老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

1069;人間は宇宙に帰る

2019-04-22 05:23:20 | 生老病死
夜桜は 闇夜に浮かび上がる妖艶な美しさ

人間は宇宙に帰る

作家 高見順は詩集『死の淵より』のなかに
詩「帰る旅」がある
その詩のなかに

この旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだ


とあり、
高見順は 重い食道癌を患い
手術を受けた
病室から死の淵から這い上がり
自分の死を見つめ 
生命を削るような思いで詩『死の淵より』を紡がれた。

昔、人は死ぬと
土に葬っていた。
高見順は、
死は、自然へ帰る旅であり
土に戻れるのだ
(土に帰れるのだ)、とサラッと書いている。


いつの頃からであろうか
土葬から火葬に変わった。

火葬場で遺体は灼熱の如く焼かれ
火葬場の煙突から白い煙となって立ち昇り
青い空へ消えて逝く。

もうあなたは儚き白い煙となり
あなたの名を呼んでも
あなたは、“もういない。いないんだ”(Ray)、ということに気づき
寂寥感に襲われる
喪失の傷はなかなか癒えない

私の心のなかであなたを想いだすとき
あなたは魂(生命)は蘇甦(よみがえ)る

白い煙となって青い空へ消えたあなたは
夜空に浮かぶ星となり
遥か彼方銀河系のなかで光り輝いている
あなたの魂は宇宙に帰った

いつの日か
宇宙から
名も知れぬ母の胎内に宿り
地球という惑星に帰って来る





1066;死に場所と死に方

2019-04-20 18:49:24 | 生老病死
枯草? 枯花? 何だろう、一冬を越した

死に場所と死に方

何処で死にたいか
猫は人知れず死に場所を見つける、という

長年住み慣れた家で(我家の畳の上で)死にたい

独り暮らしの死は “孤独死”と騒がれるけど
自宅で死ねるなら、それは本望であり“孤独死”ではない

長年住んできた自宅は
家族、夫婦、自分の歴史が
家のあちこちに刻まれ
自宅の風景は自分の躰の一部である
だから自宅では死ぬ 寂しくない

それより白い壁と医療機器に囲まれた病室で死ぬ方が寂しい、と
独り暮らし老人は呟く

自分は22本のロウソクほど離れた妻と暮らしているからか
自分の死の見守りは妻がしてくれるものと勝手に思っている
途中で棄てられたらそのときは仕方がない

自宅で死にたい、と
その意思表示を生きているときに 家族に話すこと


そして老い往き
死期が近づいたとき(迫ってきたとき)
本人は再度「自宅で死にたい。救急車を呼ぶな、病院では死にたくない」、と
固い意志を示す(話す)ことが大切


そうしないと家族(連れ合い、息子夫婦、娘夫婦、子ども)は
死に逝く人の 死に対し気持ちが大きく揺れ動き、狼狽え
病院で亡くなった方が「安心」であり「心の負担」も軽くなり、世間体もよい
本人の気持ちとは裏腹に 死に場所を病院に変えられてしまう

自宅で死にたい、と
本人の意思表示だけで
その気持ちを叶えることは難しい。

家族や兄弟姉妹たちが
自宅で死にたい老親の気持ちを叶えてあげよう、と
その死に臨む強い姿勢が問われる
それには医療関係医者(往診・かかりつけ医、訪問看護師や介護事業所スタッフとケアマネジャーのチームケア(支援体制)が不可欠になる

自宅で死にたい本人、見守り(看取り)をする家族、ケアマネジャーを調整役とした医療・介護スタッフ
この3者が歯車となり一つになり、一人の死に対峙しながら 見送ることができるのだと思う

死に場所が決まれば
次に問われるのは死に方である
一つは延命処置を望むのか望まないのか。
延命処置の範囲をどこまで指すのか。

死に方の内容は延命処置のことだけではない
死を意識したとき
自分は死ぬまでに何をしたいのか
残された家族に伝えたいことや整理したいこと
また体力が許すならば 行きたい処へ出かけたい等々

自分は死の瞬間まで どんな生き方をしていきたいか
生死一つ 生き方と死に方 それは同じ意味を持つ

最期の瞬間 どんな風景を見て自分は死ねるのだろうか
そんなことを思う










1040;死ぬために生きる

2019-04-04 09:58:17 | 生老病死
かかりつの病院 自治医科大学附属病院 今日は外来受診

死ぬために生きる

にんげん
オギャーと生まれた瞬間から
死に向かって生きる
それは死のために生きることを意味する

慢性腎不全という不治の病をもらい受けた私
薬漬けもいいところ
朝は9種類12錠 夜は5種類8錠
死ぬまで服用しないと
人工透析に逆戻り

死ぬために生きる
そう思いながらも
生きてよかった、と
呟けるよう逝きたい ものだ



1038;春を感じる

2019-04-03 05:12:19 | 生老病死
春なのに雪が降る


昨日は春なのに 雪が降った

犬は鼻で春の風を感じる
花びらも春の風をじる
私は躰ごと春の風を感じたい

とうに余命1ヶ月を過ぎ
3月を迎えようとしている
桜の開花を待つ
80歳の清水太郎さん

末期肺癌は治ったと信じ
生きている

残された日々
春の風を感じながら
住み慣れた我が家で
妻と暮らす

癌は腸骨、仙骨そして頭部にも転移し
車いす暮らし
しつこく同じ話をする夫
聞き取り役の妻は疲れ
お互いの気分転換も兼ね
夫は4月13日の土曜日から
週1回のデイサービスに通う






1031 生かされる

2019-03-30 08:47:07 | 生老病死

白梅



小峰城


 生かされる

今年も
梅の花が咲いた
自分のためにでもなく
梅の花は咲いた

梅は
その地に静かに棲息し
花を咲かす

棲息は呼吸しており
生きている

自分は
生きているか
死しているか

生きているかどうかよりも
生かされている自分

青空の下に咲く白梅に
気づかされた

1026 いったい死とは

2019-03-27 15:14:13 | 生老病死
死は影なのか

 いったい死とは

あるブログのなかで
「いったい死とは」
問われ気になりだした

死ぬと
その瞬間  [the end] となり
大切だった人の存在が
消えて無くなる


生きるとは
死に向かうこと
地位、立場、貧富などに関係なく
誰もが死ぬ

死は宿命

交通事故と同じく死も
自分が 今日遭遇するとは思ってはいない
無縁でありたい、と

死は実体がなく
死者しか「死」はわからない

生きている者にとり
死は未知の時空間

老い死が近づいてくると
生き方よりも死に方が難しい
昨今の世の中

いったい死とは

どんな死に方をしたいのか(老人)
どんな生き方をしたいのか(子ども)

どこまでが生であり
どこまでが死なのか
生死一体(生死一如)
そんな気がしてならない

※観念的、死を頭で考えている










962  「余命」 「残命」 

2019-02-18 22:12:33 | 生老病死
「余命」「残命」

いま 末期癌から「余命」宣告を受けた
或るひとりの男性老人が生きている

ひとりは80歳を越えた男性
肺癌は
容赦なく腸骨と仙骨
そして頭部まで転移した

痛みがなく幸いであるが
いつ激痛が体を走るか

不安を抱え
退院し自宅での「余命」生活
入院のとき余命1ヶ月と言われ
1ヶ月が過ぎた
病院とは違い自宅での生活は
癒され静かに時を刻む

余命は
余った命ということではなく
余り少ない生命(いのち)という意味に捉えられる

余命よりは
残命のほうが意味ははっきりしてくる
残り少ない生命だけに
家族とどう過ごしていくのか

そのなかで
自分は何ができるのか
妻は不安を抱え
末期癌の夫をどう支えてゆくのか

最期はどこで死を迎えるのか
在宅か
それとも救急搬送により病院か
妻は揺れ動く

日中眠る時間が増えてきた
眠れず夜中に目が覚め
トイレに通うこともしばしば
心もとない夫の歩きを支える妻

不安だけでなく疲れも溜まりゆく
どうして夫が癌を患ってしまったのか
つい胸の内で愚痴がもたげてくる

あと一ヶ月と少しで
桜が咲く季節になるね
みんなで桜の花を観るのが楽しみだね、と
春よ来いの気持ちになる・・・

948 軟部腫瘍摘出術

2018-12-22 04:55:50 | 生老病死
軟部腫瘍摘出術のため入院中

赤い風船の糸が
するりと手から抜け
鉛色の空へ消えていった
そんな調子で
ブログがまた途絶えてしまった
不甲斐なさを感じ自己嫌悪に陥る

ブログのタイトルを
またまた変え
心機一転の気持ちで
始めた
苦笑、呆れ顔ものだけれど
よろしくお願いします


左手背、左肘の7箇所に
腫れものができ
そのうち2箇所は化膿し
38.6℃の熱を出してしまった。

12月17日
石橋総合病院に入院
その日に
左手背、左肘にできた軟部腫瘍の摘出を行った
57分間の手術

昨年の5月にも同じ手術を行った
軟部腫瘍の原因は
抗酸菌という菌で
肺にあると大変なことになる

1年間の内服薬により
抗酸菌を退治できるのだが
副作用が大きい
慢性腎不全の疾患を抱えているだけに
腎臓に与える影響が心配故に
内服薬は断念した

また軟部腫瘍ができたら
切除する以外に方途はない
これも生きている証拠(あかし)

12月26日に退院する

943 残命

2018-09-30 18:20:06 | 生老病死
 残命

末期癌や老衰などのとき
余命を告げられるが
どうも「余命」という言葉は
しっくりこない。

「余った命」
誤解してしまう言葉である。

「余命」よりは
「残命」の方がしっくりくる。

あとわずかな生命の時間のなかで
最期の瞬間まで
生きようとする。

92才の大沼滋治は
先週の金曜日退院し自宅に帰った。

前立腺癌は
大腿骨、腰、肺、肩、首の各骨にまで
癌は拡がった。

痛みは体のなかを駆け抜けた。
「痛」
病は体のなかを通り抜け
「痛み」や「傷み」を伴う。

「痛み」の辛さは当の本人だけしかわからない
「痛み」は耐えるのではなく我慢するもの
時折激痛が襲ってきても
気遣う相手に
「痛みはやわらいできた」とやさしい嘘をつく。


滋治は
退院した翌日から
痛い顔を見せず
車いすに乗り
デイサービスさくらさくらに来た。

水を飲むとオシッコが出る
おむつを取り替えねばならない
水は控える
ただ天井を見つめ寝ているだけ

炎天下の砂漠のような時空間
乾ききった喉
それでも家に帰りたかった

デイサービスさくらさくらで
彼は2000cc余りの水を飲んだ


それは家から
デイサービスさくらさくらに行ける
(老いの)仲間がいる
ただそれだけ

何処に居ても痛みは無くならない
でもさくらさくらに行くと
痛みを忘れることができる


昼食を終え
長時間椅子に坐るのは大変
体のあちこちが痛みが増し
横になりたいと体は訴えている。

しかし
滋治は「寝ない、起きている」と話す。
スタッフの目配せで

頚椎による痛みが常にある祥三は
「俺も眠いから寝るかな」

再三の脳梗塞にもめげず
リハビリでどうにか杖歩行までになった慶二も
「疲れたから俺も寝る」

寝る仲間ができたことで
寂しくはなくなり一緒になた滋治

生れてはじめて
ベッド上で
下の世話になった滋治
泪を流しながら「申し訳ない、ありがとう」と呟く

彼は、
少しでもオムツの取り換えがしやすいように、と
腰や大腿骨の痛みを堪えお尻をあげてくれた。

滋治は
残された時間
残された生
残された命

デイサービスさくらさくらで
過ごして逝きたい








941 「死」は他人事であってはならない

2018-09-25 03:42:17 | 生老病死
「死」は他人事であってはならない

癌告知されぬまま
死が近いことも知らずにいる
大沼滋治のことを考える

彼の死を考えるとき
残された生を考えてしまう

残された生を
どうしたいのか

それは滋治のことだけでなく
自分のことでもある

自分が癌であること
それも全身癌の状態にありながらも
知らずにいる

全身癌であることを
知らないほうが幸せ・・・・
そうではない

仙骨部に褥瘡ができても
痛みを感じないほど
激痛は全身を駆け抜け
耐えている様は見ているだけでも切なく辛い

他人の痛みは三年でも我慢できる
自分の痛みは三分でも我慢できない

滋治自身(患者自身)の言葉を聞かぬまま
全身の痛みを放置したまま「死」を待つだけなのか


死」はいつも、自分自身が生きるか死ぬかという
瀬戸際に追い詰められるまで、常に他人事だ。

堀川惠子『教誨師』講談社文庫 49ページより引用

940 「俺を見捨てないでくれ」

2018-09-24 10:50:04 | 生老病死
 「俺を見捨てないでくれ」

神様は
何故こうも残酷なことを与えるのか

11月で93歳を迎える大沼滋治
いまは亡き妻の弟の息子を養子として育てきた彼
59才の息子と二人暮らし
息子は無職で老親の年金で暮らしている

滋治は前立腺癌が診断され
その癌は首、左手、肩、腰の骨に転移
息子は親には癌であることを告げず
治療をすることも拒否

滋治は
痛みを緩和させる治療もなく
襲ってくる痛みに耐えこらえながら
必死に生きている

転んで左肩を骨折した
その痛みがなくなれば
退院できると思っている

死はそう遠くはないことを
感じる

3年半前の彼
家に閉じこもり
北向きの暗い部屋で
オシッコはアルマイトのバケツにオシッコをしていた
まだら惚けとふらつき歩き
要介護3であった

はじめはデイサービスさくらさくらに
しぶしぶ来ていた
本当は行きたくなかった

利用しているうちに
デイサービスのスタッフは
飾らない言葉や方言もあったけれど
それが好きだった

表面だけのつきあいではなく
心から心配してくれることがわかった
いまでは
さくらさくらに来て「いのちが救われた」、と
彼は会うたびに話していた。

91歳になり始めて針と糸を持ち
雑巾縫いを行い
社会貢献として小学校に雑巾を贈呈してきた
(200枚を超える雑巾)
週3回さくらさくらを利用
要介護度も軽くなり「3」から「1」になった

しかし、いまは要介護5の状態となり
寝返りすることすらできない
オムツ交換をするにも
看護師2,3人の手をかりないと
骨がつぶれ折れてしまいやすいほど
癌が進行している

首の骨も癌に侵され
下をむいたり左右に振り向くこともできない
食べることそれ自身が
生きることそのもの
傍でみていてしみじみ感じる

デイサービスさくらさくらの一部のスタッフは
入院している間
夕食時間に訪れ
食事介助をしている
(息子は余り面会に来ない)
滋治が食べたいおかず、果物を持参し
病院食と一緒に食べている
目を細め「うまい、美味しい」の連発


最後の晩餐かもしれない
そう心に言い聞かせ
夕食時間前に訪れる
彼にとり
好きなおかずや果実
その味を味わうことは
もうできない

食べれることが
こんなにも
幸せなことで
大切なことか
滋治をみて思う

死が隣りに存在しているからこそ
食べることや
彼の話す言葉に
受とめきれない重さを感じる

進行する癌や痛みに対し
何もできない
無力なにんげん(自分)

92才を超え
超高齢になっても
癌は無残にも
骨にまで転移
その痛みは
彼自身しかわからない

入院して7日余りだが
退院が近い
家に帰れば
そうやたらに訪問はできなくなる

(滋治のケアマネジャーは自分ではない)

滋治は呟く
自分は小さい頃
継母に育てられた
辛い思いをしてきた

妻が実弟から子どもをもらうと言い出した時
反対した、本当は養子にはしたくなかった
でも妻は男の子を連れてきた
息子は育ての父親よりも
隣りの病院に入院している実の父親に足が向いている

彼は寂しく帰り際
「俺を見捨てないでくれ」
(面会の度に)「申し訳ない、ありがとう」と
話す言葉に頷くだけしかなかった





909;息を引き取る

2018-08-27 04:44:02 | 生老病死
 息を引き取る

「息を引き取る」とは
呼吸が止まり
亡くなる。

最期の言葉を残し
息を引き取った

手を握りながら
息を引き取った

家族に見守られ
息を引き取った

病室で
ひとり寂しく
息を引き取った


息を引き取る風景は
人それぞれ

どこで
どのように
息を引き取るか


にんげん
生れるときは
「おぎゃあ~」、と
おおきな声をだし
自分が泣く

死ぬときは
周りが泣く


生れるときは
ひとりではなかった


だから
死ぬときも
ひとりではなく
傍にいて欲しい

907;要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

2018-08-25 03:54:01 | 生老病死
 要介護老人の「死の備え」(6)  家で死ねて幸せ

18時50分頃
肺水腫により三郎さんが
眠るようにして自宅で
永遠の眠りについた
92歳だった

長男から「息がしない」、と電話が入り
急いでキャンバスに乗り三郎さん宅に向かった
8分後には到着
三郎さんの手を握るとまだ温かった
本当に穏やかな表情だった

今日16時頃は
三番目の孫娘から好きな蒲萄を食べさせてもらい
恵比須顔の三郎さん
最期まで「自宅で死にたい」、と話され長男夫婦に看取られた

ヘルパーにおむつを取り換えてもらい
訪問看護師はエンゼルケアを
日曜日で主治医に連絡がつくかどうか杞憂したが
早く連絡がとれ、死亡確認を行うことが出来た

大の病院嫌いで
前回はSpO2が70台まで下がり
先月は急遽搬送し入院した
その後回復し退院

酸素療法となり訪問看護 訪問入浴 訪問介護を入れ
看取りの支援体制をとってきた

食べたいものを食べ
傍らには妻が居て
つねに母屋から長男嫁、長男が訪れ
家族の絆(つながり)があった

病院のベッドではなく
長年生活してきた自宅で亡くなることができた三郎さん
本当に幸せ者だった
今の世の中
なかなか自宅で死ぬことは稀である


blog741 再掲

三郎さんは
大の病院嫌い
リハビリ目的でデイサービスをプランに組んだこともあったが
デイサービスも1日だけ行ったきり

老いた妻と家で過ごす
ただそれだけ

肺に水が溜まり入院
腎臓の機能も低下し血液透析(人工透析)寸前の数値

先は長くはないと、感じた
本人は「自宅で死にたい」、という気持ち
長男夫婦に問いかけた

最期まで自宅で看よう、ということになった

自宅で看取りをされる場合
家族が最期まで自宅で看取る、という強い覚悟と
そして、本人や家族介護者を支える人たち

いままでは手すりの福祉用具しか介護サービスを利用していなかった

人生の最終コーナーでは
利用できる介護サービスを使った

 訪問看護 自立呼吸は困難となり在宅酸素となった
 訪問入浴 大の風呂好き 血圧や酸素濃度の数値をみながら入浴
      訪問入浴のスタッフ3名のなかに看護師が1名配置されているから安心
 訪問介護 ねたきり状態になり、トイレに行けなくなった。
      はじめての紙おむつ。ヘルパーによるおむつ交換とおむつ交換の仕方を教わる長男嫁
 福祉用具 介護用ベッド、エアマット

 在宅酸素の機器
 訪問診療 泌尿器科の医師

退院したときには、上記の各サービスに係る人たちが集まり
看取りの支援体制について話し合いをもった

かかりつけ医への情報とかかりつけ医からの指示は
訪問看護師とケアマネジャー(私)

最期、呼吸が苦しい状態を見て
家族は救急車を呼びたがるが
「家で死にたい」という本人の気持ちを汲み取り
気持ちがぶれることなく 看取ることが大切

それには何かあったら、専門の看取りチームがあること
長男夫婦には支えになった

孫やひ孫まで囲まれながらの「死」の看取り

繰り返しになるかもしれないが
在宅で安心して「死」ぬには

「家で死にたい」という本人の気持ち
家族の協力

本人、家族の不安を少しでも軽くさせる 
ケアマネジャーのこまめな訪問と訪問看護師、ヘルパーなどからの言葉かけ

介護は「金」がかかる (三郎さんの場合は自己負担は2割であった) 
(介護費用が厳しいときには、ケアマネジャーに相談されることが大切)
(月額にしてどの位かかるのか、ケアマネジャーに試算してもらう)

訪問系介護サービスのフル活用
かかりつけ医への情報提供となにかあったときは「かけつけてくれる」という信頼関係

夜中でもケアマネジャーや訪問看護師がかけつけてくれる事業所を選ぶこともポイント

夜間、休日に関係なく「死」は訪れる
夜間でも休日でも、時間外でもケアマネジャーと連絡が取れる
電話連絡がとれアドバイスを受けても不安
かけつけてくれ、対応してくれるケアマネジャー




906;要介護老人の「死の備え」(5) 家で死にたい(在宅の看取り)

2018-08-24 18:15:41 | 生老病死
(地域密着型)デイサービスさくらさくら 周辺の風景 市街地にある

 要介護老人の「死の備え」(5) 家で死にたい

終戦後は、産まれるも死ぬも
「家」であった。

私はどこで産まれたか
母親に聞かずじまいで
いま思うと残念であった。



今日、我家の畳の上で「死」を迎える老人は
10人につき1人の割合

今年1月から8月までの間で永眠された方は、4人
(担当した要介護老人)


家で亡くなった人      2人(男性、男性)
サービス付き高齢者向け住宅 1人(女性)
病院            1人(女性)



家で亡くなった2人の男性の場合はともに
長男夫婦と老いた妻が 看取りを行った


利用されていた介護サービス

96才の男性は 訪問看護 地域密着型通所介護 福祉用具貸与(介護用ベッド、エアマット)
        (医療サービス) 訪問診療 


92才の男性  訪問看護 訪問入浴介護 訪問介護 福祉用具貸与(介護用ベッド、エアマット)
        (医療サービス) 在宅酸素 訪問診療


blog907、blog908で、家で亡くなった老人の様子を紹介していきたい