老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

959 いまから始る

2019-01-01 21:18:56 | 空蝉
いまから始まる

2019年1月1日
新年あけましておめでとうございます
本年もよろしくお願いします


平成31年から新しい年号に変わる

自分自身
“いまから始まる”という新たな気持ちで
福島から発信していきたい

なかなか継続できないときもあるが
『生死の光影』(改題 老い楽の詩)
おつきあいのほど
よろしくお願いします

888;無為過日

2018-08-14 12:18:01 | 空蝉
無為過日

蝉にとり
最初で最後の夏
鳴いている。

夏バテなのだろうか
ただの怠け者なのだろうか
昨夜は拾時間も寝てしまった
朝起きたら身体も心も怠い
無気力 無責任 無関心 の時代を生きてきた
その後 八時から四時間余り爆睡。

お盆なのに
無為過日
やるべきことは山積なのに
何も為すことなく
寝ているだけの日を過ごしてしまった。

蝉の鳴き声だけが聴こえてくる。


886;トンボの思い出

2018-08-13 04:03:48 | 空蝉
トンボの思い出

暑い夏が続きますが、
早朝の風景は、
時折秋の気配を感じさせる。
枯れた草の細い枝の先に
トンボが数匹止まっている。
可愛いトンボ

(望遠レンズならばよかったのですが、ガラ携帯で小さく写ってしまった)


田圃は稲穂になり、
一月過ぎれば豊穣の風景。
遠くには森の上にあるホテル。
若い男女が結婚式を挙げたとき、
夜空に十発の花火が打ちあがる。
余が死んだとき、
生きた齢の数だけ
花火を打ち上げられたら最高・・・・。

そうそう
トンボがテーマ
昔、子どもの頃
トンボ鉛筆を使っていたのを思い出した。
今ボールペンが主流となってしまったが、
ときどき鉛筆を使うと、
なめらかさとやさしさが指に伝わってくる。
中学生のとき、
鉛筆の上をナイフで6面を削り、
そこに数字を1,2,3,4,5,6と書き入れ
鉛筆双六(えんぴつすごろく)を作った。
選択問題の答えがわからないと、
鉛筆双六を転がし、
上面に出た数字を、解答箇所に書いた。
先生に見つかり怒られたことがあった。
いまもトンボ鉛筆を目にすると懐かしくなる。

885;生かされている

2018-08-12 05:58:11 | 空蝉
夕陽に染まる阿武隈川
 
生かされている

漫画家のちばてつやさんは
“毎日、一杯の水を窓辺に置きます。
生かされていることへの感謝と、
逝ってしまった人たちを、
忘れないように、
との思いからです”


読売新聞 2018年(平成30年)812日(日曜日)12面
『平成最後の夏』 戦後73年 語り継ぐ4 ちばてつや より引用


自分が
いま、生きているのは、
生かされてきたことに気づき
感謝を忘れてはならない。
一杯の水を仏壇に置く時に、
家族や老人たちが
無事故健康でいることを祈るだけでなく、
逝ってしまった老人たちのことも、
忘れないようにしていきたい。



862;白い陶磁器

2018-08-04 12:28:28 | 空蝉
白い陶磁器

白い一日  小椋佳作詞/井上陽水作曲

真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず
かといって触れもせず
そんなふうに君の周りで
僕の一日が過ぎてゆく


自分は
いま
真っ白な陶磁器に
憧憬を抱く。

小椋佳が詠うように
「真っ白な陶磁器を眺めては飽きもせず」
自分の場合は
真っ白な陶磁器を手に取り眺めてみる。

揺れる心
心に映った模様は、
白い陶磁器に
透けて浮き出るような気がする。
穢れのない真っ白な陶磁器に
憧憬を抱く。


840;暑さにも負けず

2018-07-24 12:01:34 | 空蝉

 暑さにも負けず

暑さにも負けず

蝉は
暑さにも負けず
いま生きていると
鳴いている

路端の草花は
暑さにも負けず
緑緑(あおあお)としている

阿武隈川は
暑さに干されることなく
流れている
魚たちは
涼しく泳いでいるのだろうか
それとも
温泉気分で浸かっているのだろうか

老人よ
(自分ももれなく)
暑さにも負けず
今日も生きる

836; 小さな雨蛙

2018-07-22 18:46:00 | 空蝉


小さな雨蛙

酷暑になる前に
四時五十分過ぎ
beagle元気と散歩に
出かけたときのことを
徒然なるままに綴ってみた。

何処に居ても空の下に棲む。
今日は常総國の畦路から空風景を眺る。
処変われば空風景も様変わりする。
関東平野は山が無く、限りなく見とおせる景色が好き。
心が自由になる感じがする。

畦路からヒョッコリ小さな雨蛙が飛び出して来た。
自分と同じく酷暑の前に散歩を始めたのであろうか。
可愛げな跳躍に目を細めた。
小さな小さな生命に心のなかで声援を送った。

外陰癌で他界された婆さんの塔婆が倒れていないか、
beagle元気と散歩の途中、墓場を寄り路した。
三本の塔婆は倒れてなく、ホッとした。
成仏できるようお祈りをした。

路端に向日葵ではなく、秋桜が咲いていた。

833;ときどき、ふと思うこと

2018-07-22 04:35:39 | 空蝉
ときどき、ふと思うこと

自分は、ときどき、ふと思うことがある。
自分は、いま生きている。
暑い八月に生まれた自分。
徒らに生き齢六十六になろうとしている。
振り返ると、
生きてきた証明(あかし)を示すものは、
何も無い。
気がついたら浦島太郎に似ている。
何もしないうちに、
時間は過ぎ行き、
気がついたら白髪になっていた。
怒りの人生は少なくなり、
沙時計のようなもの。

鴨長明の『方丈記』の中に
川の流れ は泡沫の如し。
儚く消えてゆく人生。
それだけに何を大切にして生きていくのか。
自分の場合、
恥ずかしながら何も無い 。
「死んだ男が残したものは、妻と一匹の犬」だけかもしれない。
いま在る憂いだけは解決してから、逝く。

散歩 しながら、ふと思う。
自分は、他者になり かわることはできない。
自分は自分でしかないし、
死んだら、自分も其処でお終いだ。
死んだ後の自分は もう考えること感じることも
できなくなる無の「存在」。


817;蝉の声

2018-07-13 12:07:48 | 空蝉
 蝉の声

蝉の鳴き声
夏の青い空、白い雲
帰る家が無い故郷を想う
何故故郷を離れてしまったのか
今更ながら思う

蝉の鳴き声
儚さなのか
それとも
いまを必死に生きている蝉に
見倣い
自分も
今日という日を頑張るとしようか

811;自分を忘れる

2018-07-11 01:47:22 | 空蝉

 自分を忘れる

家に財布を忘れた。
職場に着いてから気がついた。
運転免許不携帯。

病院に面会に行った。
帽子を忘れた。
市役所に着いてから気がついた。
急いで戻り探したら
病室にあった。

忘れることが増えてきた。
知らぬ間に
自分を忘れてしまったりして・・・・

809;親父の命日

2018-07-10 07:47:32 | 空蝉
空を見上げる 想いは故郷の空に繋がる

 親父の命日

48年前の7月10日、
親父は
あの世に逝った。
43歳だった。
当時自分は17歳。
親父の分まで生きよう
とその時思ったが、
自分の分さえも
生きてこれなかった自分。

いまなら助かった親父の病気 大腸癌。
息を引き取る寸前
親父は自分の手を握りしめた
その力は何であったのか

親父を偲ぶと
昭和の時代を思い出す
親父と生活した生家は無く
帰る故郷も無いが
故郷の風景は忘れぬ