に生まれた老女に出会うたび
母が生きていたら今年で93歳になる

老母にできなかった優しさ
そのできなかった優しさを
3人の老女に
どれだけかかわりあいを持ったのか
線香をあげながら振り返る

髪に白髪が 混じり始めても
俺 死ぬまで あなたの子供…


小さな町で生ききった
3人の老母に
自分の母に
「おつかれさま」「ありがとう」の言葉を呟き
「俺 死ぬまで あなたの子供」で幸せでした

1389;深夜に電話とlineの音が鳴る

2020-02-07 05:57:51 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
深夜に電話とlineの音が鳴る

食と水を摂ることができず
絶食のような状態ながらも
生きてきた93歳のお婆ちゃんが
深夜に息を引き取った。
(ご冥福をお祈り申し上げます、合掌)

長男と訪問看護師から
電話とlineが入る。

それから起きだし
零時半過ぎキャンバスを運転し
彼女が眠る家に向かう。

紺色と白色を基調とした踊りの浴衣を着
安らかな顔で眠られていた。

93年の人生お疲れ様
50代のときにご主人に先に逝かれ
ご苦労された、と思います。





1386;『誰にもわからないひとり介護の辛さ』

2020-02-05 06:41:23 | 老いの光影 第6章 「老い」と「生い」
気持ちが折れそうなとき 青い空を見上げる

『誰にもわからないひとり介護の辛さ』

或る介護ブログに『誰にもわからないひとり介護の辛さ』が書かれてあった。
私自身唸り打ちのめされた
それでも「お前よどこまでひとり介護の辛さがわかっているのか」、と
声が聞こえてきそうだ。

自由気儘に家族をかえりみず生きてきた親や連あいほど
貯金も余りなく年金もかけてはこなかった。
使える介護サービスはあっても、介護に使える金は限りがある。
残されたものは、ひとり介護者の介護力のみ。

頼る人はいない
ケアマネジャーがいるじゃないか、と言われても
どこまで親身になって相談してくれているか
月1回の訪問でどこまでわかってくれているか。

兄弟姉妹叔父叔母が居ても
自分の生活だけでいっぱいいっぱい。
結局はひとりの介護の辛さが、重くのしかかる。

やり切れない介護、辛いか介護の日々のなかで
生きるってなんだろう、と溜息をついてしまう。

「私の人生ってなんだろう」
大切な時間を奪われ失い、気がついたときには
身も心も抜け殻になり生きる気力さえも失ってしまう。
そんな辛さを誰にぶつけたらいいのか。

認知症になった老親
どこまでわかっているのか
どこまで惚けているのか
わからないけれど
「ありがとう」の言葉があるだけで
辛い気持ちは救われる。

「どこまで生きればいいのか」
それは「どこまで介護をし続ければいいのか」
それとも「どこまで介護をすればいいのか」
という言葉にも置き換えられる。

1917年11月に掲載、一部書き直しあり